★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ

2020-07-06 22:54:04 | 文学


「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」と、母をせむれば、三条の宮に、親族なる人の、衛門の命婦とてさぶらひける、尋ねて、文遣りたれば、めづらしがりてよろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたき冊子ども、硯の筥の蓋に入れておこせたり。
うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、たれかは物語もとめ見する人のあらむ。


考えてみると、この娘は、いつ物語を読めるようになったのであろうか。我々はふつう、物語を読むことによって物語を読めるようになるような気がしているのであるが、この娘はおそらく物語をたいして読んでいないのに、――家族におおざっぱな話を聞いていただけで読めるようになってしまっている。

教育に携わっていると、教育の空しさを感じることが多く、――たいがい教育は無駄足のような気がするからである。むかし、ゼミの卒業生で教師をやっている女性が「どうやったらいいのか1からわからなくなっている」と歎いていたが、根本的にはみなそんな状態である。オンライン授業に限らず、学生のとのやりとりで欣喜雀躍としている人間など、まだ教育のとば口にすら立っていない。とにかく、どうでもいいことで自分を騙している人間は多いのであるが、それを自覚するというのは難しいというのは、昔から哲学者たちが警告していたことだ。

そこ等の人の顔を眺めていた。どの客もてんでに勝手な事を考えているらしい。百物語と云うものに呼ばれては来たものの、その百物語は過ぎ去った世の遺物である。遺物だと云っても、物はもう亡くなって、只空き名が残っているに過ぎない。客観的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それに無い内容を嘘き入れて、有りそうにした主観までが、今は消え失せてしまっている。怪談だの百物語だのと云うものの全体が、イブセンの所謂幽霊になってしまっている。それだから人を引き附ける力がない。客がてんでに勝手な事を考えるのを妨げる力がない。

――森鷗外「百物語」


学生たちが物語を読めなくなっている原因にこれがある。「有りそうにした主観」は有りそうな主観によっては存在しない。昔はやった「情熱」は空回りだった。

黒い風景

2020-07-06 09:41:47 | 文学


「達者でありたまへ」
 龍然は二人のどちらに言ふともつかず、そんなことを一言二言言ひすて、短い停車時間、ぼんやり窓際に立つたまま明るい空を見つめてゐた。
 汽車は動きはぢめた。さようなら。そして由良は泣きながら堅く窓にかぢりついて、激しく手巾をふつてゐたが、凡太も亦、彼はデッキのステップに身を出して龍然に目礼を送りながら、目に光るものの溢れ出るのを、どうすることも出来なかつた。もはや列車はするすると、屋根もない短いプラットフオムを走り出やうとしてゐた、人気ないプラットフオムにただ一人超然として、全ての感情から独立した人のやうに開いた両股をがつしり踏みしめて汽車を見送つてゐた龍然は、已に明るい太陽の下に一つ取り残されて小さく凋んでゆくやうに見られたが、突然みにくく顔を歪めたやうに想像されると、小腰をかがめ、両手の掌にがつしりと顔を覆ひ、恐らくは劇しい叫喚をあげながら、倒れるやうに泣き伏した姿が見えた――


――坂口安吾「黒谷村」

世界的幸福

2020-07-05 22:50:37 | 文学


山の上には雲が流れてゐた

あの山の上で、お弁当を食つたこともある……
  女の子なぞといふものは
  由来桜の花弁のやうに、
  欣んで散りゆくものだ

  近い過去も遠いい過去もおんなじこつた
  近い過去はあんまりまざまざ顕現するし
  遠いい過去はあんまりもう手が届かない

山の上に寝て、空をみるのも
此処にゐて、あの山をみるのも
所詮は同じ、動くな動くな

あゝ、枯草を背に敷いて
やんわりぬくもつてゐることは
空の青が、少しく冷たくみえることは
煙草を喫ふなぞといふことは
世界的幸福である

――中原中也「雲」



いづこともなくておはする仏かな

2020-07-05 18:29:05 | 文学


粟津にとどまりて、師走の二日、京に入る。暗く行き着くべくと、申の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふものしたる上より、丈六の仏の、いまだ荒造りにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに人はなれて、いづこともなくておはする仏かなとうち見やりて過ぎぬ。

仏というのは、群れているようで群れておらぬ。結構ソーシャルディスタンスを保って置かれているものであって、この仏みたいに山の中腹にただひとり置かれているものも数知れず、仏像は孤独を癒やすというか、仏像自体も孤独だからそうなるのである。キリストの磔刑像だって基本的にそういうもんだと思う。ミケランジェロの「最後の審判」なんて、ほぼ全員コロナに罹っていると確信できる距離であって、「群衆」の概念を発明した西洋というのは、まあそういうことだと言わざるを得ない。ミケランジェロのそれを観に行ったときには、アメリカ人を中心にホールいっぱいに人が群れていて騒いでいた。神に仕える人が、「うるせえだまれ、この愚民共が」と叫んでも一向におさまらず、禁止されているカメラを取り出す輩続出。いやはや、このために「最後の審判」があったのだと言わざるをえない。

マーラーの交響曲を聴いていると、天国に行くのがかなり孤独な作業だと思われるんだが、この人は孤高に思い上がっていたのでそうなるのであって、下々の者にとっては、もっと「みんなで渡ろう三途の川を、ついでに最後の審判もみんなで免罪」みたいな感じであろう。

孝標の娘さんは、あいかわらず仏像に反応して、「あはれ」とか言うているのがかわいい。極楽行き決定!

恋に必ず、必ず、感応ありて、一念の誠御心に協い、珠運は自が帰依仏の来迎に辱なくも拯いとられて、お辰と共に手を携え肩を駢べ優々と雲の上に行し後には白薔薇香薫じて吉兵衛を初め一村の老幼芽出度とさゞめく声は天鼓を撃つ如く、七蔵がゆがみたる耳を貫けば是も我慢の角を落して黒山の鬼窟を出、発心勇ましく田原と共に左右の御前立となりぬ。
 其後光輪美しく白雲に駕て所々に見ゆる者あり。或紳士の拝まれたるは天鵞絨の洋服裳長く着玉いて駄鳥の羽宝冠に鮮なりしに、某貴族の見られしは白襟を召て錦の御帯金色赫奕たりしとかや。夫に引変え破褞袍着て藁草履はき腰に利鎌さしたるを農夫は拝み、阿波縮の浴衣、綿八反の帯、洋銀の簪位の御姿を見しは小商人にて、風寒き北海道にては、鰊の鱗怪しく光るどんざ布子、浪さやぐ佐渡には、色も定かならぬさき織を着て漁師共の眼にあらわれ玉いけるが業平侯爵も程経て踵小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに値偶せられけるよし。是皆一切経にもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の化身にして少しも相違なければ、拝みし者誰も彼も一代の守本尊となし、信仰篤き時は子孫繁昌家内和睦、御利益疑なく仮令少々御本尊様を恨めしき様に思う事ありとも珠運の如くそれを火上の氷となす者には素より持前の仏性を出し玉いて愛護の御誓願空しからず、若又過ってマホメット宗モルモン宗なぞの木偶土像などに近づく時は現当二世の御罰あらたかにして光輪を火輪となし一家をも魂魂をも焼滅し玉うとかや。あなかしこ穴賢。


――幸田露伴「風流仏」


昔は、いい結末だと思ったが、いまはそうでもない。

そこばくの神々集まりて

2020-07-04 23:57:22 | 文学


富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。その国の人の出でて語るやう、「一年ごろ、ものにまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつらに休みつつ見れば、川上の方より黄なる物流れ来て、物につきてとどまりたるを見れば、反故なり。とり上げて見れば、黄なる紙に、丹して濃くうするはしく書かれたり。あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目のごと、みな書きて、この国来年あくべきにも、守なして、また添へて二人をなしたり。あやし、あさましと思ひて、とり上げて、ほして、をさめたりしを、かへる年の司召に、この文に書かれたりし、ひとつ違はず、この国の守とありしままなるを、三月のうちに亡くなりて、またなりかはりたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。かかることなむありし。来年の司召などは、今年この山に、そこばくの神々あつまりて、ないたまふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらふ」と語る。

むかしから、われわれは「デスノート」みたいな話が好きなんだな、と思わせるエピソードである。富士川で黄色い紙に、主筆でなにやら書いてある。それは国守になる人々の名簿であった。死ぬ人とその後釜まで書いてあったのである。地元の語り手曰く、「富士山に神々が集まって決めたんだな、と分かったのです」と。

言うまでもなく、違います。

だいたい、この地元おじさん?、富士川は富士山から流れてるんじゃないぞ、長野と山梨の境にある鋸山ですぞ……。というわけで、富士の神々説は否定される。ということで、山梨か静岡のどこかでこの紙を落としたやつがいる。そして、この落としたやつが、当時の人事を知っている人間であり、急死した国守はまずもって暗殺とみなければならない。そうしなければ、予言は当たらない。

こんなことも予想出来ぬ富士の高嶺に雪は降りつつを愛でながらあたまがぼやっとしてしまったおじさんにつかまった孝標の娘さんは不幸である。もしかしたら、おじさんは紙を神と掛けているだけなのかも知れん……

山国の出身なので、山には思い入れがある方だと思うが、富士山のような形にサブライムを感じている輩は心の凹凸にかけていると言わざるを得ぬ。神を感じるのは。飛騨山脈、御嶽山、まだ見たことはないが、月山。ちなみに、小学校三年生か四年のときに、新潟行きの電車に乗ってはじめて、冬の北陸五岳をみたときもなかなか感動したもんだ。

富士があって、その下に白く湖、なにが天下第一だ、と言いたくなる。巧すぎた落ちがある。完成され切ったいやらしさ。そう感ずるのも、これも、私の若さのせいであろうか。所謂「天下第一」の風景にはつねに驚きが伴わなければならぬ。私は、その意味で、華厳の滝を推す。「華厳」とは、よくつけた、と思った。いたずらに、烈しさ、強さを求めているのでは、無い。私は、東北の生れであるが、咫尺を弁ぜぬ吹雪の荒野を、まさか絶景とは言わぬ。人間に無関心な自然の精神、自然の宗教、そのようなものが、美しい風景にもやはり絶対に必要である、と思っているだけである。

――太宰治「富士に就いて」


「道化の華」以来、風景の問題に関しては一言ある太宰であるが、同じ事を女に対しても言えたのかどうか。いや、言えたのかも知れない。わたくしは、山と女を截然と区別出来ないのが我々であり、それゆえ、山も初めから人間として扱っておく必要がある気がするのである。

花★海の弁財天を訪ねる(香川の神社211)

2020-07-04 16:42:32 | 神社仏閣


屋上にあったりする神社は数知れずですが、花★海では入り口の脇にあります。



平成二年に建てられた鳥居。令和二年がこんなことになるとは思ってませんでしたな……。日本の神様は金儲けもいいですが、いろんな意味でちゃんと働いて欲しいですね……。寝てるんでしょうか……。わたくしも昨日と今日はたくさん寝てしまいました。



後ろの建物と本殿の屋根の色が一緒ですね。このあたりは、寺とかも重要なものが多いし、ありがたさに合わせたのであろうか……。違うか……。ここの食事と温泉はいいですよ。

遊女の歌声

2020-07-02 22:48:19 | 文学


をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫といふ。髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、「西国の遊女はえかからじ」など言ふを聞きて、「難波わたりに比ぶれば」とめでたく歌ひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中に立ちて行くを、人々飽かず思ひて皆泣くを、幼き心地には、ましてこの宿りを立たむことさへ飽かず覚ゆ。


足柄山は神奈川と静岡県にわたる山々であるが、写真で見る限り、大した山ではないようである。がっ、山というのは、近くに近づけば恐ろしく巨大で人間の把握しきれる大きさを越え、起伏のある闇という――ただの地獄である。孝標の娘の一行もそのなかで怯えておった。そこに遊女が現れる。

伝説の「こはた」さんの孫であった。美しく声は「空に澄みのぼる」如くである。

孝標の娘さんは、すっかり気分は変わってしまう。こんなところを彼女は「幼き心」と言っている。遊女についてはよくわからんが、彼女を「幼き心」といわせれるものがあったとは言える。彼女にとってその歌声が、垂直に立ち上り澄み渡る何かであった。

わたしの勝手な感慨によれば、演歌の世界は、子どもに対して自分が「幼き心」を持っていることを自覚させる効果があった気がする。演歌歌手はどさ回りの印象もあって、いまでも流浪の民的ななにかを持っているし、これがまた、大人の世界がある意味で「流浪」であることを自覚させる。

 遊里の光景と其生活とには、浄瑠璃を聴くに異らぬ一種の哀調が漲つてゐた。この哀調は、小説家が其趣味から作り出した技巧の結果ではなかつた。独り遊里のみには限らない。この哀調は過去の東京に在つては繁華な下町にも、静な山の手の町にも、折に触れ時につれて、切々として人の官覚を動す力があつた。然し歳月の過るに従ひ、繁激なる近世的都市の騒音と灯光とは全くこの哀調を滅してしまつたのである。生活の音調が変化したのである。

――永井荷風「里の今昔」


それはそうなのであろうが、いまだって、そういうところは別の哀調があることはたしかだ。もっとも、それが一所に動かないものである限り、そこに共通のものがある気がする。つまり、それはある種の「帰郷」的な雰囲気だ。それが裏返って差別的な悪所となる。最近の、「夜の街」バッシングのニュースをみながら、この人たちは常に移動すべきなのではないか、と思った次第だ。ステイホームの時代、長く続くと言わざるをえない。

言葉遊びと歴史性

2020-07-01 23:41:26 | 文学


もろこしが原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。「夏はやまと撫子の、濃くうすく錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。
「もろこしが原に、やまと撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。


今日は、香港で国家安全法が施行されて逮捕者が出た。わたくしなんか、これが香川で国家安全法が施行されたと見えたのだから、上の「ものこしが原にやまと撫子」よりもレベルが低い。収録+編集続きでつかれてきたのは確かである。合計時間は一学期全体で言うとたぶん一〇〇時間ぐらいになりそうだ。私大はもっとすごいことになっているに違いない。ここに校正とか論文締め切りその他校務とかがずかずかと入ってくる。

そういいますが、まだ夜の街は水兵で賑わい、まるで映画もどきのセーラーの喧嘩の華がところどころに演じられ、港サセボはなかなか華やかである。BARからキャバレーから夜の女の群へとさまよい歩いて見たのです。日本人専門のハーバーライトは、とてもこみ合って、港で儲けた旦那衆が美人を擁して踊りくるっていた。外人専門の米軍許可を得ている美妓のいる堀ハウスにもいって見たのである。愛らしい純大和撫子が蝶々さんのような和服を着かざったり、上海ドレスにきめの細かい雪の肌を包んで、若いアメリカ水兵さんのピンカートンぶりを愛していた。SASEBOKINもどこへやら、ここばかりは明るい光が窓に輝いている。なんとはなしに、かわいそうなお人形のようで、涙の人生のような気がしてならなかった。明るい夜の街、SASEBOも華やかに火花と輝いていますが、うごめいている人達は、なにか宿命のようなすてばちで、ただ暗い夜空をながめているようでならない。SASEBOは、朝鮮戦線の上り下りがまるで脈搏のようにはっきりひびいてくるのはなんとなく心細い様子である。新しく生きろよ、佐世保の港。歴史にのこる良港よ、もっと遠大な理想に生きてもらいたい。

――小野佐世男「エキゾチックな港街」


我々の宿痾のようなものであろうが、記号の歴史性が歴史によって上書きされていってしまい、結局、無神経にも言葉遊びが繁茂する。あせって言葉にアイデンティティを見出そうとすると、あまりにその内容がないような気がするので、「愛らしい」とか「純」とかを付けて意味ありげにしてみる。文学は歴史的な文脈を掘り起こすとのできるやり方なのだが、平安時代の作品たちからはその痕跡があまりに目立たない。本当は、光源氏や業平があまりにも光り輝いているのは、上の「愛らしい」「純」と似たところがあるはずである。

ウィキペディアに書いてあったのだが、上の小野氏は、あまりに光り輝くものは苦手だったのか、マリリン・モンローが来日したときに死んだらしい。