毎日曜日のNHKの日曜美術館はさいわいにもオリンピック放映にかき消されることなく、今回も放映された。しかも「香月泰男のシベリア・シリーズ」であった。
香月泰男の名を知ったのは1972年頃だったと思う。むろんまだ全容は知らなかった。またなぜ香月泰男だったのか、その契機も記憶にない。
記憶が正しいとすると、1970年に発表された同シリーズの「朕」の添えられた画家本人の言葉に感激した。これが1972年なのか、もっとあとなのか、問い詰められると自信はない。
「人間が人間に命令服従を強請して、死に追いやることが許されるだろうか。民俗のため、国民のため、朕のため、などと美名をでっち上げて・・・・・・。朕という名のもとに、尊い生命に軽重をつけ、兵隊たちの生死を羽毛の如く軽く扱った軍人勅諭なるものへの私憤を、描かずにはいられなかった。敗戦の年の紀元節の営庭は零下30度余り、小さな雪が結晶のまま、静かに目の前を光りながら落ちてゆく。兵隊たちは凍傷をおそれて、足踏みをしながら、古風でもったいぶった言葉の羅列の終わるのを待った。・・・・朕の名のため、数多くの人間が命を失った。」
香月泰男はシベリア・シリーズの一点一点について解説文を自ら書いている。
「自分に忠実であろうとすると、ますます他人には分かりにくいものになっていく。一方で人に理解されたくない、これはオレのものだという気持ちがあるのに、やはり分かってもらいたいという気持ちも他方にあるのは否定できない。しかし、妥協はできない。解決策として、私は説明文をつけることにした」
東西冷戦下の日本の国家体制、世界秩序の根幹であった西側民主主義と「社会主義」圏の、共に国家の名による抑圧、それらの縮図である国内の保守・革新という図式と党派の論理の跋扈・・。当時の新左翼運動もこれらからの止揚をめざしつつ、それに押しつぶされて暴走を始めていた。
そんななかで画家の立場から明確に、「朕」に解説文が発せられていることに当時の私はとても惹かれた。
なお、作品の中央部の白い部分は「読み上げられている軍人勅諭」である。その背景の人物は営庭で聞かされている兵隊でもあり、同時に亡くなった兵隊でもあるのだろう。
実はシベリア・シリーズは初期の2点を除いて「黒」が主体の作品である。その「黒」を際立たせる技法の秘密も紹介していた。
しかしながら、シベリア・シリーズ以外の諸作品は色彩があふれるような抒情的な作品で溢れている。これもまた香月泰男の魅力の作品群である。
(遠吠え)本日の番組ではこの「朕」という作品の紹介もあり、また添えられた作者の解説文も読み上げていた。数年前には想像できなかったことである。NHKも部門ごと、番組ごとにずいぶんとニュアンスや意図に差が出てきたようだ。どれが正しいなどとはいわないが、少し前のように力あるものへの忖度をやめ、力におもねることをやめ、時代の病理をえぐり、多様性のある番組を望みたいものである。