弟は気難しい性格ではないが、学校と作業所に行くのがとても嫌だった。
知的障がい者は、手先が不器用な人達が大半。弟もその一人。
小学生になる頃には自分の意思をしっかりと伝えるようになり、学校で軽作業があると、嫌々病が発動するのだ。要するに上手く扱えないものに嫌悪感を抱く。
また、年齢につれ感情が豊かになると、嫌な人を分かってくるようになり、嫌々病が強くなるのだ。
知的障がい者の子は様々おり、暴力的な子もいれば、叫ぶ子もいる。
感情コントロールが上手くないがゆえの賜物だ。
弟はというと、そのような子も見たり、接したりすると恐がっていた。
どのように接していいか分からない人達には、一線引くのは普通だ。
それを自宅で感情的に母親に当たっていたのだ。
これは困ったものだ。
朝は5時くらいから、嫌々病が発動し、イヤー、ママー怒ってるー?、行きたくないー、を機械的に連呼する。
家族がなだめたり、無視したり、色々と対応するも、これを止めないのだ。
小さなモンスター。
学校から帰って来ると、家で大好きなCDを聴きながらニコニコ笑っている。
この時は、学校が面白かったという証拠だ。
笑っているときは、とても可愛い奴だが、少し嫌なことが起きると、ママー、ママーと連呼し母親を困らせたのだ。
恥ずかしいながらも僕は、ずっと実家で暮らしている。
そしてとうぶん実家に暮らすことになるだろう。
今の生活と言えば、朝掃除をして、洗濯を回し、昨日父親が作った晩御飯の残りを食べ、弟を送るという生活だ。
父親は特殊溶接工を一人で経営をしている。家は横浜で、父親と僕は東京で働いてるのだ。
弟の作業所が家から車で15分の場所のため、今のところは弟を中心とした生活をしている。弟は15時に作業所が終わると、父親が最寄りの駅に迎えに行き、16時に自宅に到着する。
今はとてつもなく父親に負担がいっている。父親の生活はというと朝は4時に起きて、5過ぎには家を出て、15時前には工場を出る。凄い。と、有難い。
父親と僕は共通認識したことがある。
母親はいかに偉大であったかということだ。
母親は父親の仕事の経理をしていた。それに弟の送り迎えだ。家族だから当たり前といえばそうなのかもしれないが、凄い人だ。
ストレスも全て受け止めいたのだ。
父親は仕事を一人で切り盛りしている、その為ストレスを溜めやすく、またもともとがストレスには強くない性格なのであろう。
弟は知っての通り癇癪を起こす、それが夜ご飯の時に嫌々病が発動したら最悪だ。
父親はキレるのだ。
これも困ったことで、酷いときはテーブルをひっくり返したこともあった、物に当たりテレビまで壊した。
ご飯はもう食べたくない、といい。とてつもなく不機嫌になる。
最悪だ。
昭和的で困ったものだった、母親はこれも堪えてきたのだ。まあ、そんな父親だから機嫌も悪くなりやすい。
疲れていたときは、はっきりと疲れた雰囲気と表情を醸し出すのだ。
一つ歯車が崩れると2つ歯車が壊れるのか家の特徴だ。
また書きます。
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