産業カウンセラーの閉校式。
講堂に集まった生徒は90人あまり。
グループは12~13名でごとに
組まれており、順番に名前を呼ばれて、
呼ばれた人はグループ全員が呼ばれるまでその場に立っていくという
形のものだった。
生徒の中には
車椅子の人が2名ほどいた。
順番がまわってきて
名前を呼ばれたとしても、
その人たちは立つことができない。
自分のグループにそのことを指摘した人がいた。
「カウンセラー講座という心を扱う場所であるならば
もっと配慮があってもよかったのではないのか」と。
私は正直に言ってではどうすべきだったのかということについて
判断できないでいる。
でももし、自分が車椅子で
立てなかったとしても、なんとも思わないだろう。
人生は不公平なものだと知っているから。
逆に、
「車椅子の人たちがいるので
立たないで手をあげることにしましょう」
というふうな配慮をされることによって余計に
みんなに申し訳なく思う。
この問題は、いまだ自分の中で決着していない。
2名の人たちはどういう想いで、
閉校式を迎えたのだろうか。
講堂に集まった生徒は90人あまり。
グループは12~13名でごとに
組まれており、順番に名前を呼ばれて、
呼ばれた人はグループ全員が呼ばれるまでその場に立っていくという
形のものだった。
生徒の中には
車椅子の人が2名ほどいた。
順番がまわってきて
名前を呼ばれたとしても、
その人たちは立つことができない。
自分のグループにそのことを指摘した人がいた。
「カウンセラー講座という心を扱う場所であるならば
もっと配慮があってもよかったのではないのか」と。
私は正直に言ってではどうすべきだったのかということについて
判断できないでいる。
でももし、自分が車椅子で
立てなかったとしても、なんとも思わないだろう。
人生は不公平なものだと知っているから。
逆に、
「車椅子の人たちがいるので
立たないで手をあげることにしましょう」
というふうな配慮をされることによって余計に
みんなに申し訳なく思う。
この問題は、いまだ自分の中で決着していない。
2名の人たちはどういう想いで、
閉校式を迎えたのだろうか。