住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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公務員として・・、早一年・・・

2020年03月03日 | 日記
  実は我が息子、身障者枠求人で引っかかって、昨年の4月から、公務員としてデスクワークの仕事に、携わらせて頂いている。

 
  新しい職場に入って一週間と経たず、「職場の空気が悪く(なじめず)、精神障害と云う病気も、罹患しそうダハァ」、「今の職場、辞めるハァ~」と言い出したのは、なにも気まぐれだけでは、無さそうであると判ったのは、つい最近である。

  下に引用する様な、『WEB・NHK』の記事が目に入って来るにつけ、その職場の空気に馴染む事の難儀さは、言葉では言い表せないことが、農業高校卒業と云う理由ばかりでも、無さそうである。 それでも、筆者の記憶の中には、高級官僚としてキャリアーとなったのは、農業校卒業で過去2名ほどは居たような気がする。

  父親として、岡目八目で言わせて戴けば、新米の即戦力として、担当地域を割り振られ、渉外の矢面に立たされる事など、民間では有り得ないことである。  半年或いは1年位は仕事についての勉強をさせてもらい、先輩たちの言葉遣いや、お仕事要領の実態を、真似て、体感し、代行して、日々新たな仕事内容に対応して行けば、なんとか成りそうでは有るが、新入り職員として必要性の何たるかの理解も腹に収まらぬ内から、市民に対する窓口対応など、筆者の頭では、考えられない事であるし、お役所の適材適所のマネジメント業務は、まるっきり無いと云う事に尽きる。


  それとも、人事部のオエライサン、身障者を採用したよと云う、実績のアリバイ創りだけが欲しかっただけ、と云うつもりでもあるのだろうか・・・。

  以下、『NHK・WEB』https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200302/k10012309701000.html?utm_int=all_side_ranking-social_003 からの、引用文を抜き書きで掲載します。 ー以下引用ー

・・・ある省庁につとめる30代の女性が、・・・語ってくれました。

 「2年間に、4人の同僚が『うつ』の診断で休職しました。 なかには親しかった新人の女性官僚もいました。 国会対応などで、午前3時、4時の帰宅が当たり前の時期でした。 ランチに行く暇もなく、私も全く悩みを聞いてあげられなかったです…」・・・

 ≪以下このカッコ内文章は筆者; 息子と同じ班では無いが、毎日11時まで残業する人も居るみたいだし、5人に1人くらいは、精神が可笑しくなる班も有るみたいと、当人は話している・・・。  息子は、上司の期待通り仕事をこなせないみたいで、昼は(お米の弁当)だと時間が係るので、申し出により、毎日サンドイッチ弁当にしている。≫

 これまで霞が関の激務については繰り返しお伝えしてきましたが、一度にこれだけ休職してしまうとは深刻な問題です。 しかし、他の官僚たちに聞いてみると、こうした事態に慣れているのか、意外なほど冷静な反応でした。
 「正直、驚かないです」(20代)
 「ああ、あの人もなってしまったか…」(30代)
 「あすはわが身か、とは思います」(30代)
  ・・・・・・・・・・・・・   

  ・・・まだ本調子でない中、取材に応じてくれました。
 彼女が体に変調をきたしたのは入省してまもなく。 配属された局の筆頭課で国会対応にあたっていたさなかでした。 激務に加え、「指導係」だった先輩の係長は他部署への応援で不在でした。 ほかの先輩がフォローしてくれたこともありましたが、近くに相談できる人がおらず、悩んだといいます。

 女性官僚(20代)
「部屋全体が忙しかったこともあったと思いますが、新人だったのに、上司から、『法令ブック読んだことある?』『こんなことも研修でやらないの?』と言われました。 膨大な細かい作業を、どうさばけばいいのか要領が分からず、本当につらかったですね…」

  ・・・ 働き始めて10か月。おう吐などに悩まされた末、医師から「抑うつ状態」と診断されました。 いったん復職したものの、現在も休職しているといいます。 彼女に、「どうしてそこまで自分を追い込んでしまったか」と尋ねると、しばらく考えてこう答えました。
 「本当はもう自分では無理だと思っていました。 でも、先輩や同期も残業120時間、140時間と働いている人もいるなかで、自分だけが働かない選択肢はありませんでした。 『みんなやっているのだから』と無意識に我慢していたと思います」
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 取材を続けると、メンタルの問題で休職を繰り返し32歳の若さで病死した官僚(以下Aさん)もいました。
2007年に、25歳で念願だった省庁に入省したAさん。「国の仕事に携われる」とやる気に満ちていたといいいます。 当時の同僚も、「責任感が強く課内でも明るいムードメーカーのような存在でした」と証言しました。 しかし、激務が続く中、母親にこんなメールを送るようになりました。 ・・・・・・
 (メール:午前1時50分受信)
「部署が変わってから毎日大変です。 大げさに聞こえるかもしれませんが死ぬほど、きつくて、転職できるならしたいぐらいです」

 この数か月後、医師から「適応障害」の診断を受けて休職します。 いったん復職しましたが、体調はもとに戻りませんでした。
 そして、2015年9月。 母親が息子に食事を届けに官舎の部屋を訪ねると、息子はベッドで横になっていました。 寝ているだけかと思いましたが、もう息をしていませんでした。 くも膜下出血でした。

 取材に対して、母親は・・・ こう答えました。
「息子は誕生日にはメールをくれたり、気遣いのある子でした。 省庁試験に合格した時は、私も泣いて喜びました。
息子が病気になったのは、仕事の負荷が関係していたのではないかと思うんです。 どうしてここまでの事態になってしまったのか、今も納得いかないのです…」   - 以上引用 終 -



  一年の公務在職で、失業保険がどのくらいの期間出るのか、筆者、詳しく知りませんが、 親一人、子一人の二人暮らし、親の立場としたら、定年まで奉職させて戴き、幾ばくかの貯えで、親の死後も無事に天命を全うしてほしいと思うのは、親の我が儘でしょうか・・・・・。

  贔屓の引き倒しの様な、塩梅になるのかも知れませんが、この道30年のベテラン職員さんと比べたら、1/3~1/4の仕事内容で、俸給に見合う仕事量なのだと思います。
諸先輩カタ方が、身障者にガンバレと云う言葉を掛けたり、仕事が遅いとか、そんな事も知らないのかヨ~、等のパワハラ紛いのプレッシャーを掛ける人は、居られないとは思いますが、当人が気付いて無いだけなのかも知れません。


  民間の会社では、我先に新入りに自分の仕事を教え、押し付け、先輩は、もう一段グレードの高い仕事をする人が出世する様なのですが、公職の場合、自分が覚えた知識は他人に教えない事が、身を守ることになるのでしょうか・・・・・?
毎年の同じような仕事内容、マニュアル化、標準化、IT化、如何にも簡単なように見えるのは、部外者だからでしょうか?  いずれにしても、自分が身に着けた仕事の遣り方、情報を進んで出し合わなければ、 『IT化』 など出来るはずは無いのです。