今、大阪で日本の近代政治史上大きな変化に成り得る、力が動き始めたようです。
大阪にはこんにち、日本が抱える数々の問題が凝縮されてるようです。
そのひとつが教育問題です。
橋本知事はある府民との会合で下記のように発言してます。
僕が考えている学力というのは、子供たちがちゃんと社会に出て壁にぶつかった時に、自分の頭で考えて その壁をのり越えるだけの能力、これが絶対に必要なんです。そのためには子供たちに分かる、できる、自分は分かるんだ、自分はできるんだということを繰り返し、繰り返し積み重ねをして、子供たちにその体験をさせることがどうしても必要なんです。
子供たちが途中で自分は分からない、自分はできないとなった途端に自分の将来に夢や希望は持てなくなります。
大阪の子供たち、夢や希望を持ってない子供たちの率がものすごく高いんです。大阪ものすごく高い、やっぱりちゃんとね子供たちにはしんどいかもわからないけど、最初に基礎中の基礎の部分は積み重ねないといけない。
これが小学校4年、5年、6年、中学校になって学校にいきたくなくなる。大阪の中学生、犯罪率一番高いです。学校にいきたくない、ドロップアウトしてしまう それは途中で自分はできないんだ、わからないんだということで自暴自棄になってしまう。
子供たちに夢や希望を捨てさせないためにも僕は必ず学力から真正面に取り組んで今のこのような教育のね--------。
昭和期の文芸評論家の故亀井勝一郎氏をご存知の方は多いと思いますが、1965年発行の「人生と幸福について」に人間の価値の条件の第一は自分の頭でものを考えることだと言ってます。
様々の事件に対しても他人に対しても、分からない点があったら、どこまでも疑問をもつことだ。「何故か?」という問いをいつまでも失ってはならない。そして、わからないことは、わかりませんと、はっきり言うことが、人間の価値をたかめる第一歩である。人間として価値を低める第一歩は,盲従である。或いはあっさりレッテルをはって、それで理解したように思いこむとき、人間は実は動物にひとしい。考えることが、人間の価値を決定する。
府知事として橋本さんが幾ら頑張っても、指令都市という名に阻まれ、何の改革も出来ない状態です。二重行政の問題は何も大阪だけではないようですが。
教育行政
地方教育行政の組織及び運営に関する法律には、指定都市に関する特例が定められている。指定都市の県費負担教職員の任免、給与の決定、休職及び懲戒に関する事務、並びに研修は、当該指定都市の教育委員会が行う。
ここで思い出されるのが司馬遼太郎の「歴史の世界から」(中公文庫)の一節。
大阪城をとって天下を得た徳川氏は、大阪城をすてて天下をうしなった。
この巨城は、信長以来、つねにあたらしい権力者の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。しかも、武力によって堕ちたことは一度もなく、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を、出ざるをえなかった。
この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか。
上はいささかこじつけの感がありますが、橋本氏が投じた一石の波紋の広がり、大阪市民がどのように判定を下すか大いに興味深いことであります。