細田傳造「うみづきの山」、田中庸介「ひるがお」(「妃」23、2021年08月21日発行)
細田傳造「うみづきの山」は「北韓四題」のうちの一篇。北朝鮮旅行記。「うみづきの山」がいちばん短いので、引用する。
右手をごらんください
女の人が仰向けになって
ねているのが見えます
窓から山が見える
山が
女の人になって
ねているのがみえる
おっぱいがとんがっている
おなかが空に向かってふくらんでいる
彼女は妊娠しています
ガイドの男がうれしそうに告げる
いわれなくてもわかる
この山は
もう一つの山を産む日が近い
ほかにいうことはない
おんぼろバスに
がたびし揺られ
開城までを行った
四篇のなかでは、たぶん、この詩がいちばん「文学的」な要素、「詩的」な感じが少ない。一般的に言われている意味でだが。
バスの車窓から見る山。きっと、名前のない山。でも形が変わっている。だれが最初に気づいたのかわからないけれど、臨月の女のように見える。それを暇つぶし(?)のようにして見ている。「ことば」で説明する。
「ガイドの男がうれしそうに告げる」の「うれしそうに」がとてもいい。なぜ、うれしいのかな? 私は俗な人間だから、女が妊娠するには、男とのセックスが必要。きっとセックスのことを思っているのだと想像する。そういうとき男は「うれしそうな」顔になるものである。
だから、
いわれなくてもわかる
は単に、その山が「妊娠している女に見える」(臨月の女が寝ている姿に見える)ということがわかるだけではないのだ。名もない、なんでもない山。もしかすると、他の人は「妊娠している女」以外のものを想像したかもしれない。でも、このガイドの男は、その山は「名所」ではなく、名前もないことを利用して、自分はこんな想像をしたと言ったのだ。そして、その想像は単に「見える」ものについて語るのではなく、「見える」以前のものについても語ることになる。「想像力」には「過去」がある。それが「いわれなくてもわかる」。なぜか、細田もまた「妊娠している女」から「過去」を想像するからである。
もちろん「妊娠している山」から別のことも(未来も)想像することはできる。それが「この山は/もう一つの山を生む日が近い」だが、そんなことは、どうでもいい。言ってはみたが、それは「ほかにいうことがない」からだ。そういう想像をしているとき、男の顔(細田の顔)は「うれしそう」にはならないな、きっと。
そう考えると「うれしそう」のひとことが、この詩でいかに重要なことばかがわかる。
ひとはいつでも「うれしそう」になる。「うれしい」ことがある。これは、この詩の前にある「ふつうの国」についても言える。「ふつうの国」は「つまらないだろう」と思ってみるが、それでもその「ふつうの国」へ行ってみる。たしかに「ふつう」。そして、「ふつう」ということは、そこには「うれしそうな」顔をした人間がいるということだ。「世界中どこへ行っても同じですね」という一行が「ふつうの国」に書かれているが、「ふつう」「同じ」「うれしそう」重なっている。
ほんとうにいいなあ、と思う。ことばのひとつひとつに、無駄なものが何もない。ことばが肉体の中から生まれてきた瞬間を、そのままに書き留めている。これは、今回の芥川賞を取った誰かの作品とは全く違う。タイトルも作者の名前も忘れてしまったが、あれは余分だことばだけでできていた「虚飾」のようなものだった。細田のことばは、それとは対極にある。
で。
全然関係ないことだが、ふと私は思い出すことがある。何年か前に、一度細田に会ったことがある。韓国であった詩人の集い。テーマごとに分かれて語り合う。私は細田と一緒のグループ。いろんな意見が飛び出す。その意見を聞きながら、これはどう考えても細田の考えていることとは相いれないなあ、細田はきっと違う意見を持っているだろうなあと思い、「細田さんは違う意見なんじゃないですか? 何も言わなくていいんですか?」と水を向けると「私はほかのひとのようには言えないから」というような返事だった。私はそのことばを「私には私の文体がある。ここで議論されているときの文体は、私の文体ではない」と言っているように聞こえた。そのときの衝撃は、非常に大きかった。そうか、細田はいつでも「細田の文体」で語るのだ。そして、その「文体」はテーマさえも決定するのである。私は目の前にあるものに対しては何に対しても反応してしまうので、細田の一種の「禁欲の文体」に驚いたのである。自分の肉体をくぐりぬけてきたことば、それだけを語る。そのことに徹した「文体」の厳しさが、いつも細田を支えている。
*
「文体」ということで言えば、私は田中庸介の「文体」も好きである。「妃」は、いまでは有名詩人が大勢集う同人誌だが、最初のころは田中や高岡淳四(この詩人の「文体」も私は大好きである)ら数人の、それこそ「高貴なことば」をめざす集団だった。つまり、「高貴」になる前の輝かしさに満ちた「文体」の集団だった。のびやかさがあった。いまは、言ってしまえば「高貴」になってしまった集団というところ。だから、ちょっとおもしろくない。みんないい作品だけれど、「わくわく」感が弱くなっている。「高貴」が「当たり前」になっているところが残念。
脱線したが、その田中の「ひるがお」。
この宿のとなりの日本めし屋に
うな丼を買いにいく夢で眼がさめた。
うなぎと言ってもこのあたりのうなぎはごく小さい。
小指の先ほどのぶつ切りが甘ったるい汁で煮込まれている。
白い大きな皿に盛られたスチームライスに
まとめて大きなお玉でぶっかけられる。
田中の文体は「手順」がとてもいい。とても頭がいい人なのだと思う。「手順」が全部「肉体」になっている。そして、その「肉体感覚」が「頭」を隠すところまで行っている。これは、なかなか難しいことである。「妃」には、それこそ「頭」を前面にだし「手順」をひけらかすように書かれた詩もあるけれど、田中の詩は、そういう作品とは違う。
「小指の先ほどのぶつ切りが甘ったるい汁で煮込まれている。」という一行なんか、食べているのか作っているのかわからないくらい。まるで、田中が作って食べている感じ。それは「白い大きな皿に盛られたスチームライスに/まとめて大きなお玉でぶっかけられる。」も同じ。「肉体」を他人と共有している。
細田の詩の「いわれなくてもわかる」に通じるところがある。こういう「肉体でわかることば」が動いていく詩が、私は大好きである。私は「甘ったるい」味というのは苦手だが、ちょっと食べてみたくなる。それは何と言えばいいのか、どこかの食堂へ入って、誰かがおいしそうに食べている(うれしそうに食べている)を見たら、それを食べてみたいという気持ちになるのに似ている。「味」よりも「食べている人間が放つ味(おいしい感じ)」に誘われるのである。
たしか田中には「うどん」を食べる詩があったと記憶している。あれも、うどんが食べたくなるような詩だった。
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