いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

旅立ちのとき

2004年09月13日 | 考える
僕にも旅立ちのときがくるかもしれない。
唐突に。残酷に。

それまでの生は、これまで出会った人の中で続いていく。
新しいものを足すこと無しに。

「遠く離れてしまえば死んだも同じことだ」と
思っていた。

だって、すぐには会えないのだから。
でも、遠くにいるのといなくなるのとはまったく別のことです。

「人の価値は、葬式のとき何人泣いたかで決まる」
そう信じてました。

でも、それは間違っていたかも。
白黒の写真見たときにも信じられず、涙さえ出なかったのだから。

大学でいつもみんなを笑わせていた。
いやな役を引き受けていた。
みんなが衝突をするときには、
悲しい顔をしていましたね。

まだ、あなたがどこかにいるような気がします。
みんなで集まったときには、
電柱の影から、いつものようにこっそり出てくるのではないかと
振り返ってしまいます。

福岡ももう秋ですかね。

いつか僕が旅立つときには
迎えに来てくださいね。
大学に入った僕らを、迎えてくれたように。
そのときには、胸を張って会いたいと思います。
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飛行機から見えたもの(小さな世界2)

2004年09月13日 | 考える
あれは、帰省の途中であっただろう。
機上の人であった。
着陸する飛行機は隣の県で高度を落とし、
雲の切れ間から下界が見えた。

見覚えのある形、緑、ビル。

そこに全てがあった。

自分の生まれ育った住宅街。
親父の勤めていた会社。
自分の通った小学校、中学校、高校。
繁華街とは呼べない街。
一番遠い友達の家。
好きだった娘の家。
自転車で行った海。

10秒も見えただろうか。
そこには全てがあった。
高校までの全てが。

小さい、小さい世界だった。
こんなちいさな飛行機の窓から、
全てが見えた。
両手ですくってしまえそうだ。

18年。そこで暮らしたのだ。
こんなちいさな窓から見える範囲で。
友もいた、ライバルもいた、いやなやつもいた。
先生も、初恋の人も、名も知らぬ人々も。
みんなそこに確かにいたのだ。

その小さな世界に。

今は、東京にいる。
もしはるか宇宙空間から地球を見ることができれば、
きっと僕は日本を探し、
「ああ、あそこにいたのだ、あんな小さな世界に」
と言うにちがいない。

視点を変えてしまえば、
ものの大小や、そのものの価値など関係なくなってしまう。
どれだけ思い入れがあるのか。
ただ、その一点だけなのだろう。

その人にとってどうなのか。
そのことだけが、きっと重要なのだ。
コメント (4)
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