(前編の続き)
六義園の後、紫陽花を見に飛鳥山公園へ移動。
飛鳥山公園は、都内の桜の名所の一つとして知られる公園。約280年前に江戸8代将軍・徳川吉宗が江戸っ子達のために桜を植え開放したのが公園の始まりで、明治8年に上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、現在も憩いの場として親しまれる。
目的の紫陽花は、公園とJRの線路の間の「飛鳥の小径(あすかのこみち)」の片側に、約350メートルに渡り約1,300株が植えられている。隣の線路にはひっきりなしに電車が通るので喧しいのが欠点だが、青・紫・ピンクの紫陽花を愛でながら歩くのは楽しい。
紫陽花を見た後、飛鳥山公園内を一周。園内には紙の博物館、渋沢史料館、北区飛鳥山博物館の3つの博物館があるが、閉館時間が迫っていたので入らなかった。代わりに渋沢史料館そばの旧渋沢庭園で、閉園の準備をする係員に追い立てられながら、国の重要文化財の晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を外から眺めてきた。両建物は3~5月の土日祝日に内部が公開される。桜の時期に花見がてら訪れたいと思う。
【飛鳥の小径】
JR王子駅のホームから見た飛鳥の小径。
【飛鳥山公園】
晩香廬。大正6年(1917)建造。木造瓦葺き平屋建ての洋風茶屋で、レセプション・ルームに使用された。
青淵文庫。大正14年(1925)建造。鉄筋コンクリートの建物で、渋沢栄一の書斎や接客の場として使用された。
青淵文庫の細部。ステンドグラスやタイルで美しく装飾されている。
桜並木。春になると桜色のトンネルになる。
子供達の遊び場に展示されている蒸気機関車。昭和18年製造、昭和47年に廃車になったもの。
蒸気機関車の近くに展示されている都電6080。昭和24年製造、昭和53年まで都電荒川線を走っていた車両。
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六義園の後、紫陽花を見に飛鳥山公園へ移動。
飛鳥山公園は、都内の桜の名所の一つとして知られる公園。約280年前に江戸8代将軍・徳川吉宗が江戸っ子達のために桜を植え開放したのが公園の始まりで、明治8年に上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、現在も憩いの場として親しまれる。
目的の紫陽花は、公園とJRの線路の間の「飛鳥の小径(あすかのこみち)」の片側に、約350メートルに渡り約1,300株が植えられている。隣の線路にはひっきりなしに電車が通るので喧しいのが欠点だが、青・紫・ピンクの紫陽花を愛でながら歩くのは楽しい。
紫陽花を見た後、飛鳥山公園内を一周。園内には紙の博物館、渋沢史料館、北区飛鳥山博物館の3つの博物館があるが、閉館時間が迫っていたので入らなかった。代わりに渋沢史料館そばの旧渋沢庭園で、閉園の準備をする係員に追い立てられながら、国の重要文化財の晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を外から眺めてきた。両建物は3~5月の土日祝日に内部が公開される。桜の時期に花見がてら訪れたいと思う。
【飛鳥の小径】
JR王子駅のホームから見た飛鳥の小径。
【飛鳥山公園】
晩香廬。大正6年(1917)建造。木造瓦葺き平屋建ての洋風茶屋で、レセプション・ルームに使用された。
青淵文庫。大正14年(1925)建造。鉄筋コンクリートの建物で、渋沢栄一の書斎や接客の場として使用された。
青淵文庫の細部。ステンドグラスやタイルで美しく装飾されている。
桜並木。春になると桜色のトンネルになる。
子供達の遊び場に展示されている蒸気機関車。昭和18年製造、昭和47年に廃車になったもの。
蒸気機関車の近くに展示されている都電6080。昭和24年製造、昭和53年まで都電荒川線を走っていた車両。
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