山梨学院の初優勝で幕を閉じた、今年のセンバツ高校野球。
関東・東京7校目には、予想どおり二松学舎大附が選出され、日大三は次点。二松め、初戦であっさり負けやがって…。
三高落選が報じられた数日後、追い打ちをかけるかのように、昨年から何度も噂が流れていた、
小倉全由監督が3月末で勇退することが、ついに発表されてしまった。
(C)日刊スポーツ
前回の高校野球ブログ文末にて、「望み薄かもしれないが、近日中に小倉監督が、続投宣言するのを強く願っている」と記した。
「望み薄かも」と書いた理由は、昨秋の都大会の時点で、観客席にいた三高関係者に近い人物が漏らした情報から、
小倉監督の退任が決定事項であることを、すでに知っていたからである。
さっきの画像を提供してくれた(というか、私が勝手に拝借した)日刊スポーツや、各マスコミの記事によると、
「ヒジ・ヒザが悪く、ノックが思うように打てない」「今後は妻や家族との時間を大切にしたい」「もう完全燃焼した」
などといった小倉監督の発言が、退任を決意した理由として紹介されていた。
それらの言葉に偽りはないだろうが、へそ曲がりかつロクデナシで、妄想癖もある私としては、
「監督は本当に自分の意志で身を引くのだろうか…?」と、つい疑ってしまう。
下衆の勘繰りかもしれない私の疑念は、別の機会に再考察するつもりだが、今はとりあえず、
勇退に水を差すような文言は避け、感謝の言葉を送りたい。小倉監督、長い間お疲れさまでした。
発表から数日後、とあるルートからマル秘情報がもたらされた。要点を記載すると、
「22日は小倉監督最後の練習日で、15時から最後のノック。吹奏楽部・ダンス部がスタンドから応援。OBも参加OK」。
OBも参加OKとのことなので、3月22日はWBC決勝をTV観戦したあと、すぐに三高グラウンドへ。
淵野辺駅からは徒歩で母校へ向かう。なお、この日は東京管区気象台が「桜満開」を発表。
日大三高がある町田市のソメイヨシノは、九分咲きといった印象だが、
小倉さんの最後の練習を華やかに彩るべく、桜たちも奮闘したようだ。
三高入口前の坂を下っていくと、まだ14時前なのに、早くも吹奏楽部とダンス部の応援が聞こえてきた。
あわててグラウンドに向かったところ、応援は別の場所から聞こえており、直前練習だったことが判明。
後述するが、ダンス部=チアガールの声援は、初めて耳にするコールであった。
グラウンド到着後、知人を通じて衝撃の事実が伝えられる。なんと、この日の練習は基本非公開で、
参加OKのOBは野球部のみで、他者はNGだったらしい!
一般生徒や吹奏楽部の父兄、さらには野球部の父兄すらも見学を許されなかった練習に、
知らなかったとはいえ、部外者の私が立ち会ってしまったことは、正直申しわけなく思う。
不満を抱く父兄の方もいるだろうが、私の小倉監督への敬意に免じて、どうかカンベン願いたい。
いろいろ悩んだが、せっかくなので、この目で見た【小倉監督最後のノック】を、以下でリポートする。
現時点で、マスコミが発表している記事では、触れていない部分を紹介したつもりだ。
グラウンドではすでに、現役部員が練習しており、ノックはコーチが担当。
14時30分頃には、吹奏楽部がバックネット裏に整列し、数分後にはダンス部も合流。
普段の試合開始前に行なう、「ロッキーのテーマ」や爆風スランプ「ランナー」などの演奏を開始。
曲に合わせ、ダンス部が「オ・グ・ラ」コールを連呼。どちらも、公式戦以外で聴くのは初めてだ。
14時50分頃、第一次(?)練習が終了。部員がトンボがけを行ない、グラウンドをならす。
その頃、一塁側ベンチ付近には、大勢の元部員=OBがスタンバイ。
平日の昼間にもかかわらず、師匠の最後の練習を見届けるべく、かつての愛弟子たちが来校したのだ。
そのうちの何人かはノックを受けるべく、彼らが現在所属するチーム(草野球含む?)のユニフォームに着替えた。
日刊スポーツの記事によると、「142人のOBが集結し、そのうち25人がノックを受けた」そうだ。
15時になり、小倉監督がグラウンドに登場。すぐに元部員やマスコミ陣が取り囲む。
グラウンド内の撮影は禁止なのだが、OBたちは遠慮なくスマホで撮影しているので、
私もこの日は特別、ということにしていただき、グラウンド脇の金網越しから写真を撮らせてもらった。
ただし、いかんせんアングルも撮影者の技術もよくないため、ノック開始前、小倉監督と愛弟子との対話シーンも、
(C)日刊スポーツ
私が撮ると、こんな画像になってしまう。申しわけない。
OBが内外野の各ポジションに位置取り、現役生がバックアップ。世代を超えた小倉チルドレンに対し、いよいよノックが始まる。
普段の試合前練習では、三木部長がノックを担当しているが、三木さん不在の際は小倉監督が打つこともある。
そのときの打球と比較すると、この日のボールは、詰まった当たりのようにやさしめ。
無論、小倉監督が急激に衰えたのではなく、守る側の技量に配慮したからである。
往時は全員、鋭い打球にも決して怯まぬ三高健児だったはずだが、この日集まったOBの何人かは、
準備運動のキャッチボールなどを見る限り、本気のノックを受けるのは危険に感じた。
最後の練習でケガ人が出るような事態は、小倉さんも避けたいだろうからね。
実際、ゆる~いゴロでも捕球できないシーンも何度か見かけたが、そのたびに監督は、
「しっかりしろー!」などと叱咤し、言われた側も「もう1本お願いします!」と返答していたが、双方とも表情は穏やか。
最初に載せた、日刊スポーツ画像を再掲するが、
かつてのノックでは、鬼の形相で対峙していたと思われる監督と生徒が、この日は互いに笑顔を見せていた。
私も、小倉監督最後のノックを画像で残したかったのだが、こんな写真しか撮れず…。
守備側の名誉のために書いておくが、ボールに慣れてきた後半の打球は、そこそこ速かったよ。
その、守備側の元部員は、往年の名選手ばかりだと思うが、私自身は誰が誰だかほとんどわからず。
卒業後、数年経過しているのも理由だが、私はそもそも、球場バックネット裏での観戦が多いため、選手の顔を見ていない。
この日集ったOB陣は、わかる人にはたまらない豪華メンバーなのだろうが、それを伝えられないのが無念だ。
その中で、判明した数少ない選手が、2001年夏の全国制覇メンバーの一員であった、都築克幸さん。
なぜわかったかといえば、監督がノックの際、「都築いくぞー」と名前を呼んでくれたので。
さっきの日刊スポーツ写真を再掲するが、中央の両肩オレンジの方が、都築さんである。
卒業から20年以上たっているが、今でもスリムな体型を維持しているのはさすが。
この日はサードでノックを受けていたが、現役時代は1番セカンドで大活躍し、卒業後は中日ドラゴンズに入団。
個人的に三高史上最高のセカンドだと思っている、都築さんのプレイが見られたのは光栄であった。
内野ノックが終わり、続いては外野ノック。「レフトいくぞー」の気合とともに放たれた打球は…ショートあたりで落下。
「どうしたー」「届いてねえぞー」などといった、外野陣からのヤジに対し、小倉監督は、
「最近、外野には打ってねえからしょうがねえだろー!」と、苦笑いしながら素直に告白し、球場内が笑いに包まれる。
確かに、小倉さんがノックを担当した21年秋都大会の二松学舎大附戦でも、外野へのノックは白窪コーチに交代していた。
そんな小倉さんを後押ししたのが、バックネット裏の吹奏楽部&ダンス部だ。
普段は選手に使用する応援テーマに合わせ、ダンス部が「かっとばせーオグラ!」と監督の名前を叫ぶ。
初めて耳にする打者・小倉へのコールに、この練習が特別なものであることを、改めて実感させられる。
あとで関係者に聞いたのだが、この日の応援は、吹奏楽部及びダンス部顧問からの指示ではなく、
部員たちが自ら、「小倉さんのために、ぜひやらせてほしい」と志願したらしい。ええハナシや…(涙)。
一般生徒からも愛された小倉監督の打球は、徐々に距離を伸ばしていき、最後はしっかり外野まで到達した。
この日、喝采を浴びていたひとりが、センターを守っていたぽっちゃり体型のOB。
打球になかなか追いつけず、監督からも「タクジー、しっかりしろー!」と、何度か発破をかけられていた。
ようやくボールを捕り、渾身の力でバックホーム。捕手のミットに送球が収まると、場内から拍手が起こった。
彼はおそらく、春の選抜で準優勝した、2010年度チームの平岩拓路さんだと思われる。
現役時代は主に一番センターを務め、スリムで俊足だった平岩さんも、年月を経て大幅に増量したようだが、
それでも、OB142名のうちノックを受ける25名に立候補(?)し、懸命に白球を追うその姿勢には、心を打たれた。
小倉さんと同様、教え子たちも根っからの野球バカが揃っているんだろうね。
15時39分、ノックが終了し、元部員たちが声を揃えて小倉監督に挨拶。
トンボがけのあと、内野陣のみだったが現役部員が再度守備位置につき、監督最後のノックを受ける。
小倉さんも「これが正真正銘の最後」とばかりに、OBへの打球よりも鋭いゴロを放つ。
最後を締めたのはやはり主将。サードを守る二宮に速いゴロが3球放たれたが、軽快な動きですべて好捕。
ノックを終えると、監督はバックネット裏に歩み寄り、吹奏楽部&ダンス部に「みんな、今日はありがとうな!」と挨拶。
16時ちょうど、小倉全由監督の最後の練習が終わった。
その後、OBや一般生徒から監督への花束贈呈があり、グラウンドで日大三の校歌を斉唱。私が撮った画像しかなくてスマン。
公式戦の応援席では、初回、7回、試合終了後と計3回、校歌を斉唱し、応援団長が一礼したのち、
「フレー フレー さ・ん・こう~」と、大声でエールを送り、周囲も「フレッフレッ三高」と続く。
この日の校歌斉唱後もエールを送ったのだが、掛け声は当然、「フレー フレー お・ぐ・らあ~」だ。
応援団長に続けて、その場にいたほぼ全員が、「フレッフレッ小倉、フレッフレッ小倉ー!」と、去り行く監督にエール。
その後は、マスコミ(日刊スポーツ?)の先導により、新旧野球部員が整列し、記念撮影。
二宮主将の「小倉監督ー!」の掛け声に、周囲が「ありがとうございましたー!!」と応えた瞬間にシャッター。
私の見学位置からでは、こんな画像しか撮れなかったが、そのうちどこかのマスコミが、正面写真を公開するはず。
最後は、OBが小倉さんを胴上げ。私は撮影に失敗したが、日刊スポーツの画像があった。
(C)日刊スポーツ
最後まで和やかなムードで湿っぽい雰囲気にならない、明朗快活な小倉監督らしい、最終練習であった。
この日、グラウンドで泣いていたのは、たぶん私だけではないか(恥)。
最初の方で告白したように妄想癖のある私は、
…最後のノックでは、二宮は感極まり、「監督、涙でボールが見えません!」と泣きながら訴え、
「バカ野郎、主将のお前がしっかりしないでどうする!?」と怒鳴る、小倉監督の目からも涙があふれ、
「二宮!」「監督!」と叫ぶ周囲の部員・関係者も、全員がもらい泣き…
なんてシーンを、往路のJR横浜線車内で妄想し、ひとり泣いていたりして(←完全な不審者)。
そんな、涙もろい私が、さらに大泣きしてしまったのが、3月31日の帝京との練習試合であった。
次回高校野球ブログ・「小倉監督最後のユニフォーム姿」につづく。
関東・東京7校目には、予想どおり二松学舎大附が選出され、日大三は次点。二松め、初戦であっさり負けやがって…。
三高落選が報じられた数日後、追い打ちをかけるかのように、昨年から何度も噂が流れていた、
小倉全由監督が3月末で勇退することが、ついに発表されてしまった。
(C)日刊スポーツ
前回の高校野球ブログ文末にて、「望み薄かもしれないが、近日中に小倉監督が、続投宣言するのを強く願っている」と記した。
「望み薄かも」と書いた理由は、昨秋の都大会の時点で、観客席にいた三高関係者に近い人物が漏らした情報から、
小倉監督の退任が決定事項であることを、すでに知っていたからである。
さっきの画像を提供してくれた(というか、私が勝手に拝借した)日刊スポーツや、各マスコミの記事によると、
「ヒジ・ヒザが悪く、ノックが思うように打てない」「今後は妻や家族との時間を大切にしたい」「もう完全燃焼した」
などといった小倉監督の発言が、退任を決意した理由として紹介されていた。
それらの言葉に偽りはないだろうが、へそ曲がりかつロクデナシで、妄想癖もある私としては、
「監督は本当に自分の意志で身を引くのだろうか…?」と、つい疑ってしまう。
下衆の勘繰りかもしれない私の疑念は、別の機会に再考察するつもりだが、今はとりあえず、
勇退に水を差すような文言は避け、感謝の言葉を送りたい。小倉監督、長い間お疲れさまでした。
発表から数日後、とあるルートからマル秘情報がもたらされた。要点を記載すると、
「22日は小倉監督最後の練習日で、15時から最後のノック。吹奏楽部・ダンス部がスタンドから応援。OBも参加OK」。
OBも参加OKとのことなので、3月22日はWBC決勝をTV観戦したあと、すぐに三高グラウンドへ。
淵野辺駅からは徒歩で母校へ向かう。なお、この日は東京管区気象台が「桜満開」を発表。
日大三高がある町田市のソメイヨシノは、九分咲きといった印象だが、
小倉さんの最後の練習を華やかに彩るべく、桜たちも奮闘したようだ。
三高入口前の坂を下っていくと、まだ14時前なのに、早くも吹奏楽部とダンス部の応援が聞こえてきた。
あわててグラウンドに向かったところ、応援は別の場所から聞こえており、直前練習だったことが判明。
後述するが、ダンス部=チアガールの声援は、初めて耳にするコールであった。
グラウンド到着後、知人を通じて衝撃の事実が伝えられる。なんと、この日の練習は基本非公開で、
参加OKのOBは野球部のみで、他者はNGだったらしい!
一般生徒や吹奏楽部の父兄、さらには野球部の父兄すらも見学を許されなかった練習に、
知らなかったとはいえ、部外者の私が立ち会ってしまったことは、正直申しわけなく思う。
不満を抱く父兄の方もいるだろうが、私の小倉監督への敬意に免じて、どうかカンベン願いたい。
いろいろ悩んだが、せっかくなので、この目で見た【小倉監督最後のノック】を、以下でリポートする。
現時点で、マスコミが発表している記事では、触れていない部分を紹介したつもりだ。
グラウンドではすでに、現役部員が練習しており、ノックはコーチが担当。
14時30分頃には、吹奏楽部がバックネット裏に整列し、数分後にはダンス部も合流。
普段の試合開始前に行なう、「ロッキーのテーマ」や爆風スランプ「ランナー」などの演奏を開始。
曲に合わせ、ダンス部が「オ・グ・ラ」コールを連呼。どちらも、公式戦以外で聴くのは初めてだ。
14時50分頃、第一次(?)練習が終了。部員がトンボがけを行ない、グラウンドをならす。
その頃、一塁側ベンチ付近には、大勢の元部員=OBがスタンバイ。
平日の昼間にもかかわらず、師匠の最後の練習を見届けるべく、かつての愛弟子たちが来校したのだ。
そのうちの何人かはノックを受けるべく、彼らが現在所属するチーム(草野球含む?)のユニフォームに着替えた。
日刊スポーツの記事によると、「142人のOBが集結し、そのうち25人がノックを受けた」そうだ。
15時になり、小倉監督がグラウンドに登場。すぐに元部員やマスコミ陣が取り囲む。
グラウンド内の撮影は禁止なのだが、OBたちは遠慮なくスマホで撮影しているので、
私もこの日は特別、ということにしていただき、グラウンド脇の金網越しから写真を撮らせてもらった。
ただし、いかんせんアングルも撮影者の技術もよくないため、ノック開始前、小倉監督と愛弟子との対話シーンも、
(C)日刊スポーツ
私が撮ると、こんな画像になってしまう。申しわけない。
OBが内外野の各ポジションに位置取り、現役生がバックアップ。世代を超えた小倉チルドレンに対し、いよいよノックが始まる。
普段の試合前練習では、三木部長がノックを担当しているが、三木さん不在の際は小倉監督が打つこともある。
そのときの打球と比較すると、この日のボールは、詰まった当たりのようにやさしめ。
無論、小倉監督が急激に衰えたのではなく、守る側の技量に配慮したからである。
往時は全員、鋭い打球にも決して怯まぬ三高健児だったはずだが、この日集まったOBの何人かは、
準備運動のキャッチボールなどを見る限り、本気のノックを受けるのは危険に感じた。
最後の練習でケガ人が出るような事態は、小倉さんも避けたいだろうからね。
実際、ゆる~いゴロでも捕球できないシーンも何度か見かけたが、そのたびに監督は、
「しっかりしろー!」などと叱咤し、言われた側も「もう1本お願いします!」と返答していたが、双方とも表情は穏やか。
最初に載せた、日刊スポーツ画像を再掲するが、
かつてのノックでは、鬼の形相で対峙していたと思われる監督と生徒が、この日は互いに笑顔を見せていた。
私も、小倉監督最後のノックを画像で残したかったのだが、こんな写真しか撮れず…。
守備側の名誉のために書いておくが、ボールに慣れてきた後半の打球は、そこそこ速かったよ。
その、守備側の元部員は、往年の名選手ばかりだと思うが、私自身は誰が誰だかほとんどわからず。
卒業後、数年経過しているのも理由だが、私はそもそも、球場バックネット裏での観戦が多いため、選手の顔を見ていない。
この日集ったOB陣は、わかる人にはたまらない豪華メンバーなのだろうが、それを伝えられないのが無念だ。
その中で、判明した数少ない選手が、2001年夏の全国制覇メンバーの一員であった、都築克幸さん。
なぜわかったかといえば、監督がノックの際、「都築いくぞー」と名前を呼んでくれたので。
さっきの日刊スポーツ写真を再掲するが、中央の両肩オレンジの方が、都築さんである。
卒業から20年以上たっているが、今でもスリムな体型を維持しているのはさすが。
この日はサードでノックを受けていたが、現役時代は1番セカンドで大活躍し、卒業後は中日ドラゴンズに入団。
個人的に三高史上最高のセカンドだと思っている、都築さんのプレイが見られたのは光栄であった。
内野ノックが終わり、続いては外野ノック。「レフトいくぞー」の気合とともに放たれた打球は…ショートあたりで落下。
「どうしたー」「届いてねえぞー」などといった、外野陣からのヤジに対し、小倉監督は、
「最近、外野には打ってねえからしょうがねえだろー!」と、苦笑いしながら素直に告白し、球場内が笑いに包まれる。
確かに、小倉さんがノックを担当した21年秋都大会の二松学舎大附戦でも、外野へのノックは白窪コーチに交代していた。
そんな小倉さんを後押ししたのが、バックネット裏の吹奏楽部&ダンス部だ。
普段は選手に使用する応援テーマに合わせ、ダンス部が「かっとばせーオグラ!」と監督の名前を叫ぶ。
初めて耳にする打者・小倉へのコールに、この練習が特別なものであることを、改めて実感させられる。
あとで関係者に聞いたのだが、この日の応援は、吹奏楽部及びダンス部顧問からの指示ではなく、
部員たちが自ら、「小倉さんのために、ぜひやらせてほしい」と志願したらしい。ええハナシや…(涙)。
一般生徒からも愛された小倉監督の打球は、徐々に距離を伸ばしていき、最後はしっかり外野まで到達した。
この日、喝采を浴びていたひとりが、センターを守っていたぽっちゃり体型のOB。
打球になかなか追いつけず、監督からも「タクジー、しっかりしろー!」と、何度か発破をかけられていた。
ようやくボールを捕り、渾身の力でバックホーム。捕手のミットに送球が収まると、場内から拍手が起こった。
彼はおそらく、春の選抜で準優勝した、2010年度チームの平岩拓路さんだと思われる。
現役時代は主に一番センターを務め、スリムで俊足だった平岩さんも、年月を経て大幅に増量したようだが、
それでも、OB142名のうちノックを受ける25名に立候補(?)し、懸命に白球を追うその姿勢には、心を打たれた。
小倉さんと同様、教え子たちも根っからの野球バカが揃っているんだろうね。
15時39分、ノックが終了し、元部員たちが声を揃えて小倉監督に挨拶。
トンボがけのあと、内野陣のみだったが現役部員が再度守備位置につき、監督最後のノックを受ける。
小倉さんも「これが正真正銘の最後」とばかりに、OBへの打球よりも鋭いゴロを放つ。
最後を締めたのはやはり主将。サードを守る二宮に速いゴロが3球放たれたが、軽快な動きですべて好捕。
ノックを終えると、監督はバックネット裏に歩み寄り、吹奏楽部&ダンス部に「みんな、今日はありがとうな!」と挨拶。
16時ちょうど、小倉全由監督の最後の練習が終わった。
その後、OBや一般生徒から監督への花束贈呈があり、グラウンドで日大三の校歌を斉唱。私が撮った画像しかなくてスマン。
公式戦の応援席では、初回、7回、試合終了後と計3回、校歌を斉唱し、応援団長が一礼したのち、
「フレー フレー さ・ん・こう~」と、大声でエールを送り、周囲も「フレッフレッ三高」と続く。
この日の校歌斉唱後もエールを送ったのだが、掛け声は当然、「フレー フレー お・ぐ・らあ~」だ。
応援団長に続けて、その場にいたほぼ全員が、「フレッフレッ小倉、フレッフレッ小倉ー!」と、去り行く監督にエール。
その後は、マスコミ(日刊スポーツ?)の先導により、新旧野球部員が整列し、記念撮影。
二宮主将の「小倉監督ー!」の掛け声に、周囲が「ありがとうございましたー!!」と応えた瞬間にシャッター。
私の見学位置からでは、こんな画像しか撮れなかったが、そのうちどこかのマスコミが、正面写真を公開するはず。
最後は、OBが小倉さんを胴上げ。私は撮影に失敗したが、日刊スポーツの画像があった。
(C)日刊スポーツ
最後まで和やかなムードで湿っぽい雰囲気にならない、明朗快活な小倉監督らしい、最終練習であった。
この日、グラウンドで泣いていたのは、たぶん私だけではないか(恥)。
最初の方で告白したように妄想癖のある私は、
…最後のノックでは、二宮は感極まり、「監督、涙でボールが見えません!」と泣きながら訴え、
「バカ野郎、主将のお前がしっかりしないでどうする!?」と怒鳴る、小倉監督の目からも涙があふれ、
「二宮!」「監督!」と叫ぶ周囲の部員・関係者も、全員がもらい泣き…
なんてシーンを、往路のJR横浜線車内で妄想し、ひとり泣いていたりして(←完全な不審者)。
そんな、涙もろい私が、さらに大泣きしてしまったのが、3月31日の帝京との練習試合であった。
次回高校野球ブログ・「小倉監督最後のユニフォーム姿」につづく。