私と付き合いの長い友人のブログがある。
「昭和音楽の風景―昭和の歌謡曲を通した若干の社会批判ないしは考察」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4】(雁坂透)という表題である。あまり更新頻度はないが、社会批判・政治批判として的を射ていると思う。
最近では38「喜びも悲しみも幾年月-星を数えて波の音聴いて」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4/e/07c52673749d65fd965db454ec3e3c9d】と、37「愛ちゃんはお嫁に-愛ちゃんはおいらにウソついた」【⇒https://blog.goo.ne.jp/shouwa3kayou4/e/999c39e7a0475f3355457af019167524】は秀逸だと思う。
昭和歌謡に触れているというよりもそれを引き合いにして政治批判を展開している。
さて、「こんな時だから政府批判はするな」だとか「あなたがあなたの国のために何ができるのか」などという頓珍漢が多いが、現「政権」が「われわれに何もしない、したくない、する気もない、能力もない」という前提に口をつぐんではいけない。
「国」と「政権」とを混同してしまう過ちを「日本」は明治維新以降の近代のスタートラインから犯してしまった。その呪縛から完全に抜け出していない。抜け出すチャンスは1945年から日本国憲法成立までのごくわずかの期間しかなかった。しかも真の意味で憲法の理念や近代的な民主主義の「理念」が定着したか、敗戦後75年の歴史を真摯に捉え直さなくてはならない。またその理由も解明しなくてはいけない。多くの人が苦闘している。それに学びたいと思う。
すくなくとも「政権トップ」のいう「美しい国」とは、コロナ禍でいまだに「アベノマスク」という不衛生的なマスクすら配布できず、休業補償すらする気がない、一律10万円の給付すら満足にできていない「国」である。「危機管理」のときほど政権の実力が問われる。ここ何年も自然災害下でも宴会に明け暮れる今の政権・政治家の無能は天下に示されている。平安時代後期の中央貴族の無能を地で行っている。さらに産業界も災害禍に対応する応用力や活力、たくましさを失っている。
欧米に比べ少ない罹患者にすら検査も満足な医療も提供できず、従事者に特攻隊のような過酷な労働を強いている「政権」に対しては、キチンと批判をしなくてはいけない。それでなくては「国」は亡ぶ。
「国」や「国という論理」が私たちの頭上に覆いかぶさってきたら、それは個人にとっては極めて危険な時代・状況であると先行世代から学んできたと思う。歴史を忘却してはならない。
そんなことを念頭にこのブログに目を通すのがいいのではないか。