日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

南町奉行所跡

2014-05-24 | 史跡
東京・有楽町の歴史を追って歩いてみました。

有楽町の町の名前といえば・・・すぐにある人物の名が浮かぶことでしょう。

そう!織田有楽斎です。

現在の東宝ツインタワービルの前から日比谷シャンテにかけて、江戸時代初期、織田信長の弟・織田有楽斎の屋敷があったといわれています。





明治に入り、有楽町の名前がうまれたそうです。

JRのガードをくぐった辺りは、数寄屋橋門のあったところで、有楽町マリオンが、南町奉行所跡で、東京交通会館の通りの南側に碑があります。

今まで何度も通っていながら、この案内板に気付かないでいました。(^_^;)



う~ん、たしかにこれはわかりにくい(-_-;)








東京都指定旧跡

 南町奉行所跡

 江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。

 南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されました。また、「大岡越前守屋敷」と墨書きされた荷札も出土しました。  
 再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用しています。

 所在地 千代田区有楽町二丁目


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
四方さんへ (しずか)
2014-05-24 11:06:34
人通りの多いところなので、仕方ないのかもしれませんが、もう少し目立つような碑の置き方にすれば良いと思うのですが・・・
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有楽町の変遷! (willy_tsuguo_shikata)
2014-05-24 04:50:08
まったく東京は凄い」変わりようですね。
ただ残るのは銘鈑のみですね。でも銘鈑を残すだけでもましですね!
返信する

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