母は癌で亡くなり、半年後愛猫も癌で亡くなり、弟は知的障がい者。父親は疲れきっており。僕は今31歳。

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母は癌で亡くなり、半年後愛猫も癌で亡くなり、弟は知的障がい者。父親は疲れきっており。僕は今31歳。④

2021-05-12 23:32:03 | 日記
知人の紹介もあり、我が家は猫を飼うことにした。
先にも書いたが、母親の癒しとなれば、との思いで、動物病院からもらったのだ。

名前は大吉。
昭和っぽい名前を着けたのは、父親だ。
僕的にシュナイダーとか、アデルとか横文字を狙っていたのだが、大吉だ。

名前というものは不思議なもので、次第にしっくりとくるのだ。

生後6ヶ月の大吉は、手のひらに乗るほどの大きさだった。
部屋中を駆け回って可愛いものだった。僕は必要以上に大吉を可愛いがった。

だが、母親というと。どうも猫が苦手らしい。一先ず母親の背中に大吉を無理矢理置いてみると、あーー、という。

もう一回やると、あーー、とまた叫ぶ。

こんな感じのリアクションなので、僕は適度に癒されればそれでいい、と思っている。


とはいえ、馴れてくるのであろう。
気がついたら、母親は大吉に、お手、おかわり。を教えていたのだ。

まず覚えないだろう、と思いながらも母親は頑張っていた。
父親はというと、機嫌がよかったら構い、機嫌が悪かったらあしらっていた。
感情の起伏が少々乱れやすいタイプだから、僕は遠くからまたやっているよ、と眺めていたのだ。

弟はというと、ビビっていた。大吉に近づくように促しても、距離を取っていたのだ。大吉を触れられるようになったのは5年目くらいだ。何の拍子で触れたかは覚えていないが、気がついたら、ニコニコ大吉を触っていたのだ。

可愛い家族が増えると、気持ち的に豊かになるのもだ。
だが、根本的な母親の解決にはなっていない。

この場合の解決といえば、やはり弟を施設に入居させてるのが、一番だったのだろう。
世の中には、我が家のような人たちはきっと沢山いるはずだ。

でも、可愛い子だから辛いことを我慢し、この場を耐えしのぐ。と覚悟する親がいるかもしれないが、親が病気になったら元も子もないのだ。

もし、動けなくなったから今度は兄弟の出番だ。勿論、兄弟だから力を合わせて協力するのは決まっているが、やはり身動きを取れなくなる。


知的障がいの子を入居させることは、捨てることではない。
心の奥でこのように思っている親がいるかもしれないが、独り暮らしするのと同じだ。

そして、施設の職員はプロフェッショナル。様々なこちら側の気持ち汲んでくれるはず。


本当はこのように思わなければならなかった。だが、その気持ちが一致する前に母親は癌になったのだ。


また書きますー


母は癌で亡くなり、半年後愛猫も癌で亡くなり、弟は知的障がい者。父親は疲れきっており。僕は今31歳。③

2021-05-10 21:54:14 | 日記
父親の性格を文字にしたら、そうとうキツイ人間に感じるかもしれないが決してそういうタイプな人ではない。

優しい一面はもちろんある。外に遊びに行くことはなく、仕事が終わったらしっかりと家に帰る。

そして、弟の面倒はきっちりとみる。やはり仕事のストレスは大きいのだろう。

特殊溶接工というのは大変な仕事とのことだ。
父親は気象衛星、ロケットの細かな部品を一人で作っている。
後継ぎもいなく毎日家族の為にせっせと働いてくれている。

じゃあ、お前が継げばいいだろ。と言われるのだ如何せん興味がないのだ。
どうも、僕の性格はとても欠陥的らしく人の言うことを聞かない。

学生時代に戻りたい、という人はよくいるが僕は二度と戻りたくない。
友達関係とかが理由ではなく、席にじっとしているのが嫌だった。

じっと席に座り、同じようなことを聞いている空間が僕にとって地獄であった。
なのでよく図書室にマンガを見に行ったり、保健室のベッドに勝手に寝ていたのだ。

身体を動かすのが大好きなので、じっと座っているのが堪らないのだ。
またADHDということも理由に上げられるはずだ。
今はパーソナルトレーナーという仕事をしている。僕の性格にはあっているとここ最近思い始めたのだ。

我が家は、勉強しろ、いい大学にいけ、一流企業に就職しろ。など高度経済経て生まれた感性は一切ない。

母親は地方から高校卒業してすぐに東京に出てきた。父親は定時制の学校を通いながら仕事するような人だ。

父親はかなり不遇な経験してきた。父親は三人兄弟の末っ子で、姉二人がいる。
小さい頃にアパートが燃えるほどの火事を経験しており、飼っていた動物は全て死んでしまった。
また、お父さんは小さい頃に蒸発し、38歳で病気でこの世を去った。


また、お母さんはそこから内縁旦那とトラブルを抱え、父親達で血みどろの争いがあった。
そして、僕の弟が知的障がいだ。

様々な経験を積んだはずだ、自ら事業を起こし今こうして頑張っている。
決して口に出さないがそうとう辛かっただろう。

何よりも一番辛かったのは母親が亡くなったときのはずだ。
父親のお母さんが亡くなったときは毅然とした態度をとっていたが、母親が亡くなったときは、号泣していた。

父親があそこまで涙を流すのは、人生で初めてみた。
ショッキングであるが、当たり前だとすぐに自負した。

きっと色々と後悔したはずだ、もっと優しくしていれば、良かったとも思ったはずだ。

旅行なんて一切行ったことの家族であったし、引っ越しもしていない小さな家だ。
何よりも、母親にキツイ態度を当たったこともあった。


誰も悪くはないのだろう。だが直せてことは山ほどあった。

弟の嫌々病が原因で、母親は少し痩せたのだ。でも、テレビを見るとさっきの辛さは嘘のように大爆笑している。


だからこそ、あそこまで頑張ってくれたのだろう。
でもある時、限界が来たときがあった。

朝いつものように嫌々病が発動した。ある時弟が母親に対して物を投げたのだ。
少し暴力っぽいことをし始めた。どこで覚えたか分からないが、母親ほ背中をバチンと叩くこともあった。

何度も何度も僕自身、弟を叱ったのだが治ることはない。


どうしようもなく、母親は涙を流した。

もう、どうすればいいか、、、と。


その姿はその後数回見た。
本当に家族は難しい、今は弟を施設に入れること考えているが中々空きがない。
もっと昔から本気で考えていたら、きっと家族の人生は大きく変わっただろうと考えている。


その頃から僕は母親の様子を見ながら、弟を朝送ったり。また母親の負担を減らす為に、母親の買い物には車で付き合ったりしていた。

でも疲れていたのは、間違いはない。
それを知人に相談したところ家族の為に弟を施設に入れることをおすすめしてくれた。

だが、両親的には現実的な提案ではなかったかもしれない。
結局実行に移すことはなかった。

そして、もう一つ。猫を飼っていみたら言われたのだ。





また書きますー。


母は癌で亡くなり、半年後愛猫も癌で亡くなり、弟は知的障がい者。父親は疲れきっており。僕は今31歳。②

2021-05-09 15:17:50 | 日記
弟は気難しい性格ではないが、学校と作業所に行くのがとても嫌だった。
知的障がい者は、手先が不器用な人達が大半。弟もその一人。
小学生になる頃には自分の意思をしっかりと伝えるようになり、学校で軽作業があると、嫌々病が発動するのだ。要するに上手く扱えないものに嫌悪感を抱く。

また、年齢につれ感情が豊かになると、嫌な人を分かってくるようになり、嫌々病が強くなるのだ。
知的障がい者の子は様々おり、暴力的な子もいれば、叫ぶ子もいる。

感情コントロールが上手くないがゆえの賜物だ。
弟はというと、そのような子も見たり、接したりすると恐がっていた。
どのように接していいか分からない人達には、一線引くのは普通だ。
それを自宅で感情的に母親に当たっていたのだ。

これは困ったものだ。

朝は5時くらいから、嫌々病が発動し、イヤー、ママー怒ってるー?、行きたくないー、を機械的に連呼する。
家族がなだめたり、無視したり、色々と対応するも、これを止めないのだ。

小さなモンスター。

学校から帰って来ると、家で大好きなCDを聴きながらニコニコ笑っている。
この時は、学校が面白かったという証拠だ。

笑っているときは、とても可愛い奴だが、少し嫌なことが起きると、ママー、ママーと連呼し母親を困らせたのだ。


恥ずかしいながらも僕は、ずっと実家で暮らしている。
そしてとうぶん実家に暮らすことになるだろう。

今の生活と言えば、朝掃除をして、洗濯を回し、昨日父親が作った晩御飯の残りを食べ、弟を送るという生活だ。
父親は特殊溶接工を一人で経営をしている。家は横浜で、父親と僕は東京で働いてるのだ。
弟の作業所が家から車で15分の場所のため、今のところは弟を中心とした生活をしている。弟は15時に作業所が終わると、父親が最寄りの駅に迎えに行き、16時に自宅に到着する

今はとてつもなく父親に負担がいっている。父親の生活はというと朝は4時に起きて、5過ぎには家を出て、15時前には工場を出る。凄い。と、有難い。

父親と僕は共通認識したことがある。
母親はいかに偉大であったかということだ。

母親は父親の仕事の経理をしていた。それに弟の送り迎えだ。家族だから当たり前といえばそうなのかもしれないが、凄い人だ。
ストレスも全て受け止めいたのだ。
父親は仕事を一人で切り盛りしている、その為ストレスを溜めやすく、またもともとがストレスには強くない性格なのであろう。

弟は知っての通り癇癪を起こす、それが夜ご飯の時に嫌々病が発動したら最悪だ。


父親はキレるのだ。

これも困ったことで、酷いときはテーブルをひっくり返したこともあった、物に当たりテレビまで壊した。
ご飯はもう食べたくない、といい。とてつもなく不機嫌になる。


最悪だ。


昭和的で困ったものだった、母親はこれも堪えてきたのだ。まあ、そんな父親だから機嫌も悪くなりやすい。

疲れていたときは、はっきりと疲れた雰囲気と表情を醸し出すのだ。

一つ歯車が崩れると2つ歯車が壊れるのか家の特徴だ。



また書きます。



母は癌で亡くなり、半年後愛猫も癌で亡くなり、弟は知的障がい者。父親は疲れきっており。僕は今31歳。①

2021-05-08 21:47:54 | 日記
母親が亡くなり半年以上になった!
31歳の僕にとっては色々と考えさせられた日々だ。

そもそも、僕の家は裕福な家ではなく少々お金に苦しんだ一面があったようだ。
そんな中母親はいつも笑顔でニコニコとしておりよくしゃべり、しつこく同じことを話し、ビックリするほど元気な人だ。

そんな中、去年の8月3日に亡くなったのだ。原因は癌だ。
癌が発覚してから半年後亡くなった、とても早かったな、と感じているのだが、見ているこちら側は母親が弱っていく姿を見るのはそうとうなものだ。

辛いを通り越して、地獄だ。
神奈川の癌センターの方々にはとてもよくしてもらった、心底から感謝している。だが、もうあの場所には行きたくな、と思っている。
やはり感情に深く傷ついたものがあったのだろうと、それを今ひしひしと感じてるのだ。

で、よくわからないが僕は今ブログという媒体に載せ、心の奥底に置いている思い出と、感情を乱雑な文に載せ執筆している。
書いているだけで、何処かスッキリしていくような感じ覚えたから書き続けているのだ。
これからどれくらい書くかわからないが見てくれる人がいるなら、一緒に付き合ってもらえたら幸いだ。

書き続けて気持ちが浄化したら嬉しいな、と思っている、マスターベーションのような文かもしれない、楽しいか分からないかが、とりあえず書こうと思う。




母親はきっと疲れていたのだと思う。
その原因の一つは、弟が知的障がい者ということはあるだろう。

弟は10歳下だ。年齢21歳、今は福祉施設の作業所で9時~15時まで働いているのだ。
知的障がいのランクでいうと、A。
所謂、重度の知的障がい者である。笑顔がとても可愛い奴だが、母親に対する甘えはすごく嫌々病が激しい、癇癪持ちの一面がある。

これが母親を困らせていたのだろう。

この続きはまた書きます!