1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立した天球院の開山は江山景巴。
本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。
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内部の襖絵と杉戸絵あわせて152面は、狩野山楽・山雪の作とされています。
開祖開祖は妙心寺百四十世江山景巴(こうざんけいは)無尽燈光禅師。寛永8年(1631)、池田光政の伯母天球院殿が自分の永代追善のために、江山を請じて創建した菩提所塔頭)。天球院殿は因幡(いなば)島根県の若桜(わかさ)鬼ヶ城の城主山崎家盛の室であった。寺地は寿聖(じゅよしょう)院から譲り受けているが、現方丈重文は創建よりやや下った寛永期のものである。明治維新まで岡山、鳥取両池田(いけだ)家の菩掟所として外護(げご)を受けていた。方丈内には狩野山楽・山雪筆の著名な障壁画(重文)があり、また藤原宣房(ふじわらのぶふさ)筆の「法華経陀羅尼重文」が擁されている。 (妙心寺HPより)
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本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。
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内部の襖絵と杉戸絵あわせて152面は、狩野山楽・山雪の作とされています。
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開祖開祖は妙心寺百四十世江山景巴(こうざんけいは)無尽燈光禅師。寛永8年(1631)、池田光政の伯母天球院殿が自分の永代追善のために、江山を請じて創建した菩提所塔頭)。天球院殿は因幡(いなば)島根県の若桜(わかさ)鬼ヶ城の城主山崎家盛の室であった。寺地は寿聖(じゅよしょう)院から譲り受けているが、現方丈重文は創建よりやや下った寛永期のものである。明治維新まで岡山、鳥取両池田(いけだ)家の菩掟所として外護(げご)を受けていた。方丈内には狩野山楽・山雪筆の著名な障壁画(重文)があり、また藤原宣房(ふじわらのぶふさ)筆の「法華経陀羅尼重文」が擁されている。 (妙心寺HPより)
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