古稀といわれる70歳になった今年も私の身の回りにはいろいろなことがあった。私自身の体調もこれまでとは違う要素が出来し続けている。体内時計の進行速度が早いと思うか、短いと思うか、人それぞれだが、私はいつも早いとも遅いとも実感しない。体内時計の進行速度は、生理的時間と言い換えてもいい。日々の時間の長い、短いを繰り返しているうちに、365日つながった、という気分である。
生涯を終えるときに、自分の一生が長く感じたか、短いと思うか、充足感があったかなかったか、今からは想定できない。
今年一年は、ここ数年来つづく「老いの実感」をひとつひとつ噛みしめながらよろよろと歩いているうちに365日経過していた、というのもひとつの側面である。
ひとつひとつの実感は、ブログ掲載してきた。振り返って思い出すのも苦労するほどたくさんあった。それらを自分に納得させていく時間は長く感じるものだということも実感した。一年たって振り返って、総体として長かったのか、短かったのか、今はわからない。
65歳頃から強く実感した「老い」。この「老い」というものが、身体の持久力や瞬発力・気力の持続力・脳の活力の減退を着実に進行させていることだけは確かなことである。
物事に対する興味も、その範囲は狭まっている。狭まっているとはいえ、その範囲ではその旺盛さに自分で手を焼いていることも確かである。
「老い」の進行によって見えなくなったものもあるが、新たに見えてきたものもある。最後の最後まで、自分の体や精神力に抗い、もがき、そして社会との摩擦・軋轢を持続することだけは確実である。
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