Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

桜紅葉

2024年11月02日 21時46分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 気分はずいぶんと楽になった。風邪のようでもない。二晩続きで寝る前に冷えたことに対する体の防御反応だったということにしておこう。本日は早寝が肝要。

 警報は解除され、現在は「大雨・雷・強風注意報」が残っている。まだ土砂災害への警戒は必要であるが、雨の峠は超えたようだ。



 本日の荒れた天気の代わりに、晴れていた30日に見つけた桜紅葉と秋の雲を布団の中で思い出した。ようやく桜の葉も色づき始めた。
 桜の紅葉した葉が「美しい」と思うようになったのは最近のこと、定年以降のことである。斑点やシミ様の黒っぽい痕跡があり、昔は「美しい」とは思えなかった。
 しかし不思議なものである。ある時にふと、心惹かれた時があった。どこだったかは覚えていないのだが、日が当たり秋の空に鮮明に翻っていたのを見たのだと思う。葉の表面の黒い斑点を包み込むようなオレンジ色が、私の気分に寄り添ってきた。それ以来、注目するようになった。
 春の桜の花との対比を思い浮かべるのもいい。秋の雲に映える桜紅葉も悪くない。しかし最近では私は桜の花の温かみとは別のものとして、桜紅葉には冷たい晩秋の雨が似合うと勝手に思っている。晩秋の冷たい雨から葉を守るようなオレンジ色に温かみを感じる。

★綿雲のましろき桜紅葉かな    日野草城
★壺の丘どれも虫くひ桜もみぢ   佐藤鬼房

 


ゴキブリの元気回復

2024年08月26日 20時01分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 猛暑日が続くとゴキブリと蚊も活動が鈍くなるらしい。昨年も7~8月の猛暑が続く期間、私の住む団地でもゴキブリや蚊の姿はあまり見かけなかった。ゴキブリも蚊も猛暑にはうんざりしているのではないだろうか。
 今年は8月最終週になってゴミ集積場にいつものようにゴキブリが夜動き回るようになった。玄関扉を開けると北側の雑草地から蚊がすぐに扉の隙間から入り込んでくる。
 私の家は1階なので、残念ながらゴキブリも蚊も入りやすい。しかし15年ほど前から「ホウ酸団子」の原理を応用したゴキブリ用の薬をおいてから、ゴキブリを部屋の中では滅多にみなくなった。蚊は180日有効という電気加熱式の液体の薬を利用している。こちらも経験的にはかなり有効である。

 嫌われ者の虫ばかりに気を取られていたら、一昨日妻が「ツクツクボウシ」の鳴き声を聞いたと言っていた。さらに一昨日の夜のウォーキングの途中で、草むらから秋の虫の鳴き声を私は聞いた。本日ももう「リリリリ」というか細い声が微かに聞こえてくる。自信はないがスズムシの仲間であろうか。
 ツクツクボウシもスズムシも秋の気配をまとって聞こえてくる。共に初秋の季語。

★鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ   夏目 漱石
★また微熱つくつく法師もう黙れ     川端 茅舍
★雨来り鈴虫声をたたみあへず      臼田 亞浪
★泣きし過去鈴虫飼ひて泣かぬ今     鈴木真砂女
★すず虫や月無き夜の声たゆたふ     中村草田男
★鈴虫の音微かになりて眠り深き     庄司 猛    


空蝉

2024年08月07日 12時45分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★空蝉やいのち見事に抜けゐたり    片山由美子
★蝉殻は丸さ極まり天に裂け      遠藤 庄司
★空蝉のふんばつて居て壊はれけり   前田 普羅
★空蝉の背の一太刀の深かりき     塚田 文

 本日の強い陽射しからは、昨晩の雷雨が信じられない。本日の最高気温の予想は横浜で34℃というが、もう少し高くなるのではないか、というのが我が家の気象予報士殿の予想。
 団地の中の欅の幹の手の届くところに蝉の抜け殻を見つけた。子供の頃、蝉の抜け殻を終日眺め続けていた日を思い出した。とても不思議な思いをしたものである。

 


桜の実

2024年05月24日 10時54分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★職なくて実桜のもと握り飯       庄司 猛
★見上げれば揺れはそれぞれ桜の実     々

 近くの私鉄の駅と駅の間に細長い公園がある。鉄道が地下化されたのに伴い、以前の鉄道敷が公園として整備され、四季折々にさまざまな花が咲くようになった。
 公園のベンチの昼時には、近くの職場の勤め人やら、近所のお年寄りの憩いの場となる。年寄りも、現役の勤め人も弁当を広げたり、近くの店で購入したものをのんびりと口にする。
 私も退職した直後の数か月、お握りを持参したり購入したりして、ベンチでのんびり桜の木の葉越しに青い空を見上げるのが楽しみであった。仕事から離れたくて退職後の再雇用は辞退し、「さて何をするか」と考えていた。
 高齢者ばかりか、若い現役の年代の人もいったん職を離れると再就職が厳しいのは、いつの時代でも同じ。そういう風に厳しい局面で公園のベンチで時間を過ごす人も多い。私などのようにちょっとだけゆとりをもって握り飯を口にする人もいる。若く明るい声を立てている人もいる。赤子の乳母車を押す母親もいる。
 生活の実態はさまざまでも、この昼時のひとときははた目から見れば各自平等である。胃を満たす行為と、目に映る桜の実の光景は同じ。しかし各自の内面も、振る舞いもそれぞれの超し方を反映している。
 桜の実に注目するようになったのは、そんな時期であった。そして桜の実のほとんどは熟して地面に落ちることはない。たいていは落ちる前に鳥がありがたくいただいてしまう。種は鳥の糞として地面に落ちる。


陽気に誘われて・・・

2024年05月18日 18時47分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 陽気に誘われて出かけたものの、いつもの喫茶店についてみたら読書用のメガネがリュックには入っていなかった。家に忘れてしまった。そのまま喫茶店では1時間ほど熟睡。
 横浜駅近くまではフラワー緑道を通った。アザミやガクアジサイが咲き始めていた。アザミは蕾も花もともに毎年惹かれる。

   

 そして好きな俳句がある。「まして」が「色」だけを形容しているのではないところが気に入っている。「薊」そのものに焦点が当たっている。作者にとって思いの詰まった花であることがわかる。その思いはわからないが。

★出羽なればまして薊の色の濃き      庄司 猛


永瀬清子詩集から「月について」

2024年05月11日 21時15分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 「永瀬清子詩集」を一昨日からめくっていた。1954年の詩集「山上の死者」に「月について」という詩があった。作者は1906年生まれ、1995年89歳で亡くなっている。作者が48歳ころの作品であろう。

 月について     永瀬清子

 東の空に燃えるように懸かっている月は
 今わが肺腑から噴き昇ったのだ。
 彼女の裏側の峨々たる山水は人にみえない。
 その山巓は死の輪をはめている。
 そこには樹もない水もないのだ。
 千仭の瞼と寂寥の唇。
 その裂け目は何万年もふさがらないのだ。
 汝は輝く反面もて人に対う
 けれども力尽きてやがてそれは欠けゆくのだ。
 (略)
 地上では山や谷は絶え間なく風化するが
 お前の山水は常に変わらず屹立している。
 お前をなだめるものは何もない。
 静かにお前の軌道を変えようと誘うものもない。
 今炎のように燃えさかっている月よ。
 枯れ且つ輝けるわが魂よ。

 不思議な詩で何を何に例えているか、言葉は優しいが、わかりにくい点もある。しかし私は最後の「今炎のように燃えさかっている月よ。/枯れ且つ輝けるわが魂よ。」に惹かれた。
 今ではすっかり解ってしまった月の裏側の様子だが、当時はまだ画像として披露はされていなかった。しかし想像される景色を「枯れ且つ輝けるわが魂よ。」と結んだところに大いに惹かれた。
 まだ読み込まないとわからないところもあるが、繰り返し味わってみたい言葉が並ぶ。
 たまに詩を読むと、自分の想像力の貧困、言葉に対する感覚の摩滅を実感して、情けなくなる。


「永瀬清子詩集」から 2

2024年03月23日 18時29分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 「永瀬清子詩集」(岩波文庫)から、詩集「グレンデルの母親」(1930年)、「諸国の天女」(1940年)、「大いなる樹木」(1947年)、「美しい国」(1948年)、ならびに短章集「諸国の天女」(1940年)、「女詩人の手帖」(1952年)に目をとおした。
 

 大いなる樹木

我は大いなる樹木とならん
そのみどり濃き円錐の静もりて
宿れるものを窺い得ざるまで。
素足を水に垂るるごと
人知れぬ地下の流れを
わが根の汲めるよろこびにまで。
 以下略

 どの詩もリズムがよく、私の身体リズムと合致して好感が持てる。意味から入る詩や、言葉の持つリズム感から頭に入ってくる詩もあるが、私は後者のほうが好みである。意味は自然とあとから付いてきて頭にすんなりと入ってくるような気分になる。少なくとも本日までに読んだ詩も、「短章」も言葉のリズムが気に入っている。

 


「永瀬清子詩集」から

2024年03月22日 21時09分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午後眼科で親の点眼薬の処方をしてもらった。私は受診をして薬の処方箋をもらおうと思っていたが、本日は代診の医師ということで、受診は遠慮した。明日の午前中に再訪してみたい。どうもこの代診の医師とは私は反りが合わない。
 薬局で目薬を処方してもらっている間にバスが2本も出て行った。会計が終わってからバスにていつもの喫茶店へ。昨晩の予定通り「永瀬清子詩集」の「自筆年譜」を読み終わった。さらに「短章」からまず読み終わろうということで「短章」の「諸国の天女」から読み始めた。

所謂純粋な「詩」以外のものを取り入れ」ることで、無限による「詩の題材」を書き続けていくこを願い、そのように書き続ける短章を「私の詩精神と切り離すべきではない」と、詩作において重要な位置にあることを述べている。永瀬清子は、詩・短章・散文の書き分けを「内面のリズムに従って書く時、「詩」「短編」と考え、「散文」というのはその事よりも、伝えたい事、聞いてほしい事実、にウェートがかか、つまりはリズムの力をアテにしていません。」と意識している。」(《研究ノート》(白根直子))

 ということで、短章集「諸国の天女」(1940年刊)をまず読み終えた。そのなかから、1編。

 あたらしいと云うこと

あたらしいと云うことは
それも一つの値打ちである。
が、人が思うほどやさしてことではない。
すぐふるくなるようなあたらしさはなまぐさい。
そんなあたらしさはよい作品の理想にならない。
あたらしいと云うことは
読者の予想のとても不可能なくらいのものが
その詩のなかにつまっていることだ。
雨が霽(は)れて樹木がキラキラと金の葉うらをみせるように。


雛祭りの日のカワヅザクラ

2024年03月03日 19時42分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 強風注意報が出ているが、朝は無風状態、今も風は弱いので、穏やかな日和である。午前中の会議が正午前に終了。
 午後からの外出で持参した本は「楽天の日々」と岩波書店の広報誌「図書3月号」。年度末で天気の良いひな祭りの日の日曜日、果たしていつもの喫茶店は混んでいるであろうか、と不安ながら、頼まれた買い物もあり出かけた。妻は食料品の購入のため先に出かけてしまった。
 遠回りをして、フラワー緑道経由で横浜駅へ。

      

 フラワー緑道のカワヅザクラは散り始めていた。散った後の赤い蕊が際立つとともに、新しい葉の新緑が花弁のピンクを圧倒し始めていた。見頃はそろそろ終わりそうな気配であった。花は下向きに咲くが花弁が散ると蕊は上向きになるように見受けられたが、錯覚だろうか。
 カワヅザクラの木は4本あるが、ビルの間にあるために日当たりに差がある。朝日が当たっている木が一番開花が早く、散り始めも多い。午後に日が当たる木は少し遅れ気味である。おなじ太陽でも朝日と午後の陽射しで違いがあるようだ。

 これまでよりも多くの人が足を止めてスマホに撮り納めていた。
 ヨコハマヒザクラの蕾はまだまだ硬いが、硬いなりに少しだけ赤味を増してきた。
 コブシの銀色の芽はまだ小さく、まばらであるが、存在を主張し始めていた。

★桜咲く朝日が始めにあたる木に   庄司 猛

 商業施設内の喫茶店はどこも満席。オフィス街の喫茶店にはかろうじて私一人が座れる席が空いていた。


雨中の紅梅

2024年01月21日 12時22分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 昨晩から今朝にかけて、雪になるかもしれないと心配したが、杞憂であった。
 団地の中の紅梅の花弁が雨に打たれて、透けている。下を向いた花の黄色の雄蕊は雨の滴に数本ずつまとめて閉じ込められている。
 雨に濡れる花もそれぞれに個性がある。

★紅梅や雨脚つよき道違へ    岡 和絵
★微雨を得て色滴れり紅梅は   林  翔
★微雨微温寒紅梅は道しるべ   庄司 猛
★紅梅の紅を融かして雨滴る   藤井誠三
★紅梅のほの香雨に閉ざさるる  菅野 良

 


「永瀬清子詩集」を読む

2023年11月26日 19時17分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 夕方、喫茶店で「永瀬清子詩集」を読んだ。永瀬清子の名は、1970年代半ばに吉本隆明編集の「試行」誌上に「短章集抄」が載っていた。幾度も名前は見たが、読んだことはなかった。

 戦後2番目の詩集「美しい国」(1948刊、42歳)から2編、ならびに最後の詩集「卑弥呼よ卑弥呼」(1990刊、84歳)から2編のそれぞれ抜粋して引用してみたい。

  夜に燈ともし
 かいこがまゆをつくるように
 私は私の夜をつくる。
 夜を紡いで部屋をつくる。
 ふかい黄色の星空のもとに
 一人だけのあかりをともして
 卵型の小さな世界をつくる。
 ・・・・
 さびしい一人だけの世界のうちに
 苔や蛍のひかるように私はひかる。
 よい生涯を生きたいと願い
 美しいものを慕う心をふかくし
 ひるま汚した指で
 しずかな数行を編む
 ・・・・

  降りつむ
 かなしみの国に雪が降りつむ
 かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
 失いつくしたものの上に雪が降りつむ
 その山河の上に
 そのうすきシャツの上に
 そのみなし子のみだれたる頭髪の上に
 四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ。
 ・・・・
 無限にふかい空からしずかにしずかに
 非情のやさしさをもって雪が降りつむ
 悲しみの国に雪が降りつむ。

  歓呼の波
 ・・・夫は招集され
 東京駅を出て行った。
 見渡す限りの万歳と旗と歌声の波に送られ
 ろくに別れをかわす事も汽車の窓に近よる事さえもできずに――
 ただその波に押しまくられているうちに汽車は出ていった。
 ・・・・
 あの歓呼のことはを忘られない。
 旗をふり、軍歌を高唱し
 まるで犠牲の羊をリボンや花輪で飾りはやすように
 自分の番ではなかった事を
 人々はまず喜んでいたのではないのか?
 あの歓呼、忘られない。

  悲しいことは万歳でした ――老いたる人のレコード
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 ・・・・
 私はその時まだ若く柔らかく
 歴史にも慣れていなかったのです
 夫はタスキをかけ、それは「死んでも当然」のしるし。
 みんな狂っていたので
 悲しいことは「万歳」でした。
 つらいことも「万歳」でした。
 みんなが歌ってくれました
 だから自分だけが泣くことのできない不気味な時代。 
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 私の中身にはその泣き声がしまってあります。
 私は古びた一つのレコードなのですよ。
 ・・・・

  有事
 ・・・・
 自分が信じる事以外には従うまい
 そんな単純な決まりきった事でも
 ちゃんとあらためて自分にきめておかないと
 きっとその時は、五寸釘をねぢ曲げるように
 誰も枯れも折り曲げられてしまう世の中になるのだ
 おそろしい
   そうだ
 私はもう「有事」を語っている。

 「はしがき」で谷川俊太郎は「詩は自己表現という考え方が当時は一般的だったが、永瀬さんの自己は初めから「私」をはみ出して、世界全体に向かっていた。永瀬さんにとって世界は一つの計り知れない流動体であって、そこでは人間界、自然会の区別は永瀬さんの中にはなかった‥。娘、妻、葉は、農婦などの役割を果たしながら、役割だけでは捉えられないグローバルな存在、無限定な宇宙内存在として自分では気づかずに生きたと思う」と書いてある。
 なるほど、と思える評ではないだろうか。特に「降りつむ」からはそんな感想を持った。引き続き読み続けたい。「短章集」などの文章も読みたい。


酉の市

2023年10月31日 22時10分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 10月末ともなると11月の酉の市の声が聞かれる。しかしこの暖かさでは実感が湧かない。今年は11日(土)と23日(木)とのことである。コロナ禍前には毎年ではないものの横浜橋商店街とその近くの金刀比羅大鷲神社の酉の市を見に出かけた。正月三が日に2度ほど親と子どもと一緒に「初詣」なるものに出かけたことはあるが、酉の市で境内に入ったことはない。
 あの長蛇の列を見ただけで、「勘弁して」という声が出てしまう。熊手を売る屋台や、さまざまなものを扱う屋台の間を人混みにもまれながら一周して帰ってくるのがいつものパターンであった。娘がまだ小学生になるかならないかの頃、小さな熊手を手に入れて帰って来たことはある。私は屋台でビールか缶チューハイを購入して飲みながら人混みに身を任せていた。寒くなって人恋しくなる季節に相応しい人混み、という評価が出来そうである。
 さて今年はどうするか。親を連れていくことはもう無理。娘夫婦はつき合ってはくれそうもない。多分、行かない、という選択になりそうである。

★くもり来て二の酉の夜のあたゝかに     久保田万太郎 
★裸火の潤みし雨の酉の市          松川洋酔
★二の酉の風の匂ひと思ひけり        佐藤若菜

 今年は一の酉の前の8日が立冬、二の酉の前日が小雪。はて二の酉の風の匂いとはどんな匂いだったか。嗅覚が歳とともに消えてしまった私には、匂いは記憶の中にしかない。それも40歳以前のもう30年以上前のかすかな記憶しかない。強いにおいであるキンモクセイ、クチナシ、チューリップ、ユリなどの匂いは鮮明に覚えているが、かすかな匂いほど記憶にない。
 また具体的な匂いではなく、「雰囲気としての匂い」も次第に頼りなくなっている。二の酉の匂いとは私にとってはどんな匂いだったか、いくら自問してもわからない。生理学的な嗅覚としての記憶だけでなく、歳とともに「雰囲気としての匂い」も忘却の彼方である。


2023年10月29日 18時15分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 先ほど団地内を歩いていたら、芒の穂が美しかった。群落が小さいので、それほど目立ってはいないが、それでもやはりこの時期ならではの景色である。
 本日は満月と十五夜が重なっている。一本拝借したかったが、数が少ないので遠慮した。

★穂芒に声在りとせば御空より      高澤良一
★いつぽんのすすきに遊ぶ夕焼雲     野見山朱鳥
★瓶の芒野にあるごとく夕日せり     大野林火
★芒挿す光年といふ美しき距離      奥坂まや

 


名月や・・・

2023年09月30日 15時10分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は、仲秋の名月が残念ながらちょっとしか見ることが出来なかった。

★名月や神泉苑の魚踊る     与謝蕪村
 前書きに、雨のいのりのむかしをおもひて、とある。

 神泉苑は、弘法大師が神泉苑にて雨乞いの祈祷をしたという故事がある。月光は仏性のあまねく行き届くさまをさすたとえとして語られる。その清浄な光がもっとも美しいしいう名月の光に、池でいきおいよく泳ぐ、ないし、水面から飛び上がるような魚を配している。生臭いものの象徴なような魚であるから、月光とは正反対の俗の代表であろう。
 その俗の象徴のような魚に名月の光が当たり、柔らかい反射光が目に飛び込んでくる。そんな情景を思い浮かべることが出来る。浄化などというしたり顔では語りたくない。月の光の一瞬の反射を想像した句として、私は好きである。これは幻想の世界である。想像によってもたらされる一瞬の美でないと成り立たない句である。

 


「法師蝉」の句

2023年08月20日 22時56分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ツクツクホウシは法師蝉ともいう。僧や仏の教えと突かず離れずの作品が多い。初秋の季語になる。蝉の中でも遅くまで鳴く。
 小さめの蝉だが、「法師蝉」というにはけたたましい、というくらいに大きな声である。私などはよくもあんな大きな声が出るものだと、姿を見るたびに感心する。

★しづけさのきはまれば鳴く法師蝉    日野草城
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子
★わが倚る樹夏終れりと法師蝉      山口青邨
★忘れ去る悔のいくつか法師蝉      上田五千石
★法師蝉遠ざかり行くわれも行く     西東三鬼

 第1句、これは法師蝉に限らず他の蝉に置き換えても成り立つことは成り立つ俳句であると思った。しかし葬儀の時、皆が静まってからやおら僧が経を唱え始めることを思い出した。法師蝉は蝉の季節の殿でもある。
 第2句、これも蝉しぐれのふとした音の狭間のことと同時に、季節終わりのことかもしれない。そして葬送の時のように読経の響く音なのか。
 第3句、私が法師蝉の句を探しているときに、一番気に入った句である。法師蝉が鳴き始めていよいよ秋が始まる、と宣言されたと感じたのである。蝉しぐれが途絶えた瞬間に、孤独な鋭い声が初秋の空に響き渡ったのではないか。空間的な広がりを感じる。
 第4句、この句も気に入っている。夏の痛いような大気から秋の気配を感じる大気に変わり、人が少しだけ内省的になる瞬間を法師蝉の声で捉えたと思う。悔いのいくつかが法師蝉の声と同時に湧き上がってくる。
 第5句、法師蝉はなかなか姿をみたり、捉えることがむずかしいという。「信仰」とはほど遠い私には、確かに僧も神官も禰宜も神父も牧師も遠い存在である。蝉の声が小さくなり遠ざかり行くと同時に我もまた信仰とは無縁の世界を彷徨い歩く。