創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。
というわけで、こんな本を読んでみました。
佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」
興味深い内容でしたので、引用したいと思います。
日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
□「自国の善をもって自国の悪を討つ」
■自己絶対化に陥らないためには……
□各国・地域で形成される「国民の物語」
□日本に残されたシナリオは何か
□あとがき
――第四部 21世紀日本への遺産
第七章 現代に生きる大川周明
自己絶対化に陥らないためには……
筆者の理解では、われわれの歴史において、日本の国体が危機に瀕したことが二回あった。第一回目は、まさに北畠親房が活躍した14世紀の南北朝の動乱で、第二回目は60年前に終わったあの戦争である。ここで皇統が途絶えるような事態が生じたならば、日本国家も日本人も解体してしまっだことであろう。南北朝の動乱の結果、足利義満が日本国王になり、中国皇帝の臣下となったならば、日本国家は中華帝国の内部に包摂されることになったと思う。第二次世界大戦の結果、皇統が廃止され、日本が共和制になったならば、社会主義革命が起き、「日本民主主義人民共和国」が成立し、人民民主主義の優等生となった日本人が「日本民主主義人民共和国」を「日本ソヴィエト社会主義共和国」に改組し、ソ連邦への加入を申請したことも十分考えられる。そこでは日本や日本人という名称が維持されても、伝統を断ち切られ、文化的に異質な「日本人」の残骸しか残らなかったことであろう。第二次世界大戦直後に、日本の政治・軍事エリートが「大日本者神國也」という国体の本質をアメリカ占領軍に理解させようと試み、これに対してアメリカがプラグマティズムの観点から皇統の維持という決断をしたからこそ、今日、われわれは日本人として生き残ることができたのである。
「大日本者神國也」という日本の国体は、多元論的で寛容な世界観に基づいている。北畠親房が『神皇正統記』で最も警戒したことも自己絶対化の誘惑である。この誘惑に陥らないようにするためには、相対主義、多元主義が必要とされる。 北畠親房は、宗教について、自己が所属する宗派の教説を知らない者が、他の宗派を批判することは重大な誤謬であると指摘し、天皇や大臣は寛容の精神で多元性を担保することが重要であると説く。
天皇としてはどの宗派についても大体のことを知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞれに守護する宗派がある。 一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。人間の機根(人の心性やその動き)もいろいろであるから、教法も多種多様にある。まして自分の信じている宗を深く学びもしないで、ぜんぜん知らない他の宗をそしるのは罪深いことである。自分はこの宗を信じるが人は別の宗を信じており、それでそれぞれに利益があるのである。これもみな現世だけできまったことではなく、前世以来の深い因縁によるのである。一国の君主や、これを補佐する人ともなれば、いずれの教え、どの宗派をも無視せず、あらゆる機会をつかんで利益のひろまるように心がけるべきである。また仏教にかぎらず、儒教・道教をはじめさまざまの道、いやしい芸までもさかんにし、とりあげてこそ聖代といえるのである。(『日本の名著9 慈円・北畠親房』中央公論社、1971年、395-396頁)
小泉改革という流行現象の「事柄の本質」も日本国家と日本人の生き残りだ。ここで小泉純一郎という個人は本質的な意味をもたない。国家には生存本能がある。それが「小泉純一郎的なるもの」として現れていることに意味がある。この「小泉純一郎的なるもの」は以前から存在していた。宇野弘蔵門下の国際的に著名なマルクス経済学者、伊藤誠はこう指摘する。
日本の経済政策の基調は1980年代初頭に新自由主義に転換した。それ以後、20年余が経過している。小泉構造改革もこの基調をひきつぎ、いくつかの面でさらにそれを強化しようとするものとみてよい。(伊藤誠『幻滅の資本主義』大月書店、2006年、35頁)
筆者もこの見解に基本的に同意する。しかし、1980年代初頭から経済官僚が導入しようと腐心した新自由主義政策は、日本国家エリートの中にある社会民主主義的傾向やケインズ主義的傾向と抗争しながら、徐々にその影響力を強化してきたので、国民の眼には新自由主義の本質が見えにくかった。小泉政権になって、新自由主義はとりあえず「国民の物語」として認知されたのである。「国民の物語」となる以前と後では、思想としての新自由主義がもつ力は本質的に異なるのである。その意味で、「小泉改革」という「国民の物語」の意義を過小評価することはできない。日本の改革は外国の成功例、具体的にはアメリカの新自由主義をそのまま日本に輸入することで可能になるとする慈円型の知性と、改革とは自国の善をもって自国の悪を討つことでなければならないと考える北畠親房型の基本哲学が対峙しているように筆者には見える。慈円が当時の日本の状況を憂えていたことに疑いの余地はない。慈円は中国の百王説が国際スタンダードのドクトリンだから、あと十六代しか続かない皇統にこだわるのではなく、日本は別の生き残りシナリオを考えなくてはならないと警鐘を鳴らしたのであろう。また、慈円は、壇ノ浦の合戦で、「三種の神器」の一つであり、軍事力を象徴する宝剣が海底に沈んだのは史実だから、武力は天皇から武士に移ったという新たな現実に基づいて国家理論を再構築する必要性を訴えたのであろう。新自由主義が国際スタンダードであり、「官から民への移行」が新しい現実なのだから郵政民営化を基本に日本の改革を考えるべきであるとする小泉首相を支持する改革派政治・経済エリートの思考の形は慈円に似ている。
【解説】
新自由主義が国際スタンダードであり、「官から民への移行」が新しい現実なのだから郵政民営化を基本に日本の改革を考えるべきであるとする小泉首相を支持する改革派政治・経済エリートの思考の形は慈円に似ている。
このような歴史理解は初耳です。
獅子風蓮