開会の挨拶 奥山恵美子仙台市長 市民広場
開催:平成25年5月18日(土)~19日(日) 仙台市
“すずめ踊り”参加者:122祭連 約3,500人 観光来訪者:約92万人
“堺すずめ踊り”の活動の詳細は、こちらから
前田秀一 プロフィール
今年の「仙台・青葉まつり」では、“すずめ踊り”に加えてもう一つの堺と仙台・400年の歴史に関わる時代絵巻の展開がありました。
主要行事として「仙台・青葉まつり」を支える“すずめ踊り”は、約400年前・慶長8年(1603)8月、江戸から帰った伊達政宗が仙台城の移徒式(わたましのしき:新築移転の式)を行った際の祝宴のさなか、泉州・堺から来た石工が即興で踊ったのが始まりと伝わっています。
一方、慶長18年(1613)、伊達政宗はスペイン人技術者の指導のもとにガレオン船・サン・ファン・バウティスタ号を建造し、支倉常長を慶長遣欧使節として来日中の宣教師ソテロとともに月ノ浦(宮城県石巻市月浦)からスペイン領メキシコのアカプルコに向けて出帆させました。
支倉常長とソテロの一行は、船を乗り換えてローマに向かいました。堺の商人・伊丹宗味は、ローマに赴き当地で市民権を得ており、京都の竜野、名古屋の野間、仙台の小寺などの商人も同行していました。
また、本隊がローマに向かっている間に、日本の商人やスペイン人乗り組員の一部などはサン・ファン・バウティスタ号で日本に戻り、京都で仕入れた漆器(いわゆる南蛮漆器)などを積んで、元和2年(1616)8月20日に泉州・堺の港から南蛮国へ出港したという記録が『大日本史料』に残されています。
今年は、支倉常長慶長遣欧使節が月ノ浦港を出帆して400年に当たる記念の年であることから、11基の山鉾に加えてサン・ファン・バウティスタ号が時代絵巻巡行に加えられました。
6月19日(平成25年)、朝日新聞の報道によりますと、文部科学省より400年前に仙台藩主・伊達政宗がスペインなどに派遣した使節に関する「慶長遣欧使節関係資料」がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されることになった旨発表しました。
<引用文献>
1.堺市博物館 2003 『特別展「南蛮」東西交流の精華』、14頁、95頁
2.吉田 豊「歴史の中の堺と仙台」 2009 『堺すずめ踊り協賛』会報 第4号 3頁
3.吉田 豊「宗久茶屋と鉄砲伝来ー堺市研究における伝説と通説」 2010『堺市博物館報』第 29号 40頁
サン・ファン・バウティスタ号 左から ビスカノイ提督、支倉常長、ソテロ宣教師
慶長遣欧使節出帆400年記念 オペラ「遠い帆」
原作・脚本:高橋睦郎 作曲:三善 晃 指揮:佐藤正浩
上演:平成25年12月7日(土)・8日(日) 東京エレクトロンホール宮城(仙台市)
元気を届けなければ、元気が届かない! “仙臺すずめ踊り”
「住み慣れない街」、「知らない人ばかり」、「年齢も境遇も違う」、「恥ずかしい」・ ・ ・ ・ ・。
“すずめ踊り”が私を誘ってくれた!思い切って家から出てみたら、
そこには、はちきれんばかりの笑顔があった!心が晴れた!
楽しい!気分爽快!一体感があった!みんなで集いたい!また行こう!
街が盛り上がってきた!これが復興か!感動の舞“すずめ踊り”がそこにあった!
そろいの法被に気持ちを込めて!津波に負けない!本番はがんばろう!
復興の舞
仮設住宅巣立ちの舞 左・南蒲生雀乃舞 右・絆舞卸町雀舞連
絆・交流の舞
国際交流の舞 左・ホームステイ留学生 右・外国語指導助手(ALT:Assistant Language Teacher)
仙台と堺交流の舞 堺すずめ踊り連盟 連合祭連
まざらいん(仙台・国見雀雀と堺すずめ踊り)の舞 東二番町通り流し
“まざらいん”:宮城県の方言で「仲間に入りませんか?」という意味
笑顔の舞
笑顔で羽ばたく子すずめたち
通り流し踊り 左・柳生祭連 右・杜の紫雀隊
これぞ!仙臺すずめ踊り! (市民広場 舞台)
動画: 風羽里
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