細野豊「地の上へ散るだけの」(朝日新聞夕刊、2020年01月22日=西部版)
細野豊「地の上へ散るだけの」は「意味」が強い。嵯峨信之の詩に「自由画というものがあつた」(『小詩無辺』)に「言葉は/言葉以外の意味にあふれている」という二行があるが、細野の詩の場合、どうだろうか。
花(あるいは木)と蝶が対比される。蝶は「自由に飛べる」。これに対して花や木は「自力で動けない」。このことと「詩」が結びつけられる。詩は、自由に飛べる(動ける)ものが生み出すものだ。それが細野の「意味」の基本だ。そして、自由に跳ぶ(動く)ということは、自己以外のものと自由に接触することだ。「誘われ」「味わい(蜜を吸う)」「影響を受ける(花粉を浴びる)」。その結果として蝶は「より美しくなる(華やかに色づく)」。
とても整然としている。
この整然さは、たぶん、細野が翻訳をやっていることと関係があると思う。翻訳がつたえるのは「論理」である。論理的に整然としているものは、「意味」をつたえやすい。
でも「意味(論理)」だけでは詩にならない。
細野の場合、「意味/論理」以外のものとはなんだろうか。リズムだと思う。私は、リズムを感じる。
一連目は一種の対句だが、対句にはリズムがある。応答のリズムである。それは二連目に引き継がれ、三連目は二連目と別の「対」をつくる。向き合う。
四連目で、転調する。五連目へ引き継がれる。「自由に飛べる」「自力では動けない」という「意味」を「四季」の並列で展開し、補足する。
そして、結論。
ことばの展開の仕方そのものに「起承転結」を踏まえた論理のリズムがある。
これが、細野のことばを詩にしている。
一方、こういうことも言える。
「論理」というものは、いつでも「反論」を対の形で用意することができる。
落ちてふたたび枝に帰る
蝶よりも
地の上へ散るだけの
花が愛しい
たとえ偽りの蝶と
揶揄されようと
運命を生きるから
詩が生まれる
蝶も鳥も人間も
自由に生きていると思っているから
詩を書かない
ここからあとは、そのまま細野のことばを借用する形で書くのは難しいが、自己のあり方をそのまま受け入れ、変化していく世界のありようを「真実」として受け止めるという展開も可能である。春夏秋冬、すべては変化する。「真実=詩」は、変化するという動詞の中にこそある。自分の変化は「見かけ」にすぎない。自己を超える「変化する/流動する/何かを生み出しつづける」という運動の中にこそ、世界の秘密(存在の秘密)があるということも可能である。自分で動ける、自分が動いているという意識では、「自在=自由」ないのちの誕生に出会うことはできない。
もちろん細野は、こういう反論があることを承知して書いているだろう。
だからこそ、最終蓮の「華やかな色」を自分で選びとったというよりも、花から与えられたもの(運命)として書くのだろう。
「色づいた」ではなく「色づいて」と、それにつづくことばを読者にまかせている。方向は与える、しかし決定はしない。この最後のことば、「決定しない」ことば、ことば以外というよりも、ことばの「先」へ、読者は自分で進んで行かないといけない。
*
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細野豊「地の上へ散るだけの」は「意味」が強い。嵯峨信之の詩に「自由画というものがあつた」(『小詩無辺』)に「言葉は/言葉以外の意味にあふれている」という二行があるが、細野の詩の場合、どうだろうか。
地の上へ散るだけの
花よりも
落ちてふたたび枝に帰る
蝶が愛しい
たとえ偽の花と
揶揄されようと
自由に飛べるから
詩が生まれる
木も枝も花も
自力では動けないから
詩は書けない
夏 木は時を惜しむ蝉の叫びに揺すられ
秋 肌に染みついた悲しみは風に運ばれ
冬 詩を抱きつつ厳しい寒さに裸を曝す
春 蛹からかろうじて抜け出し
じわじわ身を広げる蝶は
甘い匂いに誘われて蜜を吸い
花粉を浴びたら いつの間にか
翅が華やかに色づいて
花(あるいは木)と蝶が対比される。蝶は「自由に飛べる」。これに対して花や木は「自力で動けない」。このことと「詩」が結びつけられる。詩は、自由に飛べる(動ける)ものが生み出すものだ。それが細野の「意味」の基本だ。そして、自由に跳ぶ(動く)ということは、自己以外のものと自由に接触することだ。「誘われ」「味わい(蜜を吸う)」「影響を受ける(花粉を浴びる)」。その結果として蝶は「より美しくなる(華やかに色づく)」。
とても整然としている。
この整然さは、たぶん、細野が翻訳をやっていることと関係があると思う。翻訳がつたえるのは「論理」である。論理的に整然としているものは、「意味」をつたえやすい。
でも「意味(論理)」だけでは詩にならない。
細野の場合、「意味/論理」以外のものとはなんだろうか。リズムだと思う。私は、リズムを感じる。
一連目は一種の対句だが、対句にはリズムがある。応答のリズムである。それは二連目に引き継がれ、三連目は二連目と別の「対」をつくる。向き合う。
四連目で、転調する。五連目へ引き継がれる。「自由に飛べる」「自力では動けない」という「意味」を「四季」の並列で展開し、補足する。
そして、結論。
ことばの展開の仕方そのものに「起承転結」を踏まえた論理のリズムがある。
これが、細野のことばを詩にしている。
一方、こういうことも言える。
「論理」というものは、いつでも「反論」を対の形で用意することができる。
落ちてふたたび枝に帰る
蝶よりも
地の上へ散るだけの
花が愛しい
たとえ偽りの蝶と
揶揄されようと
運命を生きるから
詩が生まれる
蝶も鳥も人間も
自由に生きていると思っているから
詩を書かない
ここからあとは、そのまま細野のことばを借用する形で書くのは難しいが、自己のあり方をそのまま受け入れ、変化していく世界のありようを「真実」として受け止めるという展開も可能である。春夏秋冬、すべては変化する。「真実=詩」は、変化するという動詞の中にこそある。自分の変化は「見かけ」にすぎない。自己を超える「変化する/流動する/何かを生み出しつづける」という運動の中にこそ、世界の秘密(存在の秘密)があるということも可能である。自分で動ける、自分が動いているという意識では、「自在=自由」ないのちの誕生に出会うことはできない。
もちろん細野は、こういう反論があることを承知して書いているだろう。
だからこそ、最終蓮の「華やかな色」を自分で選びとったというよりも、花から与えられたもの(運命)として書くのだろう。
「色づいた」ではなく「色づいて」と、それにつづくことばを読者にまかせている。方向は与える、しかし決定はしない。この最後のことば、「決定しない」ことば、ことば以外というよりも、ことばの「先」へ、読者は自分で進んで行かないといけない。
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「詩はどこにあるか」2019年12月の詩の批評を一冊にまとめました。
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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