Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「《英雄》の世紀」  4

2021年01月07日 22時32分09秒 | 読書

 16時に瞬間最大風速25.8メートルの西南西の風を記録。台風並みの風である。夜になり風の音だけから判断すると少しだけ弱まったようだ。しかし葉を落とした欅の枝はゆったりとではあるが、相変わらず揺れている。天気予報では明け方まで油断はできない。

 引き続き「《英雄》の世紀」の第5章「ナポレオン革命」を読了。

「1789年、バスティーユ監獄襲撃とともにフランス革命がはじまった。‥ベートーヴェンはまだ生地ボンで18歳の青年期をおくっていた。ウィーンを音楽の町にしたてたグルックは、2年前に世をさっていた。モーツアルトはウィーンあって33歳の晩年である。ライバルであるサリエリは39歳。ハイドンは‥ハンガリアのエステルハージ家の御用音楽家として57歳の初老。ヨーロッパの古典学派を代表するひとびとは89年にはいちおうの仕事を終えていた革命の余波をもろにかぶるような位置にも、世代にもいない。かれらは政治の色彩からまったくの遠距離にいたし、音楽と政治とがなまなましく接触するなどということを想定しようもなかった。だが、1770年うまれのベートーヴェンは、そのとき多感な青年期、この天才は革命とその余波がまきおこす嵐のなかを、髪ふりみだして疾走せざるを得なかった。とはいって、ベートーヴェンが政治の言葉をあらわに語ったとか、あるいは党派に属したといった事実は、まったくない。とはいえ、革命の開始に18歳、そしてナポレオンの没落に44歳。そのあいだにいくども、フランス軍のドイツ侵入にであい、悲喜と愛憎をこもごもにした世代にあってみれば、政治や軍事と無縁で生きていけるわけもなかった。それがドイツ人ベートーヴェンの宿命だったのである。」(第5章冒頭)

「バスティーユからナポレオンの盛衰にいたる25年間のヨーロッパ世界が、実はバリとウィーンという「二都」を焦点とする楕円形をなしているという、厳粛な認識をこそ強調したい‥。前者は旧体制を脱却し、あらたな社会へと突進した。「フランス革命」にしても、「ナポレオン革命」においても、‥。後者は古いヨーロッパの価値を体現しながら、しかし古いがゆえに多産な沃土に根ざしていた。パリからきたナポレオンの軍勢は、ついにウィーンから全ドイツまでを蹂躙しはじめる。二都の楕円形はすんでのところで破壊され、ナポレオンという真円に近づこうとする。」(第5章末)

 本日はこれにて就寝。



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