東日本地区に甚大な被害をもたらした、先日の台風19号。
私が住んでいる立川市でも、多摩川に近い地域の住民には避難勧告が出ていた。
台風が去った翌朝の時点では、大きな被害は報じられていなかったが、
昼頃、知人がSNSに「日野橋が破損して不通になってる」と投稿しているのを見た。
知らない方のために説明すると、日野橋というのは立川市と日野市の間を流れる、多摩川にかかる橋であり、
ここが不通になると、多摩川を渡るには立日橋か市外の石田大橋まで、迂回しなくてはならない。
通勤・通学などに利用している方も多く、交通の要としても大事なポイントであり、
近隣住民にとっては、スエズ運河のようなものである。橋と運河は真逆の性質だが。
私自身は、日野橋はジョギングで利用する程度なので、日常生活に支障こそないが、
平成元年開通の立日橋とは違い、物心ついたときはすでに存在していた、日野橋には多少の愛着はある。
不通から3日たった今日、ちょっと様子を見に行ってきた。
ジョギングコース途中にある池がだいぶ濁っており、普段はたくさん泳いでいる大きな鯉がほとんど確認できず。
大雨でみんな流されちゃったのだろうか。濁っている水面の底にいればいいのだが…。
その一方、高校野球の予選が行われる、市営立川球場は、ほとんど無傷だった(ように見えた)。
球場脇の階段を上ると、日野橋が見えてくる。
通行止めを伝える黄色いテープ、手前にはガードレールが設置してあり、交通誘導員も立っている。
テープの向こうには、調査員らしき方々がいて、そしてよく見ると、橋の一部が明らかにへこんでいる。
なんか、3日前にネットで目にした画像より、ひどくなったような気がする。徐々に沈んでいるのだろうか。
脇道から撮影した写真がこちら。これでは、交通止めも致し方ない。
立川側からだけでなく日野側からも見てみようと思い、先述した立日橋を利用し、多摩川を渡ることに。
モノレールが走っている下に見える赤いラインが、立川と日野を結ぶ立日橋だ。
拡大して撮影したので、実際はそこそこ歩く。下記写真の歩道、左側は川沿いだったため、
草木がなぎ倒されたような跡が残っている。ちなみに、写真中央上部分にある黒点は、この日釣りをしていた方の頭部だ。
一方の右側は、左のテニスコートも、右の野球用グラウンドも特に異常なし。歩道が堤防になったのだろう。
立川市街地は、日野橋&立日橋からはさらに高台にあるため、川の氾濫の心配はなかったが、
この近辺に住んでいる方は、眠れぬ夜を過ごしたに違いない。そんなことを考えているうちに、立日橋に到着。
立日橋から見た日野橋がこちら。
ズームしたのが下記画像。まっすぐではないのがわかる。
また、橋の下を眺めたところ、写真左手前と上半分では、川の色が違うのに気付いた。
左手前は支流の残堀川で、茶色く濁っているのが多摩川だ。なぜそうなるのかわかる人、ぜひ教えてほしい。
日野側の敷地には、写真のような倒木がいくつか見受けられた。台風が原因なのか、前から倒れていたのかは不明。
日野側に渡り、再び写真の歩道を利用し、日野橋に向かう。
少し歩いたところで、写真の立て看板を発見。過去に何度も通ったのに、今日は初めて気付いたよ。
「日野渡船場跡」と書かれたその看板には、
まだ橋がなかった江戸時代には、船で川を渡っていたこと、その船場がこの辺にあったこと、
そして、日野橋が開通した大正15(1926)年に、渡し船が廃止になったことなどが記されてあった。
日野橋は大正、昭和、平成、令和と、と4つの元号をまたぎ、人々の暮らしに役立ってきたのか!
さっき、「物心ついたときからあった」と書いた日野橋が、93年前に竣工されていたとは、今日まで知らなかった。
過去の災害だけでなく、今回の台風にも崩落することなく、結果的に大きな損害を出さずに済んだ、
そんな日野橋を、地元民の私(ただし、税収にはさほど貢献せず)は誇りに思うよ。
日野側の歩道も歩いてみて、橋などの写真を撮った。こちらの草木も、多摩川の氾濫によってなぎ倒されている中、
ずいぶん鮮やかな色の木の実が残っているなと思ったら、釣りのウキだったりして。みんな釣り好きだな。
また、こちら側からも日野橋を撮影したら、橋の真下に調査隊(?)のみなさんがいた。
奥の橋脚には、「立川あるある」の落書きが。さっきとは逆に、地元民として恥ずかしく思う。
日野側は損傷がないためか、橋の下を通ることも可能(立川側は上下とも通行止め)。
今度は、通り抜けた橋の逆側からも撮影。右の照明は立川球場のものだ。
今週末も、高校野球・東京都秋季大会が行われるが、日野側の方は観戦に行くのがちょっと面倒だな。
歩道を上り、日野側の橋入口に。こちらもやはり、交通誘導員が常駐している。
通行止めを知らなかったらしいドライバーもいて、丁寧に説明し迂回してもらっていた。
日野側から眺めた、橋の様子がこちら。丸囲み部分が、へこみ部分。
そういえば、台風の翌日13日は、夜明け前の時間帯は、おそらく通行止めになっておらず、
橋を渡ったドライバーも何人かいたはずだ。途中で損傷に気付き、ビビったのではないかね。
再び立日橋ルートで戻る前に、日野橋・日野側入口そばにある、中華食堂『松月』にて、食事をしていくことに。
ネットにもほとんど情報のないこちらは、ご近所の常連さん相手に営む、家族経営の小さなお店である。
この日はオムライス800円を注文。意外とケチャップ多めで、中華風というより家庭的で、おいしかった。
※付け合わせの野菜が意外と多い
失礼ながら、それほど新しい建物ではなかったので、台風の被害もなく、元気に営業していて安心したよ。
この店については、また別の機会に紹介しよう。
最後に、立川市のHPから拝借してきた、日野橋開通時の画像を掲載しておく。
最後に。日野橋よ、93年間ありがとう。そしてこれからもよろしく!
※当ブログは、日野橋の早期修復及び開通を、心から願っております
私が住んでいる立川市でも、多摩川に近い地域の住民には避難勧告が出ていた。
台風が去った翌朝の時点では、大きな被害は報じられていなかったが、
昼頃、知人がSNSに「日野橋が破損して不通になってる」と投稿しているのを見た。
知らない方のために説明すると、日野橋というのは立川市と日野市の間を流れる、多摩川にかかる橋であり、
ここが不通になると、多摩川を渡るには立日橋か市外の石田大橋まで、迂回しなくてはならない。
通勤・通学などに利用している方も多く、交通の要としても大事なポイントであり、
近隣住民にとっては、スエズ運河のようなものである。橋と運河は真逆の性質だが。
私自身は、日野橋はジョギングで利用する程度なので、日常生活に支障こそないが、
平成元年開通の立日橋とは違い、物心ついたときはすでに存在していた、日野橋には多少の愛着はある。
不通から3日たった今日、ちょっと様子を見に行ってきた。
ジョギングコース途中にある池がだいぶ濁っており、普段はたくさん泳いでいる大きな鯉がほとんど確認できず。
大雨でみんな流されちゃったのだろうか。濁っている水面の底にいればいいのだが…。
その一方、高校野球の予選が行われる、市営立川球場は、ほとんど無傷だった(ように見えた)。
球場脇の階段を上ると、日野橋が見えてくる。
通行止めを伝える黄色いテープ、手前にはガードレールが設置してあり、交通誘導員も立っている。
テープの向こうには、調査員らしき方々がいて、そしてよく見ると、橋の一部が明らかにへこんでいる。
なんか、3日前にネットで目にした画像より、ひどくなったような気がする。徐々に沈んでいるのだろうか。
脇道から撮影した写真がこちら。これでは、交通止めも致し方ない。
立川側からだけでなく日野側からも見てみようと思い、先述した立日橋を利用し、多摩川を渡ることに。
モノレールが走っている下に見える赤いラインが、立川と日野を結ぶ立日橋だ。
拡大して撮影したので、実際はそこそこ歩く。下記写真の歩道、左側は川沿いだったため、
草木がなぎ倒されたような跡が残っている。ちなみに、写真中央上部分にある黒点は、この日釣りをしていた方の頭部だ。
一方の右側は、左のテニスコートも、右の野球用グラウンドも特に異常なし。歩道が堤防になったのだろう。
立川市街地は、日野橋&立日橋からはさらに高台にあるため、川の氾濫の心配はなかったが、
この近辺に住んでいる方は、眠れぬ夜を過ごしたに違いない。そんなことを考えているうちに、立日橋に到着。
立日橋から見た日野橋がこちら。
ズームしたのが下記画像。まっすぐではないのがわかる。
また、橋の下を眺めたところ、写真左手前と上半分では、川の色が違うのに気付いた。
左手前は支流の残堀川で、茶色く濁っているのが多摩川だ。なぜそうなるのかわかる人、ぜひ教えてほしい。
日野側の敷地には、写真のような倒木がいくつか見受けられた。台風が原因なのか、前から倒れていたのかは不明。
日野側に渡り、再び写真の歩道を利用し、日野橋に向かう。
少し歩いたところで、写真の立て看板を発見。過去に何度も通ったのに、今日は初めて気付いたよ。
「日野渡船場跡」と書かれたその看板には、
まだ橋がなかった江戸時代には、船で川を渡っていたこと、その船場がこの辺にあったこと、
そして、日野橋が開通した大正15(1926)年に、渡し船が廃止になったことなどが記されてあった。
日野橋は大正、昭和、平成、令和と、と4つの元号をまたぎ、人々の暮らしに役立ってきたのか!
さっき、「物心ついたときからあった」と書いた日野橋が、93年前に竣工されていたとは、今日まで知らなかった。
過去の災害だけでなく、今回の台風にも崩落することなく、結果的に大きな損害を出さずに済んだ、
そんな日野橋を、地元民の私(ただし、税収にはさほど貢献せず)は誇りに思うよ。
日野側の歩道も歩いてみて、橋などの写真を撮った。こちらの草木も、多摩川の氾濫によってなぎ倒されている中、
ずいぶん鮮やかな色の木の実が残っているなと思ったら、釣りのウキだったりして。みんな釣り好きだな。
また、こちら側からも日野橋を撮影したら、橋の真下に調査隊(?)のみなさんがいた。
奥の橋脚には、「立川あるある」の落書きが。さっきとは逆に、地元民として恥ずかしく思う。
日野側は損傷がないためか、橋の下を通ることも可能(立川側は上下とも通行止め)。
今度は、通り抜けた橋の逆側からも撮影。右の照明は立川球場のものだ。
今週末も、高校野球・東京都秋季大会が行われるが、日野側の方は観戦に行くのがちょっと面倒だな。
歩道を上り、日野側の橋入口に。こちらもやはり、交通誘導員が常駐している。
通行止めを知らなかったらしいドライバーもいて、丁寧に説明し迂回してもらっていた。
日野側から眺めた、橋の様子がこちら。丸囲み部分が、へこみ部分。
そういえば、台風の翌日13日は、夜明け前の時間帯は、おそらく通行止めになっておらず、
橋を渡ったドライバーも何人かいたはずだ。途中で損傷に気付き、ビビったのではないかね。
再び立日橋ルートで戻る前に、日野橋・日野側入口そばにある、中華食堂『松月』にて、食事をしていくことに。
ネットにもほとんど情報のないこちらは、ご近所の常連さん相手に営む、家族経営の小さなお店である。
この日はオムライス800円を注文。意外とケチャップ多めで、中華風というより家庭的で、おいしかった。
※付け合わせの野菜が意外と多い
失礼ながら、それほど新しい建物ではなかったので、台風の被害もなく、元気に営業していて安心したよ。
この店については、また別の機会に紹介しよう。
最後に、立川市のHPから拝借してきた、日野橋開通時の画像を掲載しておく。
最後に。日野橋よ、93年間ありがとう。そしてこれからもよろしく!
※当ブログは、日野橋の早期修復及び開通を、心から願っております