生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年1月24日 隅田川クルーズ&浅草・田原町散歩イベント主催(その5)

2010年01月29日 | 都内散歩イベント主催
(その4はこちら


■今日のにゃんこ


浅草の水上バス乗り場の近くで見かけた猫。同じような毛色の猫が3匹いたのでみんな兄弟かな?


上の猫と一緒にいた猫。


■今日の顔ハメ看板


浅草奥山おまいりまち商店街にあったもの。


浅草演芸ホールの前にあったもの。


■おまけ


キティちゃんずくめのはとバス。もちろん車内もキティちゃんずくめ。


浅草寺の裏にあったゲゲゲの鬼太郎の石像。ちょっと顔が怖い・・・


鬼太郎、目玉のおやじ、子泣きじじいの石像になぜかウルトラマンの石像が混じっていた。


浅草の電柱の住所表記。浅草らしいデザイン。


花やしきの前を歩く2本のコロナビール。



うどんをはさんだ箸が上下に動く。


かっぱ橋商店街近くにあったカッパ像。


かっぱ橋商店街の「かっぱ河太郎」像。モデルでもいるのか妙にリアルな造り。

2010年1月24日 隅田川クルーズ&浅草・田原町散歩イベント主催(その4)

2010年01月28日 | 都内散歩イベント主催
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■江戸下町伝統工芸館
台東区内の伝統工芸品を展示。毎週土・日曜日には、職人の実演もある。






■花やしき
幕末の嘉永6年(1853年)に牡丹と菊細工を主とした花園として誕生。明治5年頃(1872)からは遊戯施設が置かれ、珍鳥や猛獣の飼育、西洋あやつり大写真や山雀の芸等で大評判となり、かの大正天皇もお忍びで来園されるほど人気を博す。その後、震災や戦禍により閉園を余儀なくされた時代を経て、昭和24年(1949)に遊園地として再建。
今年の1月11日に「本物の幽霊が出るらしい」とうわさがあるお化け屋敷が閉館したのは記憶に新しい。




■浅草演芸ホール
昭和39年(1964)開業の都内にある定席寄席の一つ。




■伝法院通り
約200メートルの通りで、江戸風の木製看板があったり、屋根の上にねずみ小僧がいたりと江戸を感じさせる仕掛けがあちこちにある。






あっ、ねずみ小僧だ!


■スターの広場
浅草公会堂の正面入口前には、大衆芸能の分野で多くの人々に愛され親しまれた浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など芸能人の原寸手形とサインが並べられ多くのファンに親しまれる。




■テプコ浅草
東京電力のPR施設で、明治期から大正末期まで浅草にあった12階建ての建物の凌雲閣や日本発の映画館の電気館等懐かしい浅草を体験できる展示がそろう。浅草文庫では浅草に関する蔵書4000冊の閲覧が可能。


電気館。


凌雲閣。日本最初のエレベータが設置された建物でもある。写真のエレベータは本物。


浅草公園水族館。明治32年(1899)に浅草四区に開館。


お化け煙突。千住火力発電所の4本の煙突で見る角度によって1~4本に見えたことから名づけられた。


■かっぱ橋道具街
調理道具、食器、厨房設備、製菓用品などを扱う店が170以上ある、800メートルにも連なる専門商店街。日曜日は営業する店が少ない。






おいしそうな食べ物・・・これらは全て食品サンプル。


■はなし塚(本法寺)
昭和16年(1941)建立。当時国は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。落語界では、時局にあわない演題として廓噺や艶笑噺などを五十三種選び、禁演落語として発表、自粛の姿勢を示した。
「はなし塚」は、禁煙落語と落語界の先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一同、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。戦後の昭和21年(1946)に塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。


落語家や寄席などの名前が刻まれたブロック塀。


古今亭志ん生。


はなし塚。


2010年1月24日 隅田川クルーズ&浅草・田原町散歩イベント主催(その3)

2010年01月27日 | 都内散歩イベント主催
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■浅草寺
山号は金龍山。聖観音宗の総本山。「浅草の観音様」として古くより参拝客でにぎわう。
浅草寺の始まりは、推古36年(628)、漁師の檜前浜成(ひのくまはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が、隅田川で聖観音像を網にかけ、それを土師中知(はじのなかとも)が、自宅を寺に改めて安置し、礼拝供養をしたことからとされる。
浅草寺は焼失と再建を繰り返し、近年では、昭和20年(1945)の東京大空襲によってほとんどが焼失したが、伝法院、時の鐘、二天門などは戦災を免れた。


雷門。天慶5年(942)平公雅によって創建され、その初めは駒形付近にあった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて安置されたといわれる。慶応元年(1865)の大火で炎上後再建されず、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器(現在のパナソニック株式会社)創始者松下幸之助氏の寄進により再建。


仲見世。雷門から宝蔵門までの浅草寺への参道で約250メートルの道沿いには江戸時代から商いを続ける老舗を含め、雷おこし、人形焼、江戸玩具、べっこう細工等約90軒の店が軒を連ねる。江戸時代の元禄~享保(1688~1735)のころ浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのが仲見世の始まり。


宝蔵門。昭和39年(1964)に大谷重工業・ホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎氏の寄進により再建。門の下層の正面左右に仁王像を安置し、上部二層に近代的防災設備を施した収蔵室を設け浅草寺の宝物を収蔵。


宝蔵門に飾られる全長4.5メートルの巨大わらじ。魔よけの意味がある。


本堂。昭和33年(1958)再建。本瓦葺の鉄筋コンクリート造。東京大空襲で焼失した旧本堂(旧国宝、3代将軍徳川家光建立)と同じ形。堂内には、秘仏本尊聖観世音菩薩、慈覚大師作の前立本尊や徳川家康、徳川家光などの護持仏であった観音像等が安置される。今年の11月まで修復工事中。


五重塔。昭和48年(1973)再建。天慶5年(942)平公雅が建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭いその都度再建。徳川3代将軍家光により建立された五重塔は明治44年(1911)国宝に指定されたが、東京大空襲で焼失。
塔の正面に現在修復工事中の二天門の二天像(持国天・増長天)が安置されている。


持国天像。


薬師堂。浅草寺に現存する古建築の一つ。慶安2年(1649)、江戸幕府三代将軍徳川家光が建立。


弁天堂。「江の島」(神奈川県藤沢市)、「布施」(千葉県柏市)とともに関東三弁天の一つで白髪のため「老女弁財天」と呼ばれる。


時の鐘。江戸時代、人々に時刻を知らせた鐘で、当初、江戸城中にあったが、江戸市街地の拡大により浅草寺や寛永寺等9箇所に設置された。松尾芭蕉(1644~94)の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘。元禄5年(1692)第5代将軍徳川綱吉の命により鋳造。鐘楼は東京大空襲で焼失し昭和25年(1950)に再建されが、鐘は幸いにも無事に残った。


二天門。重要文化財。元和4年(1618)に建立と言われ、当初は境内にあった東照宮の随身門であった。東照宮は寛永8年(1631)と寛永19年(1642)の二度の火災で焼失したが門は焼け残った。明治初年の神仏分離令で、門の随身像は持国天・増長天の二天像に変わり、門の名も二天門と改称された。


伝法院の庭園。伝法院は浅草寺の本坊で、客殿・玄関は安永6年(1777)建築。建物の背後にある庭園は江戸時代初期の廻遊式泉水庭園(非公開)。


鎮護堂。「お狸さま」と呼ばれ、火防・盗難除けの守護神として信仰が厚い。お堂は大正2年(1913)建立。


■浅草神社
祭神は浅草寺の観音像を発見した檜前浜成命(ひのくまはまなりのみこと)、檜前竹成命(たけなりのみこと)と観音像を自宅に安置した土師中知命(はじのなかとものみこと)。創建年代は不明。三神を祀る神社なので、「三社様」と呼ばれた。慶安2年(1649)に東照宮(徳川家康)が合祀された。毎年五月に行われる例大祭は「三社祭」の名で知られる。


社殿。慶安2年(1649)に徳川家光が再建したもので国の重要文化財。権現造という様式で、本殿と拝殿とを石の間または相の間などの名で呼ばれる幣殿でつなぐ。


「こち亀」の石碑。人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公、両津勘吉の少年時代を描いた「浅草物語」にちなんで建てられた。

2010年1月24日 隅田川クルーズ&浅草・田原町散歩イベント主催(その2)

2010年01月26日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら

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■水上バス
東京都観光汽船株式会社の運行する観光船で、4ラインあり。今回は日の出桟橋と浅草を約40分で結び、隅田川にかかる個性的な12の橋と川沿いの風景が楽しめる隅田川ラインを利用。


日の出桟橋よりお台場方面を望む。


浜離宮恩賜庭園と東京タワー。


築地市場。


勝鬨橋。


中央大橋。


永代橋。


清洲橋。


厩橋。


吾妻橋。


吾妻橋そばのスーパードライホール。フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏が手がけた建物で、屋上の黄金のオブジェは躍進するアサヒビールの心の象徴「炎のオブジェ」。決してウン×ではない(笑)。


建設中の東京スカイツリー。完成後が楽しみ。

2010年1月24日 隅田川クルーズ&浅草・田原町散歩イベント主催(その1)

2010年01月25日 | 都内散歩イベント主催
この日は、水上バスで隅田川を上り、浅草・田原町を散歩するイベントを開催した。参加者は管理人も含め10名で、男性が7名、女性が3名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は5名。多くの方に参加していただけるのは大変うれしい。

今回のコースは以下の通り。
JR浜松町駅→旧芝離宮恩賜庭園→日の出桟橋→水上バスで隅田川クルーズ→浅草で昼食→仲見世→浅草寺→浅草神社→江戸下町伝統工芸館→花やしき→浅草演芸ホール→伝法院通り→浅草公会堂・スターの広場→テプコ浅草館→かっぱ橋道具街→本法寺→東京メトロ田原町駅解散 

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■旧芝離宮恩賜庭園
東京に残る江戸初期の大名庭園の一つで、池を中心とする回遊式泉水庭園。国の名勝に指定。
江戸時代の明暦(1655~1658年)の頃に海面が埋め立てられ、延宝6年(1678年)に4代将軍家綱の老中・大久保忠朝の上屋敷となり、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し「楽壽園」と命名された。所有者はたびたび変わり、明治9年(1876)に芝離宮となり、大正13年(1924)に昭和天皇の御成婚記念として東京市(都)に下賜され一般に公開された。泉水、中島・枯滝などの石組等が見所。


泉水。かつては海水を引き入れた潮入りの池だったが、現在は淡水の池。都会の庭園らしく借景が高層ビル。


泉水と雪見灯篭。


大山。園内一の高台で頂上より園内全体を見渡せる。


大山からの眺め。


枯滝。山渓を流れ落ちる滝を思わせる石組で、河床が通路となっていて通り抜け可能。


西湖堤。西湖は、中国の杭州(現在の浙江省)にある湖で景勝地として知られる。西湖堤は西湖の蘇堤を模した石造りの堤。


中島。中国で仙人が住むと言われる「蓬莱山」を表す。作庭時の石組みがそのまま残る。


海水取入れ口跡。かつては池は潮入りの池で、海水をここから取り入れていた。


寒牡丹。


水仙。


十月桜。