聖句主義方式では「究極の解釈(教理)はこれだ」と結論できませんし、行いません。
その状態で、スモールグループを中心にして聖句吟味を続けます。
変な方式に見えますが、これは歴史のなりゆきとしてできました。
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その状況は、「ルカの福音書」の著者ルカが『使徒行伝』という書物に記しています。
これは本来「ルカの福音書」の後編としてルカは書いたものでした。
だが後の聖書編集者たちが、独立の書物として新約聖書に収録しました。
それは「ヨハネの福音書」のすぐあとに収録されています。
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イエスは十字架刑で殺され、墓に葬られた後、復活して弟子たちに現れました。
そして、「エルサレムに留まるように」と命じて天に昇っていきました。
ここでいう弟子たちとは、いわゆる11使徒ではなく、広くイエスを信じる人々を意味しています。
その数は200人ほどいました。
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彼らは、エルサレム神殿の敷地のすぐ外側にあった大きな部屋に集まって祈っていました。
これは後に「マルコの部屋」と呼ばれます。
そこであるとき異変が起きました。
大きな爆発音とともに、弟子(信徒)たちに聖霊が下りました。
聖霊を霊に受けた弟子たちの口から奇妙な言葉があふれ出ました。
後に「異言(いげん)」と呼ばれるその言葉は、語っている当人もその意味がわからない言葉です。
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エルサレム神殿には、いつも各地から多くの人々の参拝に来ています。
爆発音に驚いた彼らは、「マルコの部屋」に飛び込みました。
そして、各信徒が彼らの各々の国の言葉で(当人は意味もわからず)ベラベラしゃべっているのを見た。
「信徒たちは酒に酔っ払っているのだろう」と彼らは評しました。
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その時、使徒のリーダー格の一人、ペテロが立ち上がって事態を、旧約聖書の聖句(『ヨエル書』と『詩編』の中の)を解読することでもって、説明しました。
人々は思いもかけない聖句解読を聞いて、目を開かれました。
そして、このような解読が出来る出来ることを切望し、弟子たちの集団に加えて欲しいと願いました。
使徒たちは受け入れました。
このようにして新参加者が出来上がりましたが、その数は、その日だけで3000人だったとルカは記しています。
その後も噂を聞いての参加者は続き、エルサレムだけでも3万人くらいいたと推定されています。
こうして出来た人類史初のキリスト教会は、「初代教会」と呼ばれています。
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だが使徒たちが彼らをどうしたか、は、ルカは一言も記述していません。
けれども、米国南部でサザンバプテスト教会を体験した筆者は、それを推定できます。
それは、初代教会の方式を、後述する迫害に耐えて、そのまま継承していると言われていたからです。
だから、サザンの教会から初代教会で使徒たちがおこなっていった、新参加者への処遇が推定できるのです。
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彼らはこのシリーズ(=天理教と聖書の奥義=)の13に示したように、
人々を数人のスモールグループに分けたでしょう。
そのうちの一人の家で聖句を自由吟味させたでしょう。
このグループは後に「家の教会(house church) とも呼ばれます。
今回は、初代教会の出来方とその方式について、序論的なところを話しました。
(続きます)