詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『無垢なる夏を暗殺するために』

2019-08-22 20:45:22 | 詩集
無垢なる夏を暗殺するために
高柳 誠
書肆山田


高柳誠『無垢なる夏を暗殺するために』(書肆山田、2019年08月10日発行)

 高柳誠『無垢なる夏を暗殺するために』は全篇が「無垢なる夏を暗殺するために」と書き出されている。ひとつのイメージがどこまで変化していくか。いや、詩はそんなことを狙ってはいない。

                     そもそも夏にとって
の無垢とは何を意味するのかをきちんと定義しておかなければなる
まい。高原の朝の肌に沁み込んでくる清涼さを無垢の本質とするの
か、海原の果てに沈む夕陽のかぎろいのうちにある揺らめきをその
要諦とするのか、むしろエロティックなまでに爛熟しつくした不眠
の気怠い夜をその実体と捉えるのか、あるいはまた、照りつける太
陽がアスファルトを沸騰させ陽炎をゆらめかせるその灼熱の光をこ
そその具現と考えるのか、といった一つ一つの具体像に対して、寒
冷な議論を経たうえでわたしたちの認識を究極的に一致させていく
必要がある。

 引用は「*無垢の本質」の一部(18ページ)である。さまざまな「無垢」が描かれている。比喩で「定義」されている。その「一つ一つ」に「意味」があるとは私には思えない。
 この詩(詩集)にキーワードがあるとすれば、それは「あるいはまた」ということばだろう。「あるいはまた」とは何か。何でもない。「定義」ということばがつかわれているが、強引にいえば「定義」を拒否し、破りつづける運動が「あるいはまた」である。先に書かれたことばが完結するのを拒み、つねに別のことばに向かって動く。
 もう書くことはない、と書いたあとで、もう書くことないと書くことができたし、もう書くことはないと書くことができるだろうと書いたのは間違いだったかもしれない、とつづけるのに似ている。と、書きながら私が思い出すのはベケットである。ことばは書くことがないとさえ書けるのだから、どう動かしてもかまわないものなのだ。
 「あるいはまた」で行き詰まるなら、こう言い換えればいい。

      いやむしろ、ここで定義そのものに拘泥して現実を狭
めるよりも、今こそ無垢と夏との現実的な関係を考え直す時期が来
ているのかもしれない。

 高柳は「いやむしろ」ということばをつかっている。「いや」といったん否定し、「むしろ」ということばでことばの運動に別の「方向」をつけくわえ、拡散を加速させる。だが、これは「拡散」なのか。そうではないかもしれない。拡散しつづけたものが、ブラックホールのように一点に収斂していくのかもしれない。ブラックホールが光を発し続けながら黒いようなものである。
 だからというわけではないが。
 私はかつてベケットについて「重力の時間」というタイトルで感想を書いたことがある。どこにいってしまったか、もうわからないが「クラップの最後のテープ」とは「クラップの最新のテープ」であり、ことばはただ消えていくのだが、消えるときに、消えていくという痕跡を残すというようなことを書いた。そのとき、ブラックホールを思い浮かべた。もう書くことはない、というところへことばは向かい続ける。
 高柳の詩を読みながら、そういうことを思い出した。
 ここにあるのは何か。何もない。それでもことばは運動しつづけるという「事実」だけが、「記録」として残っている。それは高柳の存在、思考の存在(個性)を意味するのか。まあ、意味するのかもしれないが、意味しないと考えた方がいい。ことばは「個性」さえも拒否し、ただ、運動というものになる。
 ほら、「高原の朝の肌に沁み込んでくる清涼さ」「海原の果てに沈む夕陽のかぎろい」などは高柳のことばではあるが、すでにどこかで誰かが書いたようなことばである。「個性」などないのだ。「個性」を信じないことが「個性」であるというような、逆説でしかないものが、ことば(論理)のなかにある。
 この虚無の音楽を、しかし、私は好きなのだ。
 虚無しかないと知りながら、あるいは知っているからこそ虚無を書く。書かなくても存在するものを、あえて書いてしまう。そこにことばの「力」を感じる。言い換えると、ことばはどんなことがあってもなくなることはないと思う。


 


*

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