これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
講演 友岡雅弥氏第3弾!(October 21, 2006)
読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。
友岡講演 第3弾!ご参考に・・・
■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/不明
■会合名/不明
(つづきです)
瀬戸内海の島でどの島も2、30メートルぐいしか離れていないところで、ある小さな島だけ橋がかかっていなかったのが去年ようやく橋が架かりました。
どういう島か。
ハンセン氏病(らい病)の隔離病棟の島です。
みなさんのほとんどが、らい病を知らない。
これがいかにこの国がマインドコントロール国家であるかの証明です。
逆に昔の人に聞いて下さい。
『絶対にうつる、ものすごく恐い病気だ。業病だ。』と言います。
おかしいでしょ。
そんなに恐い病気なら何故みんな知らないんでしょう。
知ってても、学校で聞いたわけじゃない、『砂の器』とか『ベンハー』とか映画や小説ですね。
らい病というのは、生きてるのに身体が腐ってくる病気ですね。
手とかがぽろっと落ちるんですね。
1953年に自民党は、らい防止法というのを作って、感染した人をすぐに永久に隔離したんです。
1歳の子供でも両親から引き離して隔離です。
でも法律で、らい病患者を隔離したのは日本だけなんですよ。
何故か。
それはうつらないからなんです。
らい菌というのは全ての病気の中で最も感染力の低い病気の1つなんです。
でも日本は『恐いぞ、近くに置くと移るぞ、しかも絶対に治らないんだ』と、言ってたんです。
これも嘘なんです。
ペニシリンで100%治るんです。
本当は全然恐くないんです。
どんな病気も貧しかって栄養状態が悪かったら発生率は高いですね、風邪だってひきやすい。
だから貧しい人々の中にこのらい病の発生率が高かったんですね。
しかも他の病気と違って外見でわかる病気ですから。
これをこの国の権力者たちは利用しようとしたんです。
『貧しかったらああなるぞ。あれは不幸だろ。だから働くんだ。』と宣揚に使ったんです。
可哀相に、小さい子供は木の枠で出来た看板を、大人はプラカードを背負わされた。
それで町中を1周させられたんです。
人々に見せ付けて、そのすぐ後を消毒液をまきながら歩かされて、らい病列車に乗せられて島に送り込まれたんです。
消毒する必要すら無いんですよ。恐いと思わせるためにです。
厚生省もちゃんとわかってるんですよ。
で、そんなに恐い病気だったら本当に勉強しようという人が出てくるでしょ。
だから昭和30年代後半からこれを伏せていくんですよ。
だからこれ以前の人は『らいは、とても恐い』と言うのに、その後の人は、名前も全然知らないんです。
ここの島に行くとびっくりしました。
島民の患者の方が約100名います。ここに創価学会も歴然と1地区あるんです。
約30名です。他はキリスト教の方が1人いるだけ。
こんなふうにこの国によって弾圧を受け差別を受けて来られた方々ですから、頼るすがるような宗教はしませんよ。
なぜかというと隣の島の学会員さんが、お2人のご夫婦を中心にして約40年間、月1回、船で通ったんです。
日本の国が橋をかけなかったのを、創価学会が人間の橋をかけたんですよ。
この通った人達が自分の島に帰ったら、すさまじい村八分ですわ。
らいの島から帰ってきた…ということで何も売ってくれないんですね。
この人たちは遠くの別の町まで日常品を買いに行ったんです。
それでも通い続けたんです。
これが本当の信仰者ですね。
日本のマインドコントロールに引っかからずに自分で物を考えたんです。努力と信念と本当の自由ですね。
癩病患者について調べていった時、これを知りました。
これで脱帽して、ぼくは創価学会員になったんですね。
本当の自分の幸せを自分の頭で考える信仰を育てていかなあかんなと思います。
その歴然たる事実がと創価学会の中にあるぞ、という話です。
(おわり)
【解説】
細かいことですが、
「ペニシリンで100%治るんです」という部分は正しくありません。
歴史的に、プロミンという特効薬が発見されて以後、ハンセン病は治癒可能な疾患となりました。
現在では治療薬が進歩しており、ネットで調べると、
ハンセン病は、多剤併用療法(MDT)による治療を行います。 少菌型は、ジアフェニルスルフォン(DDS)とリファンピシン(RFP)の2剤を6ヶ月間、多菌型はDDS、クロファジミン(B663)、RFPの3剤を1~2年間服用することで治ります。
とのことです。
らい病の隔離施設のある島に通った創価学会員の夫婦の話、感銘を受けます。
100名の島民患者のうち約30名が創価学会員だったということ。
正しく歴史に残してもらいたいと思います。
彼らが信仰をいかに求めていたのか、知りたいです。
ちなみに「すたぽ」というサイトでは、友岡さんの文章が読めますが、次の投稿ではハンセン病に関することが書いてあります。
freak37 生きた宗教・生きられた宗教(2018年7月5日 投稿)
一部引用します。
高校生のとき、大学の医学部に入学した同じ高校の先輩から、「ハンセン病」のことを聴きました。
それで、先輩が、岡山県にある全国で2番目に大きなハンセン療養所、長島愛生園にいくときに、連れていってもらい、大学入試が終わり、大学生となって、あちこちの療養所に通うようになりました。
(中略)
高松の大島青松園にいった時、驚きました。
入所者の、創価学会員さんたちが、自分たちの手で作った「大島会館」があったのです。
画像を見てください。
舌読用金属板です。
舌読というのは、舌で点字を読むのです。
神経が侵されるので、まぶたが閉じれず、それで目が不自由になる場合がおおかった。
そして、指先の神経もやられているので、点字は、指で読むのではなく、舌で読んだんです。
この点字版は、何が書かれているか分かりますか?
ほんとうの信仰の証が、ここにあります。
生きた宗教がここにあります。
宗教の教えが、人生として生きられた証がここにあります。
画像は、ハンセン療養所の学会員さんが、勤行のときにつかった「勤行要典」です。
目の見えないハンセン病患者さんが、舌読用金属板を使って「勤行要典」を読んでいたんですね。
たしかに、生きた宗教がここにあると思いました。
Salt61 規則を破る人のほうが温かかった その1(2019年3月25日 投稿)
Salt62 規則を破る人のほうが温かかった その2(2019年4月1日 投稿)
一部引用します。
一応、日本にある、ハンセン病のための13の国立療養所と、三つの私立療養所は全部訪れたことがあります。
毎年というか、毎月行ってたところもあります。
いろんな理不尽なことも見てきましたが、小泉政権のときに、なんか雰囲気が変わったんですよね。それは一般病院でも一緒の流れです。
看護学のいい意味での「権威」のかたを何人か知ってるのですが、「患者」を「患者様」と呼ぶようになってから、日本の病院の雰囲気が変わったと異口同音に語っていらっしゃいました。これはハンセン病療養所の話ではなくてね。
でも、明確にその流れで、その方向に、ハンセン療養所も変わりました。
(中略)
その「介護サービス化」の流れのなかで、こんなびっくりすることが出てきたんです。
介護職員、スタッフは、「入所者と私的会話をしない」!
少年・少女の時代に、強制隔離されて、家族とも二度とあえないなかで、暮らした70年、80年ですよ。
誰かと話したいですよね。
今までは、普通にしゃべれた。
仕事終わってから、ごはん食べていきー、も可能だった。
でも、それは「療養所でのサービスの体系の中には入っていない」というわけです。
部屋の掃除に来ても、会話してはならないと言うわけです。
(中略)
薬ですぐに治る(無菌)病気なので、治ってから亡くなるまで、60年、70年と療養所で暮らさねばなりません。
これって、ものすごく退屈ですよね。
「贅沢な退屈」ではなく、人間関係も、何十年も同じ人たちですから、「人権侵害」 の「退屈さ」です。
健康なわけですよ。何もすることがない。だから、短歌を作ったり、小説を書いたり。陶芸に打ち込んだり。
作家として、ベストセラーを生んだ人もいます(今も岩波文庫に入ってます)。
でも、10代、20代がほとんど(今は、平均年齢が80歳を超えましたが)なので、やはり体を持て余すわけです。
それで、野球が盛んでした。
(中略)
園の職員さんたちと、お昼間に練習試合をするんです。園は、外部とかなり隔絶したところにあるので、園の職員さんたちも、昼間に、家に帰ったり、外食したりはできないので、わりと昼休み時間に「空き」があるのです。
和気あいあいと冗談を言いながら、練習試合をしている。
昼休み時間が終わりました。
ほとんどの職員さんたちは後片づけもせずに、事務棟に戻るんです。
ごく一部の職員さんたちは、入所者(病気は無菌で治っているので、患者ではないのです)の人たちと一緒に、後片づけをしてくれます。
なぜ、こんなことがあるかというと、
「職員は、入所者が触った物品を触ってはいけない」という規則があるからです。
日本の療養所で、ハンセン病になった職員さんは0です。
しかも、感染力微弱であるということは、職員さんたちの暗黙の了解です。
また、もう無菌であることは、周知です。
でも、規則で「職員は、入所者が触った物品を触ってはいけない」のです。
今まで、休み時間は、攻守交代で、同じグローブを使い回し、同じバットを利用してきた人たちが、休み時間が終わると、「職員規則に縛られた職員」に戻るのです。
逆に、そんなの平気で、仲間として、後片づけをしたり、話あったりしてくれたのは、「規則を守らん、エエ加減な人ばっかりやった」
「エエ加減な人が、エエ人やったっちゅう話や」
わりと、真実をついているエピソードだと思います。
治療薬の進歩で他人には移ることがないと分かった現在でも、こんなおかしな規則が残っているのですね。
でも、規則を守らない「エエ加減な人」が、患者と一緒に片づけをする場面に、心温かいものを感じます。
「エエ加減な人が、エエ人やったっちゅう話や」
いい話ですね。
友岡さんの文章が読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮