伊藤芳博『いのちの籠を編む』(ふたば工房、2020年08月10日発売)
伊藤芳博『いのちの籠を編む』には詩に関する文章と憲法に関する文章が収録されている。
憲法で伊藤が指摘しているのは「国民」と「何人(なんぴと)」の使い分けである。この問題を、伊藤は「英文」と比較している。英文というのは、主にGHQ草案のことである。英文そのものも引用されているが、私は英語のニュアンスがわからないので、伊藤の指摘については、それが納得できるとも、納得できないとも言うことができない。
伊藤は、「国民」は日本人を指し、「何人」は「外国人を含む人間」を指していると把握している。しかし、そこには「外国人を含む」という明確な定義が言語化されていないので、結果的に、現在も根強く残っている外国人差別(中国国籍人、韓国国籍人、北朝鮮国籍人)を生み出す「温床」のようになっている、「人権」意識が歪められる結果を生んでいる、と指摘する。
これは丁寧で鋭い批判である。とても多くのことを教えられた。
また「公共の福祉」(現行憲法)と「公の秩序」(自民党新憲法草案=2005年)を比較して、その書き換え(改正)に異議を語っている。
私は「自民党新憲法草案=2005年」を読んでいないので、その全体に対する批判はできないけれど、この「公共の福祉」を「(公益及び)公の秩序」と言いなおしているのは、やはり問題だと思う。
「公共の福祉」を伊藤は「国民の幸福」と定義している。「自分と他人の幸福」について考え、話し合うことを「公共の福祉」の概念だと言いなおしてもいる。ここでも伊藤は英語と比較しながら「福祉」の定義を進めている。
私は「福祉」を「幸福」というよりも「助け合い」と考えている。助け合いといっても、もっぱら困っている人がいれば助けることが「福祉」、つまりだれかが困っているなら困っている人のために自分のできることをしなければならない、する責任があるが現行憲法の「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」(第12条)だと思っている。
ただし、「責任を負う」といっても、いつでもかならず困っているだれかを助けるということはむずかしい。できないときもある。だから、最低限、だれかが困っているだれかを助けているのを妨害してはならないというのが、現行憲法の「公共の福祉に反しない限り」最大の尊重を必要とする(第13条)だと読んでいる。13条は12条の補足。みんなが助け合いをしているとき、それを妨害しないならば好きなことをしていい、と読んでいる。みんなが助け合いをしているから、自分も必ず助け合いに協力しなければならないという義務づけをしているとは読まない。
さらに、伊藤は「公の秩序」を「戦争の放棄」とも結びつけて語っている。その指摘は重要であると思う。
ところで、「戦争放棄」について、伊藤は、「国際紛争を解決する手段としては」ということばの座りが悪い、と指摘している。そして、この「保留」は、「国際紛争を解決する手段として」でなければ、戦争も武力の行使も行ってもよい、というおかしなことになる、と指摘する。( 136- 137ページ)
その指摘を読みながら、私は、少し考え込んだ。
現行憲法に番号をつけて読み直してみた。
日本国民は、
①正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
②国権の発動たる戦争と、
③武力による威嚇又は武力の行使は、
④国際紛争を解決する手段としては、
⑤永久にこれを放棄する。
①は「理念」(理想)の表明。
②は「戦争」というテーマを掲げ、それを「国権の発動によるもの」と定義していると思う。修飾語(定義)が戦争の前に来ているのは、単に、その修飾語が短いからである。
③は「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマを掲げている。
④は「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマの説明ではないのだろうか。伊藤も「修飾語」と認識している。修飾語が長いから、テーマが隠れてしまわないようにするために、後に回したのだろう。
⑤の「放棄する」は「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」を「放棄する」と読むことができる。
④で「武力による威嚇又は武力の行使は」と「は」をつかっているのは、それがテーマであることを指し示しているからではないのか。
現行憲法は、テーマを明示するという文体をしきりにつかっている。(自民党改憲草案では、このテーマの明示を分かりにくくしている。テーマを「一般概念」のようにあつかう文体に変更している。)
伊藤は、このときも英文を参照しながら「文体」を読んでいるけれど、憲法全体の文体との比較も必要なのではないか、と私は思う。
また「国際紛争」は「戦争」かどうかは、意見が分かれると思う。
国が発動しなくても「国際紛争」は起きうるのではないか。たとえば日本近海では、よく外国漁船の「拿捕」がある。日本の漁船が外国沿岸で「拿捕」されることもある。これも「国際紛争」の一つではないだろうか。そう考えれば、そういう「国際紛争」のとき、それを解決するために「武力による威嚇又は武力の行使は」しない(放棄する)といっているのではないだろうか。
というのも、いったん「武力による威嚇又は武力の行使」をしてしまうと、武力衝突は拡大し、「国権の発動たる戦争」につながっていくからである。
伊藤の訳出している、「日本国民は、国権の発動たる戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使を、永久にこれを放棄する」は伊藤の言うように「わかりやすい」文章だけれど、問題は、「は」が「を」になっていること。そして、「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマが「国際紛争を解決する手段としての」という長い修飾語によって見えにくくなっていること。
私はテーマの明示が、憲法の場合は重要なのではないか、と考えている。
このことについて考えましょう、こういうことについては、国には(権力には)こうさせるのをやめよう(禁止しよう)ということを明確にするためには、まずテーマの明示が重要、という文体で書かれていると思う。
第9条は修飾語を省略すれば(骨格化すれば)「日本国民は、戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する」になると思う。「テーマ」は「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」。この二つを「永久に放棄する」。(〇〇は、これを〇〇する、というテーマを先に明示し、それを「これを」と言いなおすのは、現行憲法の文体の特徴の一つである。)
私は英語を話さないのでわからないけれど、英語では重要なことは先に言う。説明は後回しにする。伊藤の引用している英文では「as」をつかって説明を後回しにしているのがよくわかる。その重要なこと(テーマ)が先、説明は後、という「文体」を忠実に再現しようとしたのが、現行憲法の表現ではないだろうか。先にも書いたが「戦争」について「国権の発動たる」が先に来ているのは、それが短いからである。
わかりにくい、あるいはふつうの日本語の「文体」と違う、というのは、考えてみれば憲法のようなものには重要なことではないだろうか。ふつうの日本語にしてしまうと、見えにくくなるものがある。
私がいちばん気にするのは、そこである。
現行憲法について、「翻訳体(翻訳調)の不自然な日本語である」という批判がしばしば聞かれる。「こんな日本語はない」だから、もっとに「日本語らしいこなれた文章」にしなければならない。私は、こういう論理に疑問を持っている。
だんだん書いていることが伊藤の論の紹介ではなくなってきてしまったが……。
いろんなひとが、いろんな立場から憲法を読み直す。自民党の改憲の動きと合わせて、憲法を考え直すというのは重要なことだと思う。いろんな読み方があれば、そこから気づかされることが多い。ひとりでは、わからないことが多い。
衆院選では、絶対に自民党はコロナ対策がうまくいかなかったのは「緊急事態条項」が憲法にないからだと言いはり、改憲をからめて選挙運動をすると思う。その動きに向き合うために、多くの人が憲法を読み直し、何が書いてあるのか考えることが大切だと思う。憲法は、自民党のためのものではなく、国民のためのものなのだ。そして、それをどう読むかは、国民一人一人の「自由」なのだ。自分の暮らしから憲法を読む。人の数だけ、憲法の読み方があっていいはずだと思う。
詩についての文章(一年間の時評)のなかに、こういう文章がある。
「私というの一人の人間には、そう多くの詩はいらない」。これは美しいことばだ。憲法についていえば、私は、その全部の条項を必要とはしない。私には絶対に譲り渡したくない条項がある。そのことはすでに書いたので繰り返さない。その条項を中心にして、憲法を読み直す。そうすると、私にとっての憲法がどういうものかが見えてくる。多くの人が「私にとっての憲法」を語り合うとき、憲法がいっそう身近になると思う。
多くの人の「憲法」を読みたい。憲法学者の憲法ではなく、暮らしからわかる憲法を読みたいと思う。
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