日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

六大院と大寶寺(大阪)

2016-06-06 | 仏閣
大阪市天王寺区餌差町にある六大院



山号は大阪高野山。高野山真言宗・別格本山。高野山金剛講大阪市本部。

本尊は不動明王と弘法大師。



寺伝によれば、行基菩薩が創建したと伝えられていますが、詳しいことはわかっていないそうです。
中興は、江戸時代末期の木食祐伝上人による。祐伝上人と、そのあとの代の祐範上人が四国に渡り、四国八十八箇所の霊場寺院の山主により開眼された、四国八十八箇所の石仏を背負い、10数余年の歳月をかけて六大院に奉祀した。

小原孝澄が昭和3年(1928年)に晋山(しんざん)し、住職となり、荒廃していた六大院の復興に努めたが、昭和20年(1945年)3月の空襲により諸堂など、すべてが灰燼に帰した。昭和29年(1954年)に本堂の落慶法要を厳修した。

また、小原孝澄は、戦中・戦後に荒廃し、中絶していた摂津国八十八箇所霊場を復興するために力を尽くした。昭和55年(1980年)1月に札所寺院の結集がなり、摂津国八十八箇所霊場が復興するに至った。(Wikipediaより)

門前には「大阪高野山六大院」という碑が建っています。




天王寺区生玉寺町の大寶寺(だいほうじ)



文禄2年(1593)3月15日、桓蓮社霊誉上人が島之内大宝寺町に創建。

元和年間(1615~1623)、徳川幕府による大坂夏の陣後の戦災復興都市計画の一環として現在地に移転。跡地には近年まで「大宝寺町」の地名が残っていた。

大阪大空襲の難を逃れた数少ない寺院のひとつでもある。

享保年間(1716~1735)建築の地蔵堂・観音堂などとともに、類焼を防いだ円形の防火水槽が今日も姿をとどめている。

浄土宗教校大阪支校発祥の地としても知られる。
(大阪新四十八願所阿弥陀巡礼HPより)



壁の赤が目を惹きます。

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コメント (2)
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