さあ12月に咲き誇れ
このあひだに風のよければ、梶取いたく誇りて、船に帆上げなど、喜ぶ。その音を聞きて、童も媼も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。この中に、淡路の専女といふ人のよめる歌、
追風の吹きぬるときは行く船の帆手うちてこそうれしかりけれ
とぞ。
天気のことにつけつつ祈る。
「土佐日記」を読んでいると、航海中だからかもしれないが、みんなあまり忙しくはない気がする。貫之の普段がそんなはずはないと思うけれども、そして、まわりの女たちだって忙しかったはずが、子どもや婆さんの歌をいちいち反芻してみせる語り手には余裕がある。
いまの世の中、あまりにみんなが仕事に一生懸命だが、そんな状態では、上のような天気を気にする余裕はない。しかし、この天気というのは本当は命に関わるのである。いまだって、自分と気候の関係をうまいこと調整する余裕は必要だ。一見、天候に関係なく活動出来るようになった我々だが、体の方は、そんなやり方に慣れていない。
二十三日。日照りて曇りぬ。「このわたり、海賊の恐れあり。」と言へば、神仏を祈る。
二十四日。昨日の同じ所也。
二十五日。楫取らの「北風悪し。」と言へば、船出ださず。「海賊追ひ来。」と言ふこと、絶えず聞こゆ。
ときどき、四国の人々なんかは全体として海賊だったんじゃないかみたいな想像をしている人たちがいるが、たぶんそんなことはない。むしろ、最近までいたことが重要である。
私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたという家を私も二軒知っているが、そのいずれもが剛慾で人の持っているものを叩き落してでも自分が肥っていこうという家であったのを見ると、海賊というものにも、たゞ者を掠めとる一点ばりでなく、復讐的な気持や、剛慾者をこらしめる気持があったらしい。
――黒島傳治「海賊と遍路」
黒島は島の人間関係をくさしながら、どこかしら海賊(あるいは鬼)とお遍路さんを重ねてみている。略奪者や施しをうける人間達が、どきどき道徳と宗教の執行者となったりする。考えてみると、お遍路さんの起源は海賊だったのではないかと妄想したいくらいだ。そして、そういうポジションでしか、道徳を語ることは出来ないのだ。そうでなければ、人間関係の中で欲望を発散するしかなくなる。
「土佐日記」の作者も、なにかよからぬことを都でしていたに違いないし、過ちを犯さなければやっていけないような人間関係だったにちがいない。そういう人間達を海賊がおってくる。
さぬきにはこれをや富士と飯野山 朝餉の煙ぞたたぬ日ぞなき(西行)
西行はどちらかというと海賊でも島民でも遍路でもなく貫之でもなく――観光でもしに来たのであろう。わたくしは、今日は長寿大学で丸亀に来たのです。
皆人々の船出づ。これを見れば、春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。おぼろげの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。この間に、使はれむとて、つきて来る童あり。それが歌ふ船歌、
なほこそ国の方は見やらるれわが父母ありとし思へばかへらや
と歌ふぞ、あはれなる。かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥と言ふ鳥、岩の上に集まりをり。その岩のもとに、波白くうち寄す。楫取りの言ふやう、「黒鳥のもとに白き波を寄す。」とぞ言ふ。
土佐日記は、歌よりと地の文が、朔太郎が言うような意味での「詩」として拮抗している感がある。ここで歌われるのは、たぶん意図的に子どもが詠っていて、それを囲む大人のみる風景が印象的で、――「春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける」(春の海に秋の木葉が散っているようだ)とか、「黒鳥のもとに白き波を寄す。」(黒鳥のもとに、白い波を打ち寄せる)情景である。どことなく、シンクロしている風景なのである。これに比べると、子どもの歌は、観念的で大きな空間を感じさせる。おそらく、どちらが欠けても貫之の精神がバランスを失うのである。
四谷見付から築地両国行の電車に乗った。別に何処へ行くという当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育の高架鉄道、巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船なぞで、何時とはなしに妙な習慣になってしまった。
――永井荷風「深川の唄」
やっぱり散歩がすきで劇場でちやほやされているような人はちがう。身体を揺すられるのが快感とか、お前は赤ちゃんか。貫之の船に乗っていたら、こういう揺れるのが好きみたいな子どもは無視されて記録に残っていないであろう。
青海原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
とぞ詠めりける。かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字に、さまを書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
都にて山の端に見し月なれど 波より出でて波にこそ入れ
阿倍仲麻呂の歌。このエピソードはとても興味深くて、漢文に飜訳して中国の人に伝えたら褒められた。その理由が重要で、「月の光は同じはずなので、人の心も同じなんでしょうね」ということだ。これを、月の光に感動する心は一緒なんだね、と言ってしまわないで、月の光が同じなんだから心が一緒なんだという言い方が重要である。
この前、授業の準備で少しビートルズを聴いたが、ビートルズを聴くことは、月の光を見るようなものだ。彼らが全世界に広まった理由は、彼らが同じビートルズだからなのである。
ただ、30分の演奏がおわり、アンコールもなく、出てゆけがしに扱われて退場する際、2人の少女が、まだ客席に泣いていて、腰が抜けたように、どうしても立ち上がれないのを見たときには、痛切な不気味さが私の心をうった。そんなに泣くほどのことは、何一つなかったのを、私は知っているからである。虚像というものはおそろしい。
――三島由紀夫「ビートルズ見物記」
三島はビートルズが月であることを知っていた。だから「虚像」だと言っているのである。彼が、最後に虚像に命を賭けたことは周知の通りである。