ただ、ただ、ぼくのアウトプットの場です。

厳密日記ではないけど、日記として記してます。毎週基本的に、火曜、木曜、土曜の午前中に更新します。

鴨川シーワールドのシャチ。

2023-12-25 22:20:00 | 日記
今日は千葉県鴨川市にあります、鴨川シーワールドについて書きたいと思います。今日は気づきというか、感想です。

ぼくは基本、水族館が小さいころから好きです。ぼくは40歳を超えても泳げないのですが、水の恐怖と魚に対しての神秘性であったり畏怖も重なり、怖いものみたさもあって逆に好きなんだと思います。

子どものころは、よく神奈川県油壺にあった油壺マリンパークに毎週のように連れていってもらってました。#イルカのショーが特に凄かった!

話しを戻しますね。鴨川シーワールドはなんといってもシャチです。日本の水族館でシャチに会えるのは、この鴨川と名古屋です。

鴨川シーワールドにおいてはシャチのショーを観て楽しむことができます。想像以上に大きく、迫力もあり、普通に濡れる可能性もあるので、ドキドキ感もあり魅了されます。また白と黒のコントラストのせいもあるのか、とてもかわいく見えます。

シャチのショーの魅力を勝手に自分なりの視点でご紹介します。現在鴨川シーワールドには、4頭のシャチがおります。人間と同じで、それぞれに個性があります。もちろん脳の発達も進んでいるので賢いです。

この4頭とトレーナーが織り成すショーは、正確に言うと楽しめるというより、感動を与えてくれます。その理由を3つあげてみました。

①シャチとトレーナーの信頼関係

ショーのなかでも、ショーとショーの合間でもシャチとトレーナーの信頼関係を垣間見ることができます。トレーナーはシャチにたくさんの愛情を体全体を使って伝えます。そしてシャチはトレーナーの指示や合図に健気に応えていきます。

その姿は一度見ただけでも、観客にも伝わってきます。言葉が通じないなか、信頼関係を築くのに、どれほどの壁を越えてきたか。その日々を想像しながら、目の前のショーを観ていると、胸にグッとくるものがあります。

② シャチも気分によってはショーに参加しない。

シャチは見てると気分屋的なところがあります。日によっては4頭すべて、本プールではなく、サブプールに控えることもあります。一頭も出てこないときは、出てくるまで無人のプールを眺めるだけになります。賢く、頭も良いからこその出来事でもあります。観ている側としては、今日の気分はどうなんだろうか…何頭でショーをするのかな…最後まで気分よく演技をみせてくれるのであろうか…などなど、ハラハラ感もあるので、最後までやりきったシャチとトレーナーの姿をみると余計に感動します。

③トレーナーさんの努力

これも見たらわかるし、見なくても容易に想像できることではありますが、やっぱりトレーナーの演技も素晴らしいので見いってしまいます。自分の体力づくり、ショー演技の練習、サインや合図の習得、シャチの世話やシャチとの関係性作り、ショーの公演にあたっての構成等の打ち合わせなど、トレーナーさんの負担ってすごく大きいんだろうなぁと思います。自分一人で進めていけるのであれば、まだ楽なのかもしれませんが、シャチも含めたチームプレーなので、チームワークも考えて意識しないといけないのだと思います。

以上3つがぼくが考える、シャチのショーの魅力です。

今は情報が溢れていますし、流行り廃たりの回転も早い時代です。常に新しいモノを求めていく傾向もあります。

そのなかで、このシャチのショーは基本的には全体的な構成変わりません。もちろん日によって、前述したようにシャチの気分によって、細かくみるとショーの内容を変えてはいますが、基本変わりません。

でも逆に基本を変えなかったことにより、このショーの精度は高まってきたのではないかともとれます。つまり毎日毎日より改善を積み重ねてきたことにより、現在の魅力溢れるショーになったのではないかと思います。

あとこれも大事な視点だと思うんですが、ぼくは一人で来ることもあるのですが、大抵は子供を連れていきます。そうすると自然と子供もシャチが大好きになります。そして、大人になり、うちの子供が家庭をもち、その子供を連れてシャチを観に行く…そこには自分が子供のころに観ていたシャチのショーが展開されている…思い出とともに素敵な時間を過ごすことができる…。

ショーの構成がガラッと毎年、毎年変わってしまうと思い出が霞んでしまいます。時代とともに変えていく変化も大切だとは思うんですが、変えてはいけないモノも確かに存在します。その見極めってとても大切だと思います。

ぼくも仕事において、変えていくモノ、変えてはいけないモノを意識して、考えていかないとなぁと鴨川シーワールドから気づかされました。

皆さんも変えてはいけない、本質的なモノはお持ちですか?たまには振り返ってみてもいいかもしれませんね。それではまた。お元気で。



価値ってなんだろう?

2023-12-24 07:00:00 | 日記
ぼくは仕事で何かモノを売っているわけではないので、商品は何かと考えると自分自身になります。

商品に価値を与える。付加価値をつけることが大事だとも言われたりしますが、ぼくにとってのそれは、ぼく自身の価値を高めていくことに他なりません。

ではそもそも価値ってなんだろうか…?と常々考えてるんですが、今読んでいる本に一つの答えが出てました。#本って最高

そこには「価値」を定義すると、それは「価値とは変化である」と書かれてたんですね。

商品やサービスを通じて相手に変化を提供できれば、その商品サービスは価値をもつということです。#ナイス定義!

なるほど!とぼくは大きく頷いてしまいました。会社とかでよく、うちの商品の価値を高めていこう!とか上司が言ったりしますが、価値の捉え方なんて人それぞれですし、従業員も抽象的過ぎて聞き流しちゃったりします。ただ、このように具体的に言語化して定義されるとわかりやすいですね。

さらに本には、変化があればどんなものでもいいとわけではなく、自分がほしい変化はあるけど、自分一人では達成できない変化(自分で頑張ってやってみたけど、一人では実現できない変化)が大切ですとも付け加えられてました。

例えば毎日の食器洗いが大変で、時間もかかるし、手間もかかるし大変だとします。ただ、食器をなるべく使わないように献立てを考えたり、セットを考えるのも毎日だと大変です。

そこで食洗機というツールで、考える手間、作る手間、片付ける手間を減らし、時間もできるようになればこの商品を買いたいとも思うし、食洗機という商品の価値も高くなると感じられますよね。

このように、食洗機を使用前と使用後の価値を言語化していくと、食洗機の価値はより高めていけるとありました。

今日の読んだ本をぼくの生活に落とし込んでみると…

お客さまが自分一人だと何をしていいかわからない。今後どのような対応が必要なのか。など自分一人だとなかなか大変で達成できないことを、ぼくを買ってくれる(報酬を払うことによって)ことによってその人の悩みや不安が解消できればぼくの価値を提供できた、価値を高めることができたとなるのではないかと思います。

価値を高める=ぼくがお客さんに与えられる変化の幅を広げる。この定義を意識してこれからもやっていきたいと思います。

それでは、よい1日をお過ごしくださいませ。

自分の正義を振りかざす先には。

2023-12-23 07:00:00 | 日記

①『尾石晴さん』の話を聴いて

職場まで車でゆられて片道40分くらい(田舎道だから都会と比べて距離あるよ。信号少ないし)。

ぼーっと運転してるのも時間がもったいないので、ぼくはいつも出勤時も帰宅時も音声アプリのボイシーを聴いてます。

お気に入りパーソナリティー(お話しする人のことね)は何人かいるのですが、そのうちの一人が「学びの引きだしはるラジオ」という番組?テーマで配信している尾石晴さんです。

ぼく個人的に声も好きで、お話しもサラサラ感(ぼくの表現が絶望的)があって聴きやすく、なにより学びになります。まさに番組名?通り、学びを引きだしてくれます。

今日の内容は『人間同士の争いの行く着く先は妥協でしかない。』でした。

テーマだけ聞くと「妥協」って消極的なイメージですが、お話しを聴いてみると世界規模でみても、個人的にみてもとてもとても大切な考え方だと思いました。

内容はぜひ聞いてみてもらえればと思いますのでぼくは端的に…

②正と悪の二元化論

平成の仮面ライダープロジューサーの白倉伸一郎氏のお話しを通じて正義についてお話しされてました。

仮面ライダーとか戦隊レンジャーものって正義対悪者って二元化論の構図じゃないですか?特に昭和生まれのぼくの仮面ライダー時代はそうでした。それはそれでカッコよかったですし、憧れました。

でも白倉伸一郎氏はここに「?」を持ってました。特に仮面ライダーってもともとは人間なんです。神や仏など、争いを俯瞰的にみれる立場のものであれば正義ってわかる気はするけど、そこは人間対人間の構図が成り立ち…。

そうなると絶対正しいことばかりして生きてきたわけではないし、ぼくが今日から仮面ライダーになって正義の味方だ!ってなっても、この正義の定義は?とかちょっと後ろめたさを感じるなと思います。

あと悪者も悪者でそこには正義があるのでは…と思ったりもします。

白倉伸一郎氏はそのあたりを踏み込んで平成の仮面ライダーシリーズをプロジュースされていきました。

ちなみにぼくの1番好きな仮面ライダーシリーズは「仮面ライダー555(ファイズって呼ぶんですよ)」で、まさにこの世界観で造られています(詳細はWikipediaで)。

自分の正義は誰かからみると、誰かの悪で、自分の正義を強く押し付けていくと争いやいざこざが起こる。これが民族、宗教、国同士の正義の強引な押し付け合いになっていくとその先には紛争や戦争などにつながっていくのではないか。

もしその過程でお互い妥協という考えがあったのであれば、今までの歴史を振り返っても多くの巻き沿いになった人々も、命を落とすことなどなかったのではないかとも考えられます。

自分の正義を強引に押し付ける、主張していく。のではなく、その力を、その労力をより良い妥協点を探っていく知恵につかっていければ、自分たちの負う傷も少なく、周りの関係ない人たちに与える被害も最小限に抑えることができるのではないのだろうか。というお話しでした。

③自分の生き方に落とし込み。

この話しの内容は、ぼくにとって大きな気づきとなりました。ぼくは今人生の大きな転換期を迎えているからです。

40歳を超え、子供もいるなかで妻との離婚問題(急に重い話し。)を抱えているからです。

でも今日の内容を聴いて、お互いの主張や正義をぶつけ合ってきた結果、誰が1番傷を負ってきたか。もうわかりますよね。反省しかないです。

お互いがより良い妥協点を話し合っていけるように、今日から’また歩みを進めていきます。

素敵な気付きをありがとうございました。

皆さんも、今日もより良い1日でありますように。