春宮のひとり言

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春宮のひとり言 799

2023-04-25 15:20:41 | 日記
昨日は、『みゆきな日々』のブログを拝見して、ショッキングピンクのビキニを着たワンちゃんの姿を何回も見て、何とも言えず、楽しい気持ちになりました。春宮夫に話したら、「やられ慣れているねえ~」と。春宮夫は、ペーパー獣医(元ウイルス専攻、臨床は診れません)、「犬は飼うな」(自分が診れないので…)と言っていましたが、彼が英国に留学した5日後には、柴犬を飼ってしまいました。成犬になったら、いらない…という方がいたようで、亡義母が友人の所から、貰ってきました。『タロウ』という名前がついており、春宮夫の亡弟の名前が次郎でした。春宮夫が帰国してからは、獣医が獣医に犬を連れて行く…でした。次のミニチュアシュナウザーも同様、最後は自分の教え子の開業獣医に連れて行きました。
医学の基礎的分野は、獣医などが研究していました。コロナが流行して、「感染症の専門医が急に増えた!コロナのオバチャンなど知らない!尾身さんと東邦の二木さんは信用出来るが…」と、専門分野に関しては、ハッキリ申しておりました。
今日の『みゆきな日々』さんのブログと同じ事を春宮も、WouldPressでブログを書いていた時に書きました。女性の電車内での化粧についてです。春宮は、化粧前と化粧後の写真をカメラマンが撮ったら、いい写真集が出来るのでは…と書いたような…。春宮の乗る電車では、化粧水はピシャピシャするし、ラストは香水をシュシュとかけていくので、臭くて傍迷惑。こちらに、降りかかった時は弁償させる!というつもりで、春宮夫の友人の弁護士さんの携帯番号は、春宮の携帯に登録してあります😁
ワンちゃんのビキニ姿を見て、楽しくなったので、昨日は、着物の師・中谷比佐子先生の所で、お知り合いになったゲイ?の『こけし』さんに電話しました。こけしさん、お店をなさっていた時には、今は亡き宮様や一部上場のお偉方が…と中谷先生がおっしゃっていました。今は、資格をとられて視覚障害の方の付き添い等をなさっているそうです。早寝なので、なかなか電話が出来なかったら、先日、中谷先生から、「こけしさんが、春宮さん、どうしている?と、言っていたわよ」と言われてしまいました。こけしさんは、文藝春秋から本も二冊出していらして、日舞・お茶・お華の素養があり、英国に留学経験も…、頭の回転は早く、とても優しい方です。こけしさんの前では、春宮は、鎧を着ないで、素でお話しが出来ます。生理的に受け付けないという方もいらっしゃると思います。春宮は、裏表のある方・陰で人の足を引っ張る方・品性の卑しい方等の方が大嫌いです。こけしさんは、春宮が、「大好き」と言っても、笑われるだけでしょうが…。たわいない話をして笑い、「夕方6時には、寝るから電話しないでね!」と、早寝のこけしさんに念を押されて電話を切りました。
中谷比佐子先生のお顔の広い事、IKKOさんが豊田一幸さんだった頃、初めて、ヘアメイクアーティストとして御自分の本に起用したのも、先生です。竺仙のご当主・三勝(竺仙と並ぶような老舗)のご当主・草木染めの方々など、あげれば切りがありません。
ワンちゃんのビキニ姿にパワーを貰って、こけしさんに電話をし、いい一日でした😊(『みゆきな日々』さん、お許しも得ずに、春宮のブログで『楽しさ・共感』を書きました。お気を悪くなさったら、お詫び申し上げます。コメント欄にて、お伝えしておくべきだったか…と思いましたが、参加しにくくて…)

春宮のひとり言 798

2023-04-24 18:24:21 | 日記
少しボケ、Noがずれてしまいました。本文の方は、直せたのですが、直せない所もあり、ごめんなさい。

日本刺繍は、6年ほどで、『師範』の許しを、これからも修行致しますから…と、大先輩方の後押しもあり、光男先生の御名前で頂戴致しました。尊敬する先輩から、30年ぶりくらいに『許し』をいただいたようです。稽古にいらしている皆さん、免状などに、興味がないようでした。そういう時代になったという事かと思います。春宮は、自分の師匠の許しを頂戴もしないで、公募展に挑戦したり、個展をするのが、嫌でした。先輩のなさった通りに、許しをいただいてから、外の世界に臨んでみたかったのです。
同じ曜日クラスの大先輩は、許しをいただいた時に、お手製で小さな熨斗袋を作って下さり、一番使う針を3本入れて、お祝いとして、下さいました。一番使う針は、少し持ち方が悪いと曲がってしまい上手く刺せなくなりますし、使い続けると劣化して折れてしまいます。有難く、嬉しいお祝いでした。春宮も、次に免状をいただい方に同じ事をしようと思っておりましたが、何方も、許しをいただこう…などと考える方はいませんでした。師匠も、積極的に、『免状』を勧める方ではありませんでしたので…。
公募展、いろいろ応募しました。春宮は、着物は着て動いて、どうかを一番に考えて、図案構成をし、日本刺繍らしい美しい色合いを考えて刺繍します。もちろん、日本の紋も日本独特の美しいものと考えていますので、組み込みます。公募展は、衣桁に着物を広げてかけた状態で、それをキャンバスとして見立てて、作製しなければ、まず、入選しません。それを承知で、落選がわかっていて応募していました。応募しない事には、単に、犬の遠吠えでしかありませんので…。研究会も出席しました。今、人間国宝になられている方々が、テーブルに寄りかかるような姿勢で、鑑査員の先生に「抽象と具象と両方出しましたが、どちらが入選しやすいですか?」と質問なさったのには驚きました。自分の得意とする方で挑戦すればいいのに…鑑査員の先生に質問するのにピシッと立てないの?…と、態度の悪さに驚きました。鑑査員の先生の講評中に携帯電話でずっと話している他の人間国宝の方、これが研究会か…と、反面教師研究会でした。三越の大番頭さんに話しましたら、わかっていらしたらしく、笑っていました。
公募展は、向いていない事を確認しましたので、個展をしよう…と、場所を探しました。駅から近くて、一階で(なかなか二階に人は入ってくれません)、小さなスペースでいいのですが、あちこち見て歩いても、希望するような所はありませんでした。
また、三越の呉服部の方が、自分のお客様が絵の個展を三越の町内会の場所でなさる…という話をして下さり、春宮も、三越本店から3分の会場まで、拝見にまいりました。春宮も、その会場で個展をする事を決めました。

春宮のひとり言 797

2023-04-24 11:59:37 | 日記
秋山先生お二方に、日本刺繍を習いはじめた頃は、簡単に表現すれば、『なんちゃって日本刺繍』がTVから雑誌から征服していて、光男先生は、「きちんと日本刺繍の枠を使わないとは…」等々、怒っていらっしゃいました。フランス刺繍の枠を使って、お手軽に女性好みの刺繍を教える方が台頭してきていました。この方に限らず、美大の刺繍科の先生の日本刺繍も、光男先生の繊細で美しい整った日本刺繍には足元にも…でした。この頃から、『お手軽』に出来る事が好まれるようになったのでしょう。
春宮はといえば、トロトロと紅会からの帯を1年かかって仕上げた後、『好きな物を刺しなさい』と言われ、やる気になったら、月謝を払って、頭は叩かれし、正座している後ろから蹴られるし(師匠は、そんな事していない…と、された方は覚えています)、早く言えば、職人さんのようにしごいて育てられた感じです。言葉より、動作が先、「何だ!その刺し方は…!何を考えている!」の連続でした。他の方には、普通に教えていらっしゃいました😖お陰様で、技術は身につきました。
はじめは、師匠に図案を描いて貰っていましたが、春宮の手が早くて、師匠から、「貴女の図案だけ描いている訳には、いかない」と言われるくらいでした。着物や帯に図案を描く場合、着る人の出来上がり寸法通りに模造紙より薄い紙に出来上がり寸法通りに下絵を描き、布地を出来上がり寸法通りに仮絵羽にして貰い、その通りに糸印をつけ、胡粉・面相筆(細い筆)で図案を下絵を映して描きます。それから刺繍です。洋服ですと、オートクチュールです。
春宮は、着物の仕立ては三越本店呉服部に出していましたので、仮絵羽も仕立て場の先生の手を煩わせていました。大番頭さんが、よく面倒をみて下さり、「田島比呂子先生(男性・友禅の人間国宝)に家も近くでしょうから、図案を習ったら…」と、見透かすように勧めてもいただきました。田島先生にお頼みしたら、奥様が人の出入りをもう沢山…と言われるそうで断られましたが、先生が施設に入所なさるまで、何となく文通が続きました。日本画を又従兄弟に習う事になりましたが、自由に描いていい…と言われても、鉛筆デッサンを勝手に2年やっていました。そのお陰で、後で、図案描きは、素早くなりました。
沢山の方に頼り乍ら、日本刺繍稽古がはじまった状態でした。本当の日本刺繍がしたい…という思いが伝わったのでしょうか。

春宮のひとり言 796

2023-04-23 11:32:59 | 日記
日本刺繍の師を探すのは、難航しました。その当時、『針の舟』(今はありません)という会を主宰なさっていた栗田敬子先生に電話で問い合わせを致しましたら、「こちらも、教材稽古です」と、おっしゃっり乍ら、相談にのって下さり、「鎌倉の秋山先生の所なら…」と、教えて下さいました。
早速、鎌倉の秋山光男先生の所に連絡をして、見学に伺いました。秋山先生の日本刺繍の色合いは、春宮の考えていた物でした。すぐに、稽古に伺うお約束をしました。
紅会、同じ年度に入った方が、「膝が痛くて…」等と話されていると、師から、「いいお水がありますから、お分けしましょう」と言われているのを聞き、『水で膝の痛みがとれる訳がない…あやしい』と(今は、若い世代に交代しているので不明です)、次々商法とあやしい水等には、関わりたくなくて、逃げました。秋山先生の所に伺うようになり、その話をしましたら、「あそこは、宗教入っているから…」と、あっさり言われました。宗教が悪いのではなく、人につけ込む商法が悪いのです。逃げるが勝ちです。
秋山光男先生は、戦前の皇室御用の日本刺繍屋で、小僧から修業して、戦争に行き、針1本で、鎌倉小町にビルを建てたような方です。その子息の博美先生と、お二人で鎌倉教室週3日とカルチャー3ヶ所で教えていらっしゃいました。
紅会で購入した帯地が、勿体ないから…それを仕上げてしまいなさい…と言われて、稽古がはじまりました。布地の台張りすら口頭と板書でしか習わず、自分たちで張っていましたので、布地の織を見て張る…と言われてもわからず、針の持ち方も1年間の自己流を直されるのは、指がつりそうでした。
稽古歴の長い高弟さん方が、先生に伺いたい事を聞かれて、帰ってしまわれた後、博美先生に殆ど一対一のような指導を受けました。日本刺繍は、右手は台の上、左手は台の下、右手の針を下の左手で受けて、上に上げ、右手で受けるの繰り返しです。針に通してある刺繍糸を微妙に操るのです。言葉では、表現出来ません。今なら、セクハラと言われそうですが、二人羽織のような状態で、針と糸の扱い方を教えていただきました。
刺繍糸に縒りをかけるのですが、これも、なかなか上手くなれませんでした。光男先生は、「糸縒りは、小僧の仕事だった。糸縒り3年」とおっしゃっていました。小僧仕事で、毎日縒って3年では、素人が難儀するのは仕方ない事です。日本刺繍も、昔は、男性の仕事、職人仕事でした。和裁もそうです。大変な分野に手を出してしまいました。

春宮のひとり言 795

2023-04-22 22:50:01 | 日記
今日は、中谷比佐子先生の『つれづれ』の会でした。中谷先生は、着物エッセイストですが、『色』のお話も、伺っております。飛鳥時代の色、冠位十二階による色、陰陽五行の普及による色の話でした。今年はじめの『つれづれ』の会の時に、出席者各々がイメージする日本の各時代の色を、先生ご持参の色紙で、貼り絵をしました。毎回、先生のお話を伺った後で、時代の色のイメージが変化したか…と、貼り絵をします。どうして、その色にイメージが変化したか…と、皆、話すのですが、春宮は、『色』には、こだわりがある方ですので、はじめにイメージした色から変化しません。そういう人は、春宮一人です。
春宮は、着物の色には、特に、こだわりがありますので、揺るぎがないようです。春宮は、自分の色彩感覚を必要とする事に手を出していました。はじめは、趣味のつもりでした。春宮の実家には、戦前の着物や帯がありました。亡母が、二十歳に近くなる頃から、家にある着物や帯を出して、着せてくれました。巷では、『やまと』とかいう呉服会社の出す暗い色合いの着物が流行っていました。汚らしい…と思っていましたので、母が着せてくれる昔の着物の方が好きで、嬉しかったのです。春宮の色に対するこだわりは、このあたりからはじまったのかもしれません。人からどのように思われていたかわかりませんが…。
昔の着物や帯には、手のこんだ日本刺繍が施されていました。好んで着れば、日本刺繍の金糸をとめている糸が弱っていますから、金糸が外れます。母は、何回か修理に出してくれましたが、帯の金糸が、2~3㌢はずれただけで、名古屋帯が買えるくらい費用がかかったようです。「昔の物が着たければ、和裁か日本刺繍を習って頂戴!」と言われてしまいました。その当時は、まだ和裁の方は巷に沢山いらしたので、日本刺繍を習おうか…と、日本刺繍を紅会という所で習う事に致しました。紅会に通いはじめて、何か春宮の抱いている日本刺繍の色と違う…と思いました。それに、日本刺繍を習いに行っているのに、午前中の座学、宇宙とか訳のわからない話をされて、戸惑いました。午後から実技ですが、後から考えると、きちんとした布地の刺繍台への張り方・針の持ち方・刺繍糸の微妙な指使い等、肝心な基本を教わらず、自己流でしていました。教材のみ先の先まで、注文させられ、違和感が募りました(今、どういう方式かは、わかりませんが…)。1年後には、他の刺繍教室を探していました。何方も、教材ありき…その方が、教える側は、楽なのでしょう。日本刺繍を教えて下さる師を必死で探しました。
中谷先生の会の帰りの電車の中で、ブログを書いています。前の電車内で、乗客のモバイルバッテリーが発煙したとかで、電車が止まってしまいました。JRにしては、以外に早く、電車停車の案内が流れました。この頃の物騒な事件が多いからでしょうか…。動きだしたら、電車のスピードがいつもより早いです。尼崎の様な事は、嫌…と思ううちに、降車駅に着きました。市会議員選挙アピール最終日で、タクシーが駅に入って来ないくらい何人もの立候補者がスピーカーで五月蠅いこと…名前しか連呼しません😖やっと20時になって、アピール終了、タクシーがロータリーに入って来るようになり、長蛇の列が減り、春宮も、タクシーに乗車、帰宅出来ました。疲れました😔