8月31日の読売新聞(西部版・14版)。アフガニスタンからの邦人救出が遅れたこと(失敗したこと)に関して、3面の「スキャナー」で「解説」している。
そのなかに、政治部・前田毅郎の「作文」が載っている。
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(見出し)自衛隊機派遣 憲法上の制約も
(記事)自衛隊法が自衛隊輸送機の海外派遣に厳しい制約を設けている背景には、自衛権の発動の場合を除いて武力行使を禁止している憲法9条がある。
今回の派遣は、外国で災害や騒乱などの緊急事態があった場合について、邦人らの輸送を定めた自衛隊法84条の4の規定に基づく。同条項は外国人の同乗も認め、「安全に実施することができる」ことが要件として定められている。
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「憲法」を持ち出した後、すぐに論理が破綻している。自衛隊法84条の4の規定を適用すれば、救出ができるではないか。憲法の制約などない。
実際は、何が起きたのか。
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タリバンが全土制圧を宣言した15日以降、首都カブールの国際空港では、離陸する米軍輸送機に国外脱出を図るアフガン人らがしがみつく姿も報じられ、大混乱に陥った。外務省は「安全な輸送」はその時点では不可能だと判断した。
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簡単に言えば、判断が遅れたのだ。韓国は、「憲法」の問題がどうなっているか知らないが、ちゃんと救出している。日本にそれができなかったのは、単なる判断ミスだろう。 それなのに、前田毅郎は問題を「野党」に押しつけている。
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防衛省によると、邦人輸送の準備行為として、ひとまず近隣国まで輸送機を飛ばすことは法的に可能だ。だが、自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねないだけに、外務・防衛両省は慎重に検討を重ねるのが通例だ。
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しかも、記事に書いてあるように、「自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねない」という「予測」があるだけで、実際に野党が反発したわけではない。
問題は。
野党が反発するかどうかではなく、政府が方針を示し、それを国会で論議するかどうかなのである。政府は国会で論議しようとしていない。
緊急事態なのだから、国会を開けばいいではないか。
国会で「日本人を救出するために自衛隊機を派遣したい。そのためには臨時立法が必要だ。時間が差し迫っているから、緊急に議論してほしい」と言えばいいではないか。
国会の場で、たとえば野党が「自衛隊機の派遣はだめだ」と言えば、その野党に対して国民がどう反応するか。国民に判断を任せればいい。議論をしないで、「自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねない」と野党に責任を押しつける。
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自民党内からは、「現行法では今回のような事案に対応が難しいことが明らかになった」として、関連法を見直す必要性を指摘する声も出始めている。
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出始めている、というのんきなことを「指摘」するのではなく、国会を開いて議論しろ、となぜ書かないのか。
国会を開けば、「自衛隊機派遣の賛否」だけではなく、菅の姿勢、救出へ向けての動きが遅かったことへの批判が必ず出る。総裁選、衆院選を気にして、今何が起きているかを見ていない。それが日本人救出に失敗した原因であると追及される。菅は(安倍もそうだったが)、自分が追及されなければそれでいいと考えている。それだけを考えている。
そして、「自分が追及されない」という「保証」の先に「憲法改正」がある。
憲法を改正し「独裁政権」を確立すれば、あらゆる批判(追及)は拒否できる。自民党の改憲草案(2012年)を読めばわかる。「独裁政治」を確立するための改正草案である。国民が権力を縛るという憲法の基本を逆転させ、権力が国民を縛るというのが改正草案の狙いである。
その片棒担ぎのひとりが読売新聞の政治部・前田毅郎である。
アフガン問題だけではなく、コロナ問題も終わっていない。国会を開いて議論しろ、と読売新聞はなぜ書かないのか。
国会を開いて議論すれば、菅が正しいのか、野党が正しいのか、それを国民が判断する。菅が正しいのなら、衆院選で自民党は圧勝するだろう。そういう「圧勝するための機会」を菅は、自分の手で葬っている。菅を支持するのなら、菅に「国会で議論しろ。必ず国民の支持が得られる。衆院選に圧勝できる」と助言すればいい。
議論を促す提言をせずに、「憲法上の制約」と菅の(自民党の)言い分だけを代弁するのはジャーナリストとして失格だろう。