いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

時間と力

2005年04月11日 | 考える
「柔よく剛を制す」という言葉がある。

なかなかに、難しい言葉だ。
しかし最近はその意味がよくわかるような気がする。

ぱっと見ただけでわかる問題はたいしたことではない。
だけど、ボディブローのようにすこしづつ、すこしづつ効いてくる
ものは気付くのが遅れるだけに厄介だ。

病気も、あからさまにわかる外傷よりも
日々の少しづつの積み重ねによる生活習慣のほうが恐ろしい。

本当の脅威は静かにやってくるものだ。
日本では食うや食わずの時代はとっくに終わっているが
今度は身体ではなく、こころの問題が出てきている。

真実は変わらないものの中にあるのではなく、
変わり行くものの中にあるし、
今強いものは次の弱者であるかもしれない。

吉野家のようにデフレ戦争で勝者になった後に
BSE問題で弱者となる。

時間軸をずらせば、強者は強者でなく、
弱者は弱者でない。

ならば、続けていくことこそが
重要なことなのかもしれない。
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友達があなただ

2005年04月10日 | 考える
似たものは集まるという。
現在の自分を知りたければ、自分の友達を見てみればよい。
そこにすばらしい人が多くいれば、
自分自身もすばらしいし、
そうでなければ、自分自身もそうではないということだ。

自分を変えていけば、おのずと集まってくる人たちも
変わってゆく。

趣向や、価値観の全く異なる人たちとは一緒に
いたいとは思わないからだ。

しかしまた、自分自身を変えるということは
かなり難しいことも事実だ。

もっと柔軟なものだと思っていた。
録音していないカセットテープのように、
それは録音された音さえ同じであれば、
同じ性質を持つものになれると思っていた。
だけど事実はかなり違う。

書き換え可能な部分と
既に固定されたもの。

それらの違いもわからずに
変えようとしたり、消してしまおうとしたり、
認めなかったり。

自分自身が変わるときには友人も変わってゆく。
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補助的なもの

2005年04月09日 | 考える
毎日の時間のなかで「やるべきこと」の中に優先順位があるとすれば、
このBLOGは何番目になるだろうか。

かつてインターネットが普及し始めたとき、
「インターネットでマイナーな人たちのコミュニティが活発になる」
という文章を読んだ。

普段では出会えない、同じような思考、嗜好、行動、趣味などなど、
そういうものを持っていたけれども、周囲に同じような人がいない、
そういう人が結びつくツールとしても存在するだろうということだった。

自分はどうなのだろうか。

確かに、自分自身を振り返るとマイナーな思考であるし、
周囲に似た人を探すのは難しい。

しかし思うのだ。

インターネットの世界と現実の世界は少しも違わない。
よく、現実世界と仮想世界という対立の構図で考えてしまうが、
実際は相互補完の選択肢のひとつということなのだろう。

そう考えると自分にとってはこの仮想の世界は自分の生活を補助するものであって、
決して主とはなりえないような気がする。
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VS 衣装ケース

2005年04月08日 | その他
衣装ケース(プラスチック)を捨てようと思い立った。
そうしてよくよく見たら、燃えないゴミの大きさを越えていた。

そうきたか。ならば、ばらばらにして捨ててやる。
ニッパーとはさみを持ち出して切ろうと試みたけど切れない。
ぬぐぐ、結構丈夫だね。

30分くらい格闘していたが、どうにもならない。
友達に聞いたところ、枝切りバサミがよいのではないか
ということになり、ちょっと店で見てみたら、
値段が最低1000円から。

強力にビシバシ切れそうなのは3000円と高い。
うーん。一回しか使わないのになぁ。

悩んで、悩んで思い出した。
粗大ゴミのシールは200円だということを。

はじめから、シール買えばよかったよ・・・。
僕の1時間を返してください、かみさま!
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やる気を削がれたなぁ

2005年04月07日 | 考える
良かれと思って行動したことに対して、
お礼の言葉もないことがある。

そういうとき、がっかりしてしまう。
確かに人の感謝を当てにするのは良くないとは思うが、
頼まれ事をやっているのに、それについて無反応というのは
ちょっとやる気をそがれることではある。

つまりはこういうこと。
4人で旅行に行く。
だれも行けないというから時間を割いてチケットを取りに行く。
取れたと他のメンバーにメール。

返ってきた返事は一通で、
「出発時間は何時ですか?」

ああ、やる気なくなった。
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桜を楽しむ心

2005年04月06日 | 考える
10代、20代のころ、桜を美しいと思ったことは
あまりない。

学校には大抵桜が植わっており、
4月ともなると、
桜のトンネルの中を別れ、また出会ったものだったが、
あくまでも背景としての桜を見ていた。

大学を出たころくらいから、
自然の美しさがわかるようになった気がする。

同じ小説を読んでも、読み手の年代によって
感じるところが異なるように、
同じ風景を見ても、その「受け取り方」は
その「人」によって千差万別なのだろう。
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不安を恐れず

2005年04月05日 | 考える
仕事をしているといやなことが結構ある。

後になって考えるとそういう仕事こそが自分のためになっている。

確かにそういう渦中にいるときは苦しくて、
早く現状を脱したいと願う。
だけども、それに耐えると何かが身につくのかもしれない。
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悪魔は笑顔で近寄ってくる

2005年04月04日 | 考える
自分も似たような境遇にあったことがある。
早い話がだまされたのだ。

そのとき、目が眩んで道をかなり踏み外した、と思う。
もし、あのときにその人に出会うことなく、だまされることもなかったならば、
小さな世界で、気付くことなく幸せに生きていたような気がする。

だけど、相手はこちらの気持ちを掴むために
どんな嘘でもついたし、どんな演技でもした。

そうして僕は一番大切なものを失った。

だけど、見抜けなかった自分が悪い、と今では思う。

そこで教えてもらったのだ。

「悪魔は笑顔で近づいてくる」ということを。
決して苦言を吐いたり、怒ったり、そういうことはしない。
そのとき求めていたものを求めるだけくれるのだ。

現代社会は相変わらず、
弱肉強食で、弱いものは食い物にされるし、
頭が悪ければだまされる。

すべての人がそういう人たちではないが、
中には、笑顔の悪魔が混じっている。

それを見抜く目が必要だ。
もう、誰も守ってはくれないのだから。
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顔がいいではなく、いい顔の人

2005年04月03日 | 考える
今日も花見である。
新宿御苑で、未だ咲きかけの花を見ながら、
女友達と話していたら、
恋愛のきっかけの話に・・・

きっかけは顔だ!と言い張る彼女に、
まぁ、そうかもしれないなと思いつつも、
顔がいい人ではなく、いい顔の人のほうが
いいものだと、ちょっと反論しながら、
暖かい酒宴は続いてゆくのでした・・・
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ポジションの変化

2005年04月02日 | 考える
会社の人たちと花見でした。
桜はぜんぜんありませんでしたが。

気付いたら、今の部署での先輩はもう2,3人しかいない。
いつの間にやら年長者。

乾杯の挨拶なんかしたくないし、
みんなに気を使って、
盛り上げたりしたくないなぁ。

年下であればあるほど、
ある意味自由に振舞える。

多少の悪ノリも許される。
だけど、もうそれは許されないようである。

今度は悪ノリする後輩を少々抑えるような
そういう役割がやってきたみたいだ。

ポジションは知らない間に変化しているようだ。
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