知人の紹介もあり、我が家は猫を飼うことにした。
先にも書いたが、母親の癒しとなれば、との思いで、動物病院からもらったのだ。
名前は大吉。
昭和っぽい名前を着けたのは、父親だ。
僕的にシュナイダーとか、アデルとか横文字を狙っていたのだが、大吉だ。
名前というものは不思議なもので、次第にしっくりとくるのだ。
生後6ヶ月の大吉は、手のひらに乗るほどの大きさだった。
部屋中を駆け回って可愛いものだった。僕は必要以上に大吉を可愛いがった。
だが、母親というと。どうも猫が苦手らしい。一先ず母親の背中に大吉を無理矢理置いてみると、あーー、という。
もう一回やると、あーー、とまた叫ぶ。
こんな感じのリアクションなので、僕は適度に癒されればそれでいい、と思っている。
とはいえ、馴れてくるのであろう。
気がついたら、母親は大吉に、お手、おかわり。を教えていたのだ。
まず覚えないだろう、と思いながらも母親は頑張っていた。
父親はというと、機嫌がよかったら構い、機嫌が悪かったらあしらっていた。
感情の起伏が少々乱れやすいタイプだから、僕は遠くからまたやっているよ、と眺めていたのだ。
弟はというと、ビビっていた。大吉に近づくように促しても、距離を取っていたのだ。大吉を触れられるようになったのは5年目くらいだ。何の拍子で触れたかは覚えていないが、気がついたら、ニコニコ大吉を触っていたのだ。
可愛い家族が増えると、気持ち的に豊かになるのもだ。
だが、根本的な母親の解決にはなっていない。
この場合の解決といえば、やはり弟を施設に入居させてるのが、一番だったのだろう。
世の中には、我が家のような人たちはきっと沢山いるはずだ。
でも、可愛い子だから辛いことを我慢し、この場を耐えしのぐ。と覚悟する親がいるかもしれないが、親が病気になったら元も子もないのだ。
もし、動けなくなったから今度は兄弟の出番だ。勿論、兄弟だから力を合わせて協力するのは決まっているが、やはり身動きを取れなくなる。
知的障がいの子を入居させることは、捨てることではない。
心の奥でこのように思っている親がいるかもしれないが、独り暮らしするのと同じだ。
そして、施設の職員はプロフェッショナル。様々なこちら側の気持ち汲んでくれるはず。
本当はこのように思わなければならなかった。だが、その気持ちが一致する前に母親は癌になったのだ。
また書きますー