Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

お断り「目的のためにすべてを‥」

2021年04月28日 14時20分31秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 今朝は9時半過ぎまで寝てしまった。7時ころいったん目が覚めたものの再び2時間以上寝てしまった。あまり気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのがかわいそうだったと言われてしまった。そんなに疲れていたとは思わなかった。

 午前中は出来上がったニュースの原稿の指摘箇所を訂正。朝一番で指摘のメールが届いていた。やはり他の人の目を通すといくつも出てくる。私の勘違いで書いた文章もあった。
 問題は、訂正をしたら字数か増えてしまったために少し割付を変えなくてはいけなくなったこと。こういう失敗が一番つらい。そのほか、一晩経ってから気が付いた不備を三点ほど自分で見つけた。
 A4の表裏だけだが、不備はたくさん出てくる。

 午前中の作業は終了。これより出かけよう思うが、陽射しはあるものの、風がかなり強い。

 さて、緊急事態宣言が3たび出た。都内の美術館のチケットが仕えない。何しろ多摩川を越えてはいけない、ということになってしまった。しかも灯火管制もするという。
 が、これまで医療現場や福祉現場の予算や人員体制を「採算」を前面にたてて削減しておいた失策の反省もなく、またその復元の手立ても不十分なまま、国民に「耐乏生活」を強いる政治にウンザリである。
 集団感染の「経路不明」の大半はあの「蜜」の見本である通勤・通学の電車・パスであることは容易に察しが付く。これまでそれを止める手立ての模索もしないできて、今頃になって都県境をまたぐなというのもいい加減なものである。リモートワーク・時差出勤・通勤時間の短い職場への分散化などの具体的な展開も示してこなかった。
 日本の企業の多くはすでに自律的に変化に対応できずに、国家の指導待ちといわれて久しいそうである。働く人を大切にして来なかったツケでもある。
 しかも、感染者対応で医療現場が崩壊に近く切迫しているなかで、ワクチン接種がようやくはじまり、早くて7月から8月が医療関係の人手の需要のピークになろうとしている。そんな時に「7月末からのオリンピック・パラリンピックのために医師と看護師を800人確保」などというたわごとが、「組織委員会」からの「要請」としてあったとのこと。「オリ・バラ」といえばすべてが許されてしまうという実績を作ってしまっている。
 国会の予算執行のチェックを超越して平然としている。予算も企画も、すべてがブラックボックスの中にしまわれてしまった。競争入札を経ない単独委託、丸投げ委託、人件費などのチェック、中抜きなどのチェックをしようともしない政府。これでは無駄遣いが横行するだけである。
 「聖火リレー」を見ても、自治体は「組織委」の言いなりである。
 誰が考えても不可能・不思議がまかり通る日本である。80年近くの昔に埋葬したはずの「強権」が再びよみがえっている。亡霊ではなく、実害のある魔物として。人を消耗品とした日露戦争以来の戦争国家、強権国家日本が復活している。為政者はとんでもない勘違いしているとしか思えない。
 「国威発揚」のために「すべてが優先する」国家は、病んでいる。不健康そのものである。「目的のためにはすべてを犠牲に‥」、そんなことはお断りしたい。



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