この日は千葉県松戸市内を散策した。この日の最大の見所は「松戸のあじさい寺」本土寺。ちょうど見頃の1万株の紫陽花と5千株の花菖蒲をゆっくり鑑賞した。
参加者は管理人も含め9名で、男性が5名、女性が4名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。
案の定職務放棄して写真撮影にいそしんだが、紫陽花と花菖蒲を堪能できたので大変満足した。本土寺に行ったのは今回で二回目だが、いずれも紫陽花の時期なので今度行くときは紅葉の時期に東漸寺とあわせて行ってみたい。
【コース】
馬橋駅→旧水戸街道→万満寺→水戸街道道標→一里塚→一月寺跡→玉屋→東漸寺→水戸街道道標→本土寺参道→本土寺→広徳寺→大谷口歴史公園→慶林寺→根木内歴史公園→JR北小金駅
(花の写真は当日に撮影。それ以外の写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■高城氏
今回の立ち寄り場所にかかわりの深い一族。千葉氏または千葉氏から分かれた原氏の一族といわれ、15世紀はじめから徐々に勢力を拡大し、戦国時代の末には小金城を起点として、松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、沼南、柏、我孫子などを支配し、東葛地区最大の武将となった。天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東攻めの際に北条軍に加わっていた高城氏は没落したが、江戸時代には旗本として復興した。
■水戸街道
江戸と徳川御三家の城下町水戸を結ぶ日光街道に付随する街道で、五街道に継ぐ重要な街道であった。常陸から奥州の二十余藩の大名の参勤交代や江戸への物資輸送に利用された。距離は29里31町(116km)。
水戸街道には20宿あり、千葉県内の宿場は松戸・小金・我孫子の三宿。今回のコースでは万満寺~旧小金宿~根木内歴史公園まで旧水戸街道を通る。
■万満寺
鎌倉時代・建長8年(1256)に、小金城主の千葉頼胤(よりたね)が真言宗の大日寺を創建したのが始まり。室町時代に臨済宗に改宗、寺名を万満寺に変更。
本尊の不動明王は「中気除け不動」として知られ中気(脳卒中、くも膜下出血など脳出血による半身不随や手足の麻痺)にご利益があるとされる。
山門の仁王像は国の重要文化財。正月三が日と春と秋の大祭で行われる「仁王股くぐり」では、仁王像の両足のすきまをくぐることで無病息災を祈願する行事。
春と秋の大祭で同時に行われる「唐椀供養」では、祈祷の間に中国伝来の器で食事を頂く。徳川家康が鷹狩りの途中に立ち寄った時に差し上げたのが始まりと伝えられ、残さず食べる処に功徳があるとされる。
山門。
仁王像。両足のすきまをくぐるのは難しそう。
本堂。
■水戸街道道標
江戸時代・文化3年(1806)に建てられた道標。「左 水戸街道」「右 印西道」「総州葛飾郡馬橋村」と刻まれている。
■一里塚跡
一里塚は、江戸時代に主要な街道で、日本橋を基点として1里(約4キロメートル)ごとに設置された塚で、旅人の里程や人馬賃銭の目安とされた。一里塚跡は日本橋から6里(約24キロメートル)の地点にあり、現在榎の木が植えられている。
■小金宿
江戸から4番目の水戸街道の宿場。旅籠跡「玉屋」が往時をしのばせる。
■一月寺跡
鎌倉時代・正嘉2年(1258)創建の普化宗の寺院跡。普化宗は中国、唐代の普化禅師を宗祖とする禅宗の一派と伝えられ、坐禅の代わりに法器として尺八を吹き、禅の境地を得るという立場を取った宗派。
江戸時代に徳川幕府の保護のもとに発展し、青梅の鈴法寺、京都の明暗寺に並ぶ普化宗金先派本山として、全国に多くの末寺を持つにいたったが、明治4年(1871)の普化宗廃止により廃寺となった。
現在は他の宗派の寺院になっている。
■玉屋
旧小金宿の旅籠跡。内部は見学できない。
■東漸寺
室町時代・文明13年(1481)創建の浄土宗の寺院。松戸市内の根木内に創建されたが、天文6年(1537)に高城氏が松戸市大谷口の小金城を築城して移ると現在地に移転。江戸時代には関東十八壇林(江戸時代初期に定められた、浄土宗の僧侶養成のための修行および学問所)の一つとなった。徳川家との親交も深く、寺宝の中には「徳川家康公肖像」や「神君(家康)公御返書」、「水戸光圀公の書翰」などがある。
境内には樹齢約300年のしだれ桜があり、開花時期には参拝人や見物客で賑わう。
総門。
参道。
山門。
左側が樹齢約300年のしだれ桜。右側が樹齢400年以上の「亀の松」。
■水戸街道の道標
「右 水戸道中 左 ながれ山へ」、「右 水戸海道」と書かれた道標が2つ並んでいる。
■本土寺参道入り口
江戸時代・文化5年(1808)に建てられた石碑で、「平賀 本土寺道 是ヨリ八丁」と刻まれている。本来長谷寺本土寺の参道はこの地点から始まるが、現在は常磐線により切断されている。
↓宮崎県で口蹄疫被害義援金を募集中です。ぜひご協力を。
参加者は管理人も含め9名で、男性が5名、女性が4名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。
案の定職務放棄して写真撮影にいそしんだが、紫陽花と花菖蒲を堪能できたので大変満足した。本土寺に行ったのは今回で二回目だが、いずれも紫陽花の時期なので今度行くときは紅葉の時期に東漸寺とあわせて行ってみたい。
【コース】
馬橋駅→旧水戸街道→万満寺→水戸街道道標→一里塚→一月寺跡→玉屋→東漸寺→水戸街道道標→本土寺参道→本土寺→広徳寺→大谷口歴史公園→慶林寺→根木内歴史公園→JR北小金駅
(花の写真は当日に撮影。それ以外の写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■高城氏
今回の立ち寄り場所にかかわりの深い一族。千葉氏または千葉氏から分かれた原氏の一族といわれ、15世紀はじめから徐々に勢力を拡大し、戦国時代の末には小金城を起点として、松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、沼南、柏、我孫子などを支配し、東葛地区最大の武将となった。天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東攻めの際に北条軍に加わっていた高城氏は没落したが、江戸時代には旗本として復興した。
■水戸街道
江戸と徳川御三家の城下町水戸を結ぶ日光街道に付随する街道で、五街道に継ぐ重要な街道であった。常陸から奥州の二十余藩の大名の参勤交代や江戸への物資輸送に利用された。距離は29里31町(116km)。
水戸街道には20宿あり、千葉県内の宿場は松戸・小金・我孫子の三宿。今回のコースでは万満寺~旧小金宿~根木内歴史公園まで旧水戸街道を通る。
■万満寺
鎌倉時代・建長8年(1256)に、小金城主の千葉頼胤(よりたね)が真言宗の大日寺を創建したのが始まり。室町時代に臨済宗に改宗、寺名を万満寺に変更。
本尊の不動明王は「中気除け不動」として知られ中気(脳卒中、くも膜下出血など脳出血による半身不随や手足の麻痺)にご利益があるとされる。
山門の仁王像は国の重要文化財。正月三が日と春と秋の大祭で行われる「仁王股くぐり」では、仁王像の両足のすきまをくぐることで無病息災を祈願する行事。
春と秋の大祭で同時に行われる「唐椀供養」では、祈祷の間に中国伝来の器で食事を頂く。徳川家康が鷹狩りの途中に立ち寄った時に差し上げたのが始まりと伝えられ、残さず食べる処に功徳があるとされる。
山門。
仁王像。両足のすきまをくぐるのは難しそう。
本堂。
■水戸街道道標
江戸時代・文化3年(1806)に建てられた道標。「左 水戸街道」「右 印西道」「総州葛飾郡馬橋村」と刻まれている。
■一里塚跡
一里塚は、江戸時代に主要な街道で、日本橋を基点として1里(約4キロメートル)ごとに設置された塚で、旅人の里程や人馬賃銭の目安とされた。一里塚跡は日本橋から6里(約24キロメートル)の地点にあり、現在榎の木が植えられている。
■小金宿
江戸から4番目の水戸街道の宿場。旅籠跡「玉屋」が往時をしのばせる。
■一月寺跡
鎌倉時代・正嘉2年(1258)創建の普化宗の寺院跡。普化宗は中国、唐代の普化禅師を宗祖とする禅宗の一派と伝えられ、坐禅の代わりに法器として尺八を吹き、禅の境地を得るという立場を取った宗派。
江戸時代に徳川幕府の保護のもとに発展し、青梅の鈴法寺、京都の明暗寺に並ぶ普化宗金先派本山として、全国に多くの末寺を持つにいたったが、明治4年(1871)の普化宗廃止により廃寺となった。
現在は他の宗派の寺院になっている。
■玉屋
旧小金宿の旅籠跡。内部は見学できない。
■東漸寺
室町時代・文明13年(1481)創建の浄土宗の寺院。松戸市内の根木内に創建されたが、天文6年(1537)に高城氏が松戸市大谷口の小金城を築城して移ると現在地に移転。江戸時代には関東十八壇林(江戸時代初期に定められた、浄土宗の僧侶養成のための修行および学問所)の一つとなった。徳川家との親交も深く、寺宝の中には「徳川家康公肖像」や「神君(家康)公御返書」、「水戸光圀公の書翰」などがある。
境内には樹齢約300年のしだれ桜があり、開花時期には参拝人や見物客で賑わう。
総門。
参道。
山門。
左側が樹齢約300年のしだれ桜。右側が樹齢400年以上の「亀の松」。
■水戸街道の道標
「右 水戸道中 左 ながれ山へ」、「右 水戸海道」と書かれた道標が2つ並んでいる。
■本土寺参道入り口
江戸時代・文化5年(1808)に建てられた石碑で、「平賀 本土寺道 是ヨリ八丁」と刻まれている。本来長谷寺本土寺の参道はこの地点から始まるが、現在は常磐線により切断されている。
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