『こころ』by夏目漱石
~この小説の主人公である「先生」は、かつて親友を裏切って死に追いやった過去を背負い、罪の意識にさいなまれつつ、まるで生命をひきずるようにして生きている。
と、そこへ明治天皇が亡くなり、後をおって乃木大将が殉死するという事件がおこった。
「先生」もまた死を決意する。だが、なぜ…。「BOOK」データベースより
ある程度、結末が予想されている中、心の揺れ動く様だけで、これほど読ませてくれる文学作品があるでしょうか?
『こころ』というタイトル通り、前半は、主人公の『私』のこころの裡、後半は、『先生』の手紙に認められた『先生』のこころの裡で構成されています。
まぁ、本当に煩悶ですね。よくぞこれだけの心の裡側について言葉を尽くせるものかと、あらためて夏目漱石の筆力・表現力に感心します。さすがやなぁ~と思いますね。
ストーリーとしては、若き書生の『私』が、海水浴場で見かけた謎の紳士『先生』に惹かれて、書生のような形で『先生』の自宅に出入りするところから始まります。
『私』の父の病に対する思いや、『先生の妻』への想い、そして『先生』の心の不思議を解明しようとする思いなど、前半は『私』こころの揺れ動きを巧みに表現しています。
後半は、『先生』が、なぜこのような、一見空虚な世捨て人のような厭世観を漂わせているのかということの原因が、先生の長い長い手紙によって明かされます。
この手紙を読んだ時に、僕の頭の中には宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』のメロディが浮んできました・・・。
〈中略〉
~自分の幸せ願うこと
わがままではないでしょ
それならあなたを抱き寄せたい
できるだけぎゅっと
私の涙が乾くころ
あの子が泣いてるよ
このまま僕らの地面は乾かない
あなたの幸せ願うほど
わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない
いつだってそう
誰かの願いが叶うころ
あの子が泣いてるよ
みんなの願いは
同時には叶わない
『先生』や『K』の真っ直ぐな思いを受け止めたはずの『お嬢さん』の心の揺れ動きが、「クスクスと笑うだけで」とかで、肝心な場面に至っても、あまりハッキリと表現されず、イマイチ伝わらなかったのが残念ですね。
漱石にすれば、それは「割愛しても良かろう」と思ったのかも知れません。
『親友:K』を裏切り、奥さんやお嬢さんを欺き、『K』を自殺に追い込んでしまったことで、ずっとずっと心の中の闇として抱え続けてきた『先生』は、死に場所を探す為に生きていたといっても過言ではないでしょう。
そんな折、乃木希典の殉死を受けて、「ここしかない」と決断します。
西南戦争に従軍した際に、大切な連隊旗を奪われた屈辱を抱え続け、35年間も死に場所を探し続けてきた乃木希典。
そんな乃木将軍の生きざまと自分をダブらせて、最期を遂げた先生の心の闇は、果たして取り払われたのでしょうか?
重く苦しく、悲しく切ない物語です。
また、あとに残された『妻』や『私』のことを思うと、不憫でなりません。
本書を読んで感じたことは、「いい人だと思っていた人でも、いざという時には瞬間的に悪人になる(なりうる)」という事でしょう。
信頼していたのに裏切られた叔父と同じことを自分が親友に対してやってしまった後悔。
こういう話は、私の身の周りでも、しばしば見聞きしたことがあります。
そのきっかけは『金銭欲』であったり、『愛欲・恋欲』であったり、『出世欲』であったり、でしたね。
では本書は、「人を信じるな」ということを訴えているか?といえば、そればかりではなく、「人を信じても良いが、裏切られる可能性があることを充分に心に留めて、備えて、人生を歩んでいって欲しい」ということでしょう。
『先生』は、『私』に最期の遺書として、遺訓として、「備えよ!」ということではないでしょうか?
また、自分自身も、気をつけなければ、己の欲の為に、簡単に人を裏切る可能性があるということを胸に留めたいです。
★★★☆3.5です。
~この小説の主人公である「先生」は、かつて親友を裏切って死に追いやった過去を背負い、罪の意識にさいなまれつつ、まるで生命をひきずるようにして生きている。
と、そこへ明治天皇が亡くなり、後をおって乃木大将が殉死するという事件がおこった。
「先生」もまた死を決意する。だが、なぜ…。「BOOK」データベースより
ある程度、結末が予想されている中、心の揺れ動く様だけで、これほど読ませてくれる文学作品があるでしょうか?
『こころ』というタイトル通り、前半は、主人公の『私』のこころの裡、後半は、『先生』の手紙に認められた『先生』のこころの裡で構成されています。
まぁ、本当に煩悶ですね。よくぞこれだけの心の裡側について言葉を尽くせるものかと、あらためて夏目漱石の筆力・表現力に感心します。さすがやなぁ~と思いますね。
ストーリーとしては、若き書生の『私』が、海水浴場で見かけた謎の紳士『先生』に惹かれて、書生のような形で『先生』の自宅に出入りするところから始まります。
『私』の父の病に対する思いや、『先生の妻』への想い、そして『先生』の心の不思議を解明しようとする思いなど、前半は『私』こころの揺れ動きを巧みに表現しています。
後半は、『先生』が、なぜこのような、一見空虚な世捨て人のような厭世観を漂わせているのかということの原因が、先生の長い長い手紙によって明かされます。
この手紙を読んだ時に、僕の頭の中には宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』のメロディが浮んできました・・・。
〈中略〉
~自分の幸せ願うこと
わがままではないでしょ
それならあなたを抱き寄せたい
できるだけぎゅっと
私の涙が乾くころ
あの子が泣いてるよ
このまま僕らの地面は乾かない
あなたの幸せ願うほど
わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない
いつだってそう
誰かの願いが叶うころ
あの子が泣いてるよ
みんなの願いは
同時には叶わない
『先生』や『K』の真っ直ぐな思いを受け止めたはずの『お嬢さん』の心の揺れ動きが、「クスクスと笑うだけで」とかで、肝心な場面に至っても、あまりハッキリと表現されず、イマイチ伝わらなかったのが残念ですね。
漱石にすれば、それは「割愛しても良かろう」と思ったのかも知れません。
『親友:K』を裏切り、奥さんやお嬢さんを欺き、『K』を自殺に追い込んでしまったことで、ずっとずっと心の中の闇として抱え続けてきた『先生』は、死に場所を探す為に生きていたといっても過言ではないでしょう。
そんな折、乃木希典の殉死を受けて、「ここしかない」と決断します。
西南戦争に従軍した際に、大切な連隊旗を奪われた屈辱を抱え続け、35年間も死に場所を探し続けてきた乃木希典。
そんな乃木将軍の生きざまと自分をダブらせて、最期を遂げた先生の心の闇は、果たして取り払われたのでしょうか?
重く苦しく、悲しく切ない物語です。
また、あとに残された『妻』や『私』のことを思うと、不憫でなりません。
本書を読んで感じたことは、「いい人だと思っていた人でも、いざという時には瞬間的に悪人になる(なりうる)」という事でしょう。
信頼していたのに裏切られた叔父と同じことを自分が親友に対してやってしまった後悔。
こういう話は、私の身の周りでも、しばしば見聞きしたことがあります。
そのきっかけは『金銭欲』であったり、『愛欲・恋欲』であったり、『出世欲』であったり、でしたね。
では本書は、「人を信じるな」ということを訴えているか?といえば、そればかりではなく、「人を信じても良いが、裏切られる可能性があることを充分に心に留めて、備えて、人生を歩んでいって欲しい」ということでしょう。
『先生』は、『私』に最期の遺書として、遺訓として、「備えよ!」ということではないでしょうか?
また、自分自身も、気をつけなければ、己の欲の為に、簡単に人を裏切る可能性があるということを胸に留めたいです。
★★★☆3.5です。