午前4時前の21.7℃が最低気温、残暑厳しい日差しと台風16号からの暖湿流で
正午過ぎには30度越えの真夏日となり、31.4℃迄上がった奈良です。
11時、28.8℃、55%
七夕の花と言われる「センノウ・仙翁」の赤朱色の花が朝日を浴びて咲く。
なぜ七夕の花かというと、七夕のことを「仙翁の節句」という意味の“仙節”と
呼ばれているからです。
5弁花で先端が切れ込むのが特徴のナデシコ科の多年草、中国原産で日本へは
鎌倉時代末から室町時代初めに渡来し、京都・嵯峨にあった「仙翁寺」で栽培
されたことが和名の由来とされている。
全体に短い毛が生えていて、直立する茎には葉が対で、茎の先端にまとまって
咲く花だが、多くは3倍体で種子が出来ず、差し芽か株分けで増やすようだ。
花言葉は「恋のときめき」「名誉」「機転」「機知」と
先日公民館講座「光雲寺に聞く、仏教マメ知識」、
お話は、平城山光雲寺住職・本川道法、3年半前に前住職から引き継がれ、
宮崎県小林生れ、お寺の三男坊で僧侶になるつもりはなかったのだが・・・
現在小樽別院と当寺(平成3年開山)を掛け持ちされ、別院は直営で、当山は
フランチャイズ( ´∀` )わら、ふたつを行ったり来たりされているようだ。
日本の仏教は、お葬式や法事でしか関わりがないと思われているのでは・・・
宗教とは、「宗」は「終活」の「終」で”どう生きていくか”を示していると
Ⅰ宗教マップ
Ⅱ釈尊(ゴータマ・シッダッタ)の生涯
誕生:紀元前463年4月8日(諸説あり)
七歩歩き天地を指し「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当安之」
六道・迷界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)→七仏陀界悟界
出家:紀元前434年(29歳) バラモン教
求道:修行・・・スジャータの供養
成道:紀元前428年12月8日(35歳)、悟り(中道、四諦八正道、因縁生起)
伝道:初転法輪
晩年:最後の旅、遺言『自灯明、法灯明』
『すべてのものは移り変わる。汝らは怠ることなく努力せよ』
涅槃:紀元前383年2月15日(80歳)
経典の編集は入滅後4か月後、弟子約500人により経典編纂会議
Ⅲ仏教とは、仏に成る教(成仏道)、
中道 両極端(苦行と快楽)を離れた道、中観(さとりの道)を求める
四諦八正道、四つの真理と四つの諦め(諦めとは、明らかに見る)
①苦諦 苦の現実「人生の真相は苦である」
四苦八苦
生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦
②集諦 苦の原因
③滅諦 さとりの世界
④道諦 さとりへの道
八正道
正見、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
因縁生起 因果の道理・・因果応報、善因善果、悪因悪果
三法印 仏教の根本的な教え 仏教の旗印
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
下記の「私の宗教マップ」を頂いた。
上記のマップを理解するのに生かせそうなWeb記事が目に留まりました。
「仏教の本質」が見えている』現代ビジネス
講談社選書メチエの『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』
(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)からのようで、抜粋加筆した
インドから各地に伝播した仏教は、スリランカ、東南アジアに伝わった
テーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジア、チベット、中国、日本へと
伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列と大別される。
さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けられる。
テーラワーダ系仏教では全ての経典が大蔵経として伝承及び共有され、
文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承
注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。
チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教となり、当時インドで
入手できた大乗仏教経典が全て数十年の間に組織的にチベット語に翻訳。
テーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義・修行体系は大きく異な
るも、大蔵経を共有し、僧侶の集団も存続し仏教本来の姿が見失われない。
中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなく、
インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通するいくつかの経典を単発的に
数世紀かけ中国語に翻訳した。
中国人僧各人は、大蔵経全体からすれば極 一部の経典だけに基づいて
仏教 を理解する、いわば「偏食」することになったと。
中国仏教の延長線上の日本仏教、この偏食、仏教用語で「専修(せんじゅ)」
の傾向が一層高まったという。
その日本での仏教伝来は公式には550年頃に百済からです。
日本の「アショカ王」といわれる聖徳太子(574-622年)は十七条憲法で
仏教を国教として保護し、本格的な発展を遂げることになる。
その後奈良時代の東大寺・唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代の
天台宗・真言宗の誕生を経て、鎌倉時代の「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系
宗派や禅宗の創始になる。
この潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて
複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化が、有効的に仏教を実践していると
いう気持ちを抱かせたことで、様々な階級に受け入れられ、普及した。
日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、経典は漢訳仏典のまま
近代にいたるまで日本語に訳されることもなく、法話だけは日本語となる。
結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は
「信仰」というよりは、葬式、お彼岸といった「行事」「法要」としてのみ
存在している感がある。
しかしながら、日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると
一蹴することはできない」
「多様な文化に対する並はずれた適応能力により、特異な豊かさを呈する
仏教となっている。」
なかなか面白いことが書かれていました。