“堺すずめ踊り”普及活動10周年事業
前田秀一 プロフィール
“堺すずめ踊り”普及活動10周年を記念して快適都市実現委員会(国土交通省近畿地方整備局)主催、安藤忠雄審査委員長による第7回 ゆめづくりまちづくり賞に応募しました。
厳正なる審査の結果、堺すずめ踊り協賛会の「堺にゆかりある“すずめ踊り”を絆とした“人が輝く元気なまち”づくり」の活動が「奨励賞」を受賞しました。
審査の結果によりますと、当会は、特に活動の持続可能性を見据え実技者単位の組織と財政基盤づくりの組織を分離するなど他地域へのモデル性が高いこと、さらに泉州堺の石工衆が陸奥の武将・伊達政宗の前で踊ったとの伝説がある“すずめ踊り”を、これまでになかった堺に普及させるなど地域の魅力を発見した点等において高い評価を得ました。
“堺すずめ踊り”普及活動の経緯と展望
“堺すずめ踊り”普及活動10年の歩み」はこちらから
「泉州堺の石工活躍の背景 徳川家康、今井宗薫、伊達政宗」はこちらから
「“すずめ踊り” 黒田家400年の伝承」はこちらから
「“堺すずめ踊り”20周年の盛会を目指して!」はこちらから
「中之町公園」界隈と“すずめ踊り”伝説のゆかり
参考:「利晶の杜」へはこちらから
堺は、中世には世界的な商業都市として栄え、会合衆と呼ばれる町衆が納める自治都市でした。
これら堺の商人が蓄えた富は、寺町としての堺を支え、茶の湯など堺独自の文化を醸成し、多くの種類の職人が共存していました。
元禄二年(1689)「堺大絵図」にはそれぞれの職人が寄り合う町にそれぞれの職種に応じた固有の町名がつけられ多種な堺衆文化を形成していたことがうかがえます。
その一例として、大町以南の大寺院区には寺院の石造物と関わりの深い石工衆の町があり、大永三年(1523)十二月吉日付念仏寺供料等寄進目録には、すでに石屋町(現中之町西二丁)の町名が見え、その界隈に関連職業集団として石工衆が北石切町(現中之町三丁)と南石切町(現寺地町西三丁)に分かれて住んでいたことが知られています。
慶長五年(1600)、関ケ原の戦いで徳川家康軍の勝利に貢献し陸奥の武将・伊達政宗が初めて自分の城を造る時に、懇意にしていた堺の商人で茶人・今井宗薫を通して徳川家康に築城の許しを得、八年間の上方生活で身近に観察した桃山文化を陸奥で再現したいと石工衆をはじめ職人衆の手配を頼みました。
慶長八年(1603)、仙台城新築移転の儀式の宴席で泉州堺から来ていた石工衆が城主・伊達政宗の前で即興的に踊りを披露し、西国らしい小気味良いテンポ、躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで、跳ねる姿がえさをついばむ雀に似ているとして“すずめ踊り”と名付けられたそうです。
しかし、踊りを披露した石工衆たちは、お城の築造につぶさに関わり、構造的な秘密を知っていたため仙台の地に引き留められました。与えられた城下の土地を北石切町と南石切町と名付けて住みつき、石尊神社・瀬田谷不動尊の祭礼などに“すずめ踊り”を奉納しながら今日まで石工衆の子孫により踊り伝えられてきたそうです。
第7回ゆめづくりまちづくり賞「奨励賞」授賞式、記念植樹
平成27年3月24日(火) 午後2時~ 堺区中之町西2丁「中之町公園」
”堺すずめ踊り”の人々 賞牌授与 国土交通省、堺市、地元住民の方々
賞牌披露(左:葛村和正堺すずめ踊り協賛会会長、右:牟禮輝久近畿地方整備局広報広聴対策官)
お祝の言葉 笠谷 実 堺市文化観光局長 お礼の言葉 葛村和正 堺すずめ踊り協賛会会長
左から 葛村和正「協賛会」会長 笠谷 実堺市文化観光局長 波々伯部 稔英彰校区自治連合会副会長、
牟禮輝久近畿地方整備局広報広聴対策官、北側和代「協賛会」事務局長、早川すずえ「連盟」事務局長、
永松義敬所長大和川河川事務所所長
第7回ゆめづくりまちづくり賞「奨励賞」記念植樹 記念写真
式典終了後 くつろぎの光景
植樹:平成27年3月24日 初開花:平成27年3月30日 満開:平成27年4月2日
石工衆の里にソメイヨシノが蘇った!
< ”堺すずめ踊り”普及活動情報 >
◆歴史と伝説 詳しくは こちらから
1. 泉州堺の石工活躍の背景 家康・宗薫・政宗 その出会いと連携 こちらから
2. 千利休切腹の背景 伊達政宗と徳川家康 こちらから
3.近世 五箇荘の領主・今井氏の活躍と伝説 こちらから
◆普及活動経緯(情報) 詳しくは こちらから
SDGs魅力情報「堺から日本へ、世界へ!」は、こちらから