風はまだ収まらない。南寄りから西風に変わった。12時半ころに西南西の風で最大瞬間風速24.5メートルを記録している。台風時並みの風速である。
気温は11.5℃となっているが、ベランダに出て風に身をさらすとても体感温度はとても低い。
結局10時過ぎに近くの郵便局に出かけたほかは、二人ともこの時間まで外に出ていない。ベランダのプランターの周囲を掃除したり、洗濯物を少しだけベランダに出した程度である。
午前中は若干の作業、午後からは「《英雄》の世紀」の第3章「啓蒙都市民の誕生」と第4章「ヨーロッパ国際関係のなかのドイツ」を読んだ。フランス革命前後のヨーロッパ近代史の復習である。
「ドイツの都市は、栄光の中世自由都市が地位を失っていらい、あまりに低調な数世紀をへてきた。‥そのような悲観の像がえがかれてきた。‥しかしドイツの都市は死に絶えてしまったのではない。‥啓蒙の栄誉も悲惨も、ドイツの都市のなかで発酵した‥。‥ごく非力にみえるドイツ都市の中ですらも、18世紀に啓蒙による復権がいっせいにおこる。都市の為政者たちは、おりから自信をとりもどした知識人に援けをかり、芸術の助力をうけてのみ、自立をこころみえた。‥特権御用商人によってではなく、都市民としての地位と信念をもつひとびとによって、ドイツの再生が高らかに宣言される時代がこようとしている。」(第3章)
「18世紀のドイツが、あれほどに政治上の分裂をきわめ、‥きら星のごとくに思想家や芸術家が輩出する。オーストリアとプロイセンという二大国家がドイツの二元主義にむけ前進をつづけるというのに、ほかの国からも、べつべつの声があがり、百花斉放といった趣である。」(第3章)
第4章にいたってようやくベートーヴェンとヘーゲルの生まれた1770年となる。この年、フランス・ブルボン家ののちのルイ16世(16歳)と、神聖ローマ帝国のハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット(15歳)の婚儀がヴェルサイユ宮殿にて挙行された。
「啓蒙の思想になじみ始めていた、旧体制の転覆と新体制の樹立とは、歓迎されてしかるべきだろう。しかしひそかに拍手をおくったものを別とすれば、強い反感をもって受けとられたというべきだろう。革命の進行があまりにも激烈すぎた。‥あれよあれよというまに、改革派破壊に直結し、博愛をめざした革命は、憎悪をもって敵を殺害しあう修羅場に転じた。(亡命・逃亡フランス貴族たちは)ドイツの土地を反革命の拠点にかえ‥。」(第4章)