(その2はこちら)
■東京都現代美術館
現代美術の普及・振興を目的に平成7年(1995)に開館した美術館。約4,000点の収蔵作品を活かし、現代美術の流れを展望できる常設展示や大規模な国際展等の特色ある企画展示など、絵画、彫刻、ファッション、建築、デザイン等幅広く現代美術に関する展覧会を開催。美術図書室には約10万冊の美術関係図書を所蔵。
題名が不明な作品。
オノ・ヨーコ「東京のウィッシュ・ツリー(願掛けの木)」。特定の時間帯に作品の中に入ることができる。
ダン・グレアム「有孔スチールとカーブしたハーフミラーの三角形」。三角形の中に入ることができる。
リチャード・ディーコン「カタツムリのようにB」。
■木場公園
平成4年(1992)開園の、約24万平米の都立公園。
木場は、江戸から昭和にかけて木材産業の町として栄えたが、昭和44年(1969)に江東再開発構想のなかの防災拠点の一つとして位置づけられ、木材関連業者が現在の新木場へ移転すると公園として整備された。園内には、シンボルの木場公園大橋、 イベント広場、ふれあい広場、都市緑化植物園、木場ミドリアム(緑の展示所)などがあり憩いの場となっている。
木場公園大橋。背後にスカイツリーが見える。
ふれあい広場。
木場ミドリアム。
都市緑化植物園。
イベント当日のイベント広場では陶器市が開催されていた。様々な産地の陶器が豊富にあり見てみて楽しかった。
■三十三間堂跡
江戸時代・寛永19年(1642)に京都の三十三間堂を模して浅草に建てられたが、元禄14年(1701)に深川に移転。江戸時代には、京都の三十三間堂と同様に通し矢が行われていた。明治5年(1872)に破棄解体された。
■八幡橋
国の重要文化財。明治11年(1878)、東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製造した国産第1号の鉄橋。長さ15.7メートル、幅3メートル。当初は、中央区に弾正橋として架けられたが、昭和4年(1946)に現在の場所に移され、富岡八幡宮の東隣りということから八幡橋と改名された。アメリカ人技師のスクワイアー・ウィップルの特許を基本としたことから平成元年(1989)国内で初めて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が送られた。
米国土木学会「土木学会栄誉賞」の受賞記念碑。
■東京都現代美術館
現代美術の普及・振興を目的に平成7年(1995)に開館した美術館。約4,000点の収蔵作品を活かし、現代美術の流れを展望できる常設展示や大規模な国際展等の特色ある企画展示など、絵画、彫刻、ファッション、建築、デザイン等幅広く現代美術に関する展覧会を開催。美術図書室には約10万冊の美術関係図書を所蔵。
題名が不明な作品。
オノ・ヨーコ「東京のウィッシュ・ツリー(願掛けの木)」。特定の時間帯に作品の中に入ることができる。
ダン・グレアム「有孔スチールとカーブしたハーフミラーの三角形」。三角形の中に入ることができる。
リチャード・ディーコン「カタツムリのようにB」。
■木場公園
平成4年(1992)開園の、約24万平米の都立公園。
木場は、江戸から昭和にかけて木材産業の町として栄えたが、昭和44年(1969)に江東再開発構想のなかの防災拠点の一つとして位置づけられ、木材関連業者が現在の新木場へ移転すると公園として整備された。園内には、シンボルの木場公園大橋、 イベント広場、ふれあい広場、都市緑化植物園、木場ミドリアム(緑の展示所)などがあり憩いの場となっている。
木場公園大橋。背後にスカイツリーが見える。
ふれあい広場。
木場ミドリアム。
都市緑化植物園。
イベント当日のイベント広場では陶器市が開催されていた。様々な産地の陶器が豊富にあり見てみて楽しかった。
■三十三間堂跡
江戸時代・寛永19年(1642)に京都の三十三間堂を模して浅草に建てられたが、元禄14年(1701)に深川に移転。江戸時代には、京都の三十三間堂と同様に通し矢が行われていた。明治5年(1872)に破棄解体された。
■八幡橋
国の重要文化財。明治11年(1878)、東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製造した国産第1号の鉄橋。長さ15.7メートル、幅3メートル。当初は、中央区に弾正橋として架けられたが、昭和4年(1946)に現在の場所に移され、富岡八幡宮の東隣りということから八幡橋と改名された。アメリカ人技師のスクワイアー・ウィップルの特許を基本としたことから平成元年(1989)国内で初めて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が送られた。
米国土木学会「土木学会栄誉賞」の受賞記念碑。