詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

伊藤菜乃香「約束」

2019-09-21 12:38:49 | 詩(雑誌・同人誌)
伊藤菜乃香「約束」(「Nemesis 」創刊号、2019年09月01日発行)

 伊藤菜乃香「約束」を読んでいて、ふと立ち止まる。

「私は愛されているのか
わからない
このままでは
ひどくつかれて
あんまりにもからっぽで
なんのために
ここにいるのか
いないのか
わからない」

 水たまり(正確には「傷たまりの水たまり」)に映った自分に語りかけることばである。「ここにいるのか/いないのか」の「いないのか」がうるさいが、この部分は他の部分と違って非常に生々しい。「ことば」になる前の「声」が動いている。
 「いないのか」という行は「声」を「意味」が壊している。伊藤の書きたいのは、この「声」を破っていく「意味」の強さなのかもしれないが、私は「意味」に反抗する「声」の方に魅力を感じる。

 「声」と「意味」。
 説明するのはちょっとめんどうくさいが(どこまで私の考えていることがことばとして動いていくか見当がつかないが)、私はこんなふうに考えている。
 詩の冒頭の部分。

情動ほろびた部屋の
最小単位になる私
点?疑問符?
ただの記号と化したまま
今日を呼吸で縫いとめる

雨が降るごと涙して
雨音の気配が共鳴する
ガラス瓶の折れ針は
散らばって
ふたたび血のにほひ

 ここには「意味」がひしめいている。「情動」は「私」と同義であり、同義であることによって「私」を「情動」と定義する。そしてそれはたぶん「記号」のように「頭」で整理されたものの対極にある。対極にあると告げることで、「頭(知性/理性)」と「情動」を対比するのだが、対比されたとき「情動」は最小単位(一番小さいもの)になる。つまり巨大な(かどうかはわからないが、少なくとも情動よりは大きい)「知性という枠組み」のなかに「情」は組み込まれる。これを「縫いとめる」という比喩で伊藤は言いなおす。
 この「縫いとめる」(縫う)という動詞が二連目の「針」を誘い出す。その「針」は「折れ針」、つまり折れている。なぜ折れたのか。折れるように、不自然な仕方でつかったからだ。「血」を吹き出させるためにつかったのだ。「血」は「情(動)」でもある。これはそのまま最初に引用した「愛されているのか」ということばへとつながる構造になっている。
 ほかにも「呼応」を探し出せば、もっといろいろ言えるだろう。
 見方次第では、とてもしっかりと構成されたことばの運動、和音のつくりになっている。しかし、それが「構成」されすぎていて、私には窮屈に感じられる。
 最初の引用部分のつづきは、こうなっている。

存在と不在の区別さえつかず
映じる姿見て
初めて安堵する
郵便受とスマホを
日に何度もカクニンするように
私宛の便りがあれば
自分を認識する

 自分を「認識する」ときさえ、自分以外のものを必要とする。それは現代の流儀なのかもしれないが、そうであるからこそ、私は「他人」に頼らずに、どこへ届けるという当てもなく、ただもらした「ひらがなの声」の方に、「生身の存在」を感じる。
 「存在と不在」からはじまる行には「意味」はあるが、「声」がない。「カクニン」と一部をカタカナで書き、そこを読んでくれと言われても、私は身構えてしまう。
 詩を読むとき、私はつまずくことは苦にならないし、むしろその瞬間が好きだが、身構えるのはどうもおもしろくない。
 後半の部分。

まっさかさま
私は落ちた
落ちる落ちる
地球の底の底、闇の闇まで
滑る水底は底なしで
考えることを
止められて
苦しかったわ
悲しかったわ
死んでいくのかと
思ったわ

 「考えることを」から以降が特に楽しい。ここにも「声」がある、と私は感じる。「リズム」が「声」を感じさせるのかもしれない。
 でも、伊藤が書きたいのは、私が「おもしろい」と感じる部分ではないだろうなあとも思う。
 これはこれで、仕方がないことなのだ。






*

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