今日は依存性って身近な問題だよねというアウトプットをしていきたいと思います。
依存性って薬物、アルコールとかありますね。最近では、若者(この言い方がもはやおやじ)にゲーム依存性ってものがあるみたいです。
依存性に対する皆さんのイメージってどんな感じですかね。一般的にはだらしないとか意志が弱いとか、自業自得とか、なんなら、どうせまた覚醒剤使うんだから、ずっと刑務所に入れておけばいいなど、とらかというとネガティブなイメージが強いのかなと思います。
でも、そもそも依存ってぼくも含めて誰でも何かに依存して生きているのではないかと思います。例えば、ゴミの山を横目に安価で便利な使い捨てプラスチックの多用。恋愛とか宗教とかも一種の依存です。環境にわるいとか、健康的によくないとわかっていても、生活を送るなかで便利なものにぼくたちは依存してます。
このように何かしらの依存をして生きているぼくたちですが、依存か続いてるなかで不利益が大きいことに気づかない、気づいているにもかかわらず、やめられない状態を依存性と呼びます。
その原因としてよく言われているのが、脳内報酬系と呼ばれる脳の働きであるということです。脳のなかには、側坐核と呼ばれる部位があり、そこは別名、快楽中枢とも呼ばれます。この快楽中枢はドパミンと呼ばれる物質が活性化するとドパドパ放出されます。それが快となりぼくたちに気持ちよさであったり、快感を与えます。
そして、快という感覚を求めてぼくたちはまた刺激を求めていきます。でも、このドパミンは同じ状況が繰り返されると分泌されなくなってきます。なので、量や回数を増やし快を求めていきます。これが依存性のからくりの一つです。
このように書くと快がすごく悪いことのような感じになってしまいますが、生きていく上で快という感覚はとても大事です。不快なまま生きていくと、精神的にも身体的にもいづれ壊れる日がくるでしょう。
では何が問題なのか。それはこの便利になった社会において、あまりにも簡単に快という感覚を得られるようになったことが根っこの問題として挙げられると思います。ネットも普及し、スマホ一つで入手することも、情報を得ることも、何かを買うことも簡単にできます。外に出れば24時間、お酒を買うことができます。そう考えると、依存性の人は本当にその人だけが悪いのか、その人だけの問題なのでしょうかと考えさせられます。
じゃあ、諸外国みたいにお酒は夜しか買えないようにしますとなったら、ぼくは嫌だ!と意見を述べると思います(笑)。
結局はもちろん個人の問題もあるとは思いますが、社会全体の問題であるという認識が大切であるというのが、行きつくとこなのかなと思いました。
その個人の問題からしても、成育環境も多分に影響を受けます。虐待や愛着障害も影響あるでしょう。学校や会社でのいじめも影響あると思います。個人的な因子は実は環境の因子とも密接につながります。依存性は遺伝しないと今のところは言われていますが、遺伝はなくとも連鎖はされる可能性はぼくは高いとみてます。
巷で最近騒がれている、オーバードーズ、YouTubeやSNSの承認欲求はじめ、依存性は今後ますます、多様化、複雑化していくと思います。これも社会と密接に繋がっているからです。
大切な視点は、依存性は特別なものではなく、ごく身近に存在する。それを前提条件として、家族や自分が陥った際に、如何に向き合っていくかを考えていくことなんだろうなと思いました。
最後まで読んでいただいた皆さんは、どのように考えますか?ぼくはこのブログを書いていくと、少なからずイイねを求めている自分に気づきます。ただの自分のためのアウトプットであると決めているのに。この欲求が満たされ、次の快を得るためにどんどん過激になっていく…のめりこんでいく…そんなぼくにならないよう気を付けます。
まぁ…そもそも読まれていないから大丈夫だな(笑)それではまた!
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