詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(98)

2019-08-28 08:19:49 | 嵯峨信之/動詞
* (小さな港に出た)

ここに来て
海の隅に
緑が休んでいる

 「来て(来る)」「休んでいる(休む)」の「主語」は何か。海の「緑(色)」が港に来て、その港の隅で休んでいる。何もしないで、ただ緑(の色)のままに、そこにある、ということか。
 海はどこまでもつながっている。そのつながりのなかで、つながりから隠れるようにして、そこにある緑。
 それは嵯峨の自画像だ。
 書き出しの「小さな港に出た」の「出る」という動詞がとても興味深い。港に来ようとしていたのではない。歩いていたら港に出会ったのだ。「出会い」の「出る」なのだ。
 それは隠れていた自分自身との「出会い」でもある。

 「油津港」という註釈がついている。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デクスター・フレッチャー監... | トップ | 望月遊馬『もうあの盛りへは... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

嵯峨信之/動詞」カテゴリの最新記事