山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
■第5章 悪夢は消えた
□あとがき
■第5章 悪夢は消えた
脱会記者会見
1993年4月21日。
まだ肌寒い清らかな朝だった。
世間に大バカな私を見てもらう大事な日だった。
午前7時15分。
統一教会員が押し入ってくるんじゃないかという厳戒体制の中で、会見が始まった。
「大変長い間、ご心配とご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。昨年6月25日に、私は統一原理を真理として信じるということを皆様の前でお話ししたわけなんですけれども、
……すべてが間違いであったとわかりましたので、世界基督教統一神霊協会より脱会することを決意しました。私の本当に軽率な言動で………」
言いながら、そう言えたことにホッとしていた。この言葉を発するまで、誰一人として私の脱会を完全に信じてはいなかっただろう。姉たちも牧師さんも、
(この瞬間に裏切るのではないか)
と、かすかに思っていたに違いない。そして、この私でさえ、自分自身がこう言えるのが信じられなかった。自分ではわからないマインド・コントロールがまだ残っているのではないか、と心のどこかで怯えていた。
会見を終えた時、エネルギーはもうわずかしか残されていないような気がした。
ワイドショーはきらいだと思ってきたが、統一教会の罪悪性を訴え続け、それをお茶の間に浸透させてくれたのもまたワイドショーであった。これだけ大騒ぎになった以上、全局のワイドショーに出演しないわけにはいかなかった。
テレビ出演を終え部屋に帰ってくると、私の身体はガチガチに固まっていた。緊張のまま、しゃべり続けていたせいだろう。
勅使河原さんに宛てた一通の手紙
「すべてが間違いだった」という私の言葉を、勅使河原さんは、T子は、教会員はどう受けとめてくれたのだろう。
彼らが自ら牧師さんのところへ行ってくれることを願った。
私は代理人をたてて、新居に運びこまれていた私の荷物を引き揚げることにしたが、その時勅使河原さんに渡してもらおうと手紙を書いた。今彼に言える想いをすべて書いたつもりだった。
「私の最後の願いは、勇気をもって牧師さんのところへ行ってほしいということです」
便箋一枚だけだったが、心をこめてそう書いた。
それは私の最後の賭けのようなものであり、彼への不信感をとりのぞいてくれる手段でもあった。そして私は、私のこの脱会問題が、ただの男女の悲恋物語になっていくことを恐れた。統一教会の社会的問題が、私たち二人の問題の影に隠れてしまうことこそが問題だった。
しかし、次第に、宗教によって引き裂かれたかわいそうな二人……という話にいらだちを覚え、それは怒りへと変わっていった。何がかわいそうって、いちばんかわいそうなのは、統一原理を信じていること自体である。
そこには自由というものはない。
統一教会側は、私の脱会騒動は「信教の自由」を奪い、人権を奪うものだというが、献身者には職業も住むところも自由ではない。結婚も教会の指示によるのだから、どっちが人権を奪っているのか、と思う。
それに、生まれてくる子供は「神の子」としてあがめられる。三家族で三位基台というのを組んで、どこかの家庭に子供が生まれなかった場合は、他の二つの家庭の中から、その家庭へと子供を養子に出さなければならない。自分の子供は、公の子、教会員全体の宝なのである。
「信教の自由」と叫んではいるが、親が統一教会員なら子供は何を信じてもいいというものではない。神の子として、小さい時からその思想を受けつぎ、文鮮明をメシアとして、神とメシアのためだったら何でもするという二世をつくりあげねばならない。これこそが、統一教会の狙いである。祝福をうけて、子供が生まれて、その子供が別の道へ行こうものなら、それは堕落以外の何ものでもないことになるのだ。
文鮮明一家のために働き続ける大思想集団をつくりたいのだ。そして、自分が信じているだけでなく、伝道をしなければならないのだから、個人の信教の自由という次元の話ではないのだ。
私は、間違いに気づいたのが、結婚して子供が生まれたあとでなくて本当によかったと思った。
子供が生まれれば、反対している人だって「おめでとう」と喜んでくれることだろう。いや、喜ばない人はいないだろう。それを彼らは“神の勝利”とするのである。
「どんなに反対している親でも、子供が生まれれば反対しなくなりますよ。子供はやっぱりかわいいですからねえ」
そんな話をよく聞いた。子供が生まれたことに対して、まわりが素直に喜んでくれることを、神側の勝利、統一教会側の勝利として受けとめるという思考回路をもっているのである。まるで子供をだしに使って、統一教会への反対を少なくするようなものだ。もし、私に子供がいたら、まわりの反対もおさまり、間違いに気づくチャンスさえ与えられなかったことだろう。
「娘が幸せならいい」とか、大の大人が選んだ道なんだから、無理に脱会させる必要はないじゃないか、という人たちもいる。
でも大の大人が、判断をあやまらないと、どうして言えよう。知らずに悪に手を染めているとするなら、それが何歳であろうとどんなことがあってもやめさせるのが親の愛だろう。「娘が幸せならいい」とあきらめるには、統一教会の社会悪に対して、あまりにも無責任である。
「本人たちが幸せなんだったらそれでいいじゃないか」と言ってる間に、本人たちは、喜んで霊感商法に手を染め、加害者になっていくことを親たちはしっかりと知らなければいけないと思う。
私たち“三女王”がマスコミに出て、様々な意見が述べられた。そんな中で、「でも幸せそうですよねえ。こんな結婚もあっていいんじゃないですか」と誰かがコメントしてくれたが、それが私たちにとって、いや統一教会にとって、どんなに励みとなったことか。統一教会は世に認められ始めたとか、神の勝利だとか、大喜びだった。
私自身、一人の人間である前に、統一教会員であると思っていた。だから、仕事がうまくいけば、統一教会が認められることになると思っていた。
そして、かわいい赤ちゃんを生んで、またマスコミにとりあげられて、リポーターの方々が「おめでとうございます」といってくれた時、最高の勝利を確信したことだろう。
自分たちの幸せそうな姿を世にアピールすることが、三女王の使命でもあったのだから。
私は、改めて、婚姻届のサインをしていなかったことに運の強さを感じた。そして、この時期に、私が加害者となっていくことを阻止してくれた姉たちに、深く、深く感謝した。
逆に言えば、勅使河原さんにとっても、今がチャンスのはずだった。牧師さんのところへ行ってほしいという私の願いは、彼の胸に届いたのだろうか。
私は待った----。
----だが、自ら牧師のところへ来たのは、T子の方だった。
親友がうけたショックとは
ちょうど、S牧師(私を説得してくれた牧師のうちの一人)のところに、リハビリがてら滞在していた時のことだった。
T子からS牧師に連絡が入ったことを知り、私は涙が出るほどうれしかった。
真剣に話を聞きさえすれば、心のガードを取り除きさえすれば、絶対にわかってくれるはずだ。
私がいなくなってから、彼女がどんな教育を受けたかはわからない。でも自分一人で来てくれるというのだから、大丈夫だと信じた。
彼女と再会した時、私たちの間にしばらくは言葉はなかった。
脱会宣言をする直前まで、彼女は私の脱会を信じてはいなかった。記者会見の前夜、私の手記を手に入れ、それを見ても信じられなかったという。
彼女は、記者会見場の近くで、神山名誉会長たちと一緒に車に乗り、車の中のテレビで私の会見を見た。会見場に入ってきた私の顔を一目見て、「こりゃ、ダメだ」と思ったという。
「すべてが間違いであったとわかりましたので、世界基督教統一神霊協会より脱会することを決意しました」
その私の言葉を聞いた時、彼女の頭の中は真っ白になったという。
その後のリポーターの質問で、
「会社の方とかには連絡はとられていたんでしょうか」
という問いに、
「内々に信頼のおける人に連絡は入れました」
と私が答えた時、彼女は異常なショックを感じた。
(自分以上に信頼のおけるスタッフがいるの?)
彼女は私が脱会したことよりも、自分が信頼をおかれていなかったということに、言いつくせないやるせなさを感じたのだった。
家まで送っていこうか、という幹部の人の言葉に、「けっこうです」と答え、一人でトボトボと歩いた。
(あれほど信じていたのに、何が間違いだったというのだろう。何をあんなに怯えていたのだろう。自分が信頼のおけない人になってしまった理由を知りたい。山崎は人格が変わってしまったのだろうか。私も真実を知りたい)
彼女はそこから、統一教会との一切の連絡を絶ったという。ホテルを転々としながら考えた。
そして、勇気をふりしぼってS牧師に電話を入れた。
「よく電話してくれたね。怖かったでしょう」
教会内では、相当悪い牧師と言われているのだから、一人で飛びこんでくるのは大変なことだったろう。
「いや、別に」
彼女はそう答えたというが、後に「ホントはすっごく怖かっだんだ」と告白している。
S牧師の話をいろいろ聞いたあと、彼女は脱会を決めた。
やはり、私がいなくなったあと、彼女は集中講義をうけていだが、会社やスクールのことが心配で、頭の中には入っていなかったという。それでも、彼女は自分自身で、ある驚きを持った。統一原理をあまり理解していないのに、がっちり思考回路が組み立っていたことにびっくりしたのである。彼女の表現でいえば、「やられた~」と思ったそうだ。
このことは、口で説明しても紙に書いても、きっとわかってもらえないと思う。本当のところは脱会した者にしかわからないことだ。
ともかくも、この自分でさえ、こんな思考回路を持っていたのだから、献身している人や、ガチガチに統一原理が入っている人は、ものすごいだろうなあというのが、彼女の感想だった。
「これじゃあ自然治癒なんてないね」
と彼女は言った。たしかに、カウンセリングなしに思考回路をくずすことは難しい。
少しして彼女は、私の脱会後、自分が一回だけ統一教会に連絡を入れていたことを思い出した。
彼女は、脱会した私を安心させるために、「一度も連絡をとっていない」とウソを言っていたのではない。都合の悪い記憶は、自分でも知らないうちに語憶から消していたのである。
それは私にも言えることだった。時がたつにつれて、埋もれていた記憶がよみがえってくる。私の記憶は、統一教会用の記憶にすりかえられていたのである。
御言を学び始めた時から、私の頭の中には、実際には私のまわりにたくさんあった温かな家庭、素晴らしい夫婦は存在しなくなった。統一教会で、この世の愛は乱れた愛、どんなに仲の良い夫婦であっても、祝福を受けなければ地獄行き、という言葉で、まわりの温かな家庭は否定されていった。そしてかわりに、不倫をしている家庭や、うまくいっていない夫婦のみが頭の中にこびりつくようになっていったのだ。
(つづく)
【解説】
第5章では、山崎浩子さんが脱会記者会見を行ってからのことがていねいに描かれています。
米本和広『我らの不快な隣人』の中、
「第13章 水面下の攻防」
に次のような記載があります。
今から振り返ると、閉じた循環運動の原型は、山崎浩子の脱会劇によって完成したのだと思う。
……失踪から1か月半後の4月21日、山崎浩子の顔が突然、テレビに映った。
「このたび統一教会から脱会することを決意しました。私はマインド・コントロールされていました」
反統一教会陣営が勝利した決定的な瞬間だった。
説得にあたった杉本誠牧師は陣営のヒーローになった。
信者家族は「マインド・コントロール」を知り、……拉致監禁は年間400件に増加する。
山崎は1年後に出版した『愛が偽りに終わるとき』で、このときの経緯を明かしている。
<姉たちが“拉致・監禁”をするなんて……。到底信じられないような想いだった。けれど、これは間違いなく、統一教会で何度となく聞かされた“拉致・監禁”だった>
<私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! ……」>
ここに書かれている、山崎浩子さんに関する記述をそのまま読むと、彼女はその著書で、“拉致・監禁”の理不尽さを訴えているかのような印象を受けます。
しかし、実際に彼女の著書を読むと、その反対で、最終的に彼女は、家族による「保護説得」と牧師による説得に感謝しているのです。
米本和広氏の『我らの不快な隣人』は、公平な立場から書かれた優れたルポルタージュだと思いますが、唯一、この件だけは違和感を覚えました。
生まれてくる子供は「神の子」としてあがめられる。三家族で三位基台というのを組んで、どこかの家庭に子供が生まれなかった場合は、他の二つの家庭の中から、その家庭へと子供を養子に出さなければならない。自分の子供は、公の子、教会員全体の宝なのである。
今マスコミで問題になっている「教団による養子あっせん」は、すでに山崎さんの本で書かれていたのですね。
獅子風蓮