いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

配慮とは

2004年10月26日 | カウンセラー勉強記
産業カウンセラーの閉校式。
講堂に集まった生徒は90人あまり。
グループは12~13名でごとに
組まれており、順番に名前を呼ばれて、
呼ばれた人はグループ全員が呼ばれるまでその場に立っていくという
形のものだった。

生徒の中には
車椅子の人が2名ほどいた。

順番がまわってきて
名前を呼ばれたとしても、
その人たちは立つことができない。

自分のグループにそのことを指摘した人がいた。
「カウンセラー講座という心を扱う場所であるならば
 もっと配慮があってもよかったのではないのか」と。

私は正直に言ってではどうすべきだったのかということについて
判断できないでいる。

でももし、自分が車椅子で
立てなかったとしても、なんとも思わないだろう。
人生は不公平なものだと知っているから。

逆に、
「車椅子の人たちがいるので
 立たないで手をあげることにしましょう」
というふうな配慮をされることによって余計に
みんなに申し訳なく思う。

この問題は、いまだ自分の中で決着していない。

2名の人たちはどういう想いで、
閉校式を迎えたのだろうか。
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終わりなき連鎖~繋いで繋いで~

2004年10月26日 | 考える
あれはいつのころだろうか、
かつて親に聞いたことがあった。

「育ててもらったし、言葉では言い表せないほどのものをもらってきた。
 この恩をどうやって返せばいいのか」と。

親はこう答えました。
「恩返しは、してもらったその人にだけすることではないのだよ。
 自分が親に、周囲に、してもらってありがたいと感じたことは、
 自分の子供に、困っている人、周囲の人にしてあげなさい。
 そうすることが本当の恩返しなのだよ」と。

「そういうものかな・・・」
とそのときは思いました。

人の世には終わりなき連鎖があるのかもしれない。
それは憎しみもあれば、思いやり、親切ということもある。
同じ連鎖を繋いでゆくとすれば、
何を繋いでいけばよいのでしょうか。

長い人生の中で、お世話になりながらも返す機会もなく
途切れてしまった恩でさえも、誰かに返していけば、
回りまわってその人に届くかもしれない。

できることならば、たくさんの人にもらった
厚意を繋いで繋いで。
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