カメラを片手に

元興寺塔跡の門が閉じられていたのは?

早朝は快晴なのに最低気温は深夜の5.2℃、そして昼前には雲が空を覆った。
気温は上がらず12.7℃止まりで、ほぼ陽射しもなく肌寒い一日です。
           
            12時、11.4℃、40%

NHKラジオ深夜便-今日の誕生日の花は「ツワブキ・石蕗・艶蕗・橐吾(ツワ) 」
漢字の石蕗の意味は、岩の上など厳しい環境でもたくましく育つことからで
別名は、イシブキ、イソブキなどと呼ばれ、日本を含む東アジア原産のキク科
の常緑多年草です。
      

万葉集には詠まれておらず、和名の由来は諸説あるが、代表的な転訛として
①葉の表面が蕗(フキ)に似て、つやがあることで艶葉蕗(つやはぶき)が転訛
②葉が分厚いので、厚葉蕗(あつはぶき)が転訛

自生地は海岸近くの岩場などで、初冬に伸ばした花茎の先端に散房花序をつけ
、直径5 cm前後のキクに似た黄色い頭状花を数個まとめて咲かせ、外周には
舌状花が並び、中心に密に管状花が集まる。
その後結実し褐色の冠毛のため、タンポポのように風を受けて散布する。
昔から民間薬や食用野草として若い葉柄が食べられ、また観賞用に江戸時代に
盛んに古典園芸植物として品種改良され、今でも庭園などに植えられている。 

花言葉は日陰でも育ち、寒さが厳しくなる頃に咲くことで「困難に負けない
小庭では、よく見れば花も終わりのようですね。
いくたびか 時雨のあめの かかりたる 石蕗の花も つひに終りぬ』 斉藤茂吉
今週末からどっと寒気が流れ込むことでしょう。
      

     ・・・・・     ・・・・・    ・・・・・

一月前のなら町界隈を巡り、元興寺旧境内を歩いてきました。
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、
蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺です。
江戸期の観光案内書、1791年、秋里籬島『 大和名所図絵』にも元興寺が
描かれ、五重塔や金堂が認められますね。
    

旧寺域(ピンク色)は北は猿沢池、東は奈良ホテル、西は中つ道と広く、
世界遺産として登録された旧主要伽藍(青色)を示し、左側に配置を示す。
 
                   元興寺HPより

元興寺塔跡:塔跡は僧房もも付属する東塔院として元興寺の一画を占め、東塔
観音堂にあった丈六の観音像は庶民の信仰を集め、長谷寺の観音に行く前にお
参りする風習があった。
大和名所図会のも描かれた五重塔は高さ55mもあり、現在日本一の東寺の五重
塔よりも高かったが、1859年に隣家からの火事で観音堂と共に焼失した。
 *五重塔は当時修理中、屋根瓦が外され、火が燃え移りやすかったと聞く
訪れたときは、門が閉まり入ることができなかった。
      

2018年11月16日の写真になり、礎石が残されている。


      



            2018.11.16元興寺塔跡

6年前はインバウンド客もここまで訪れる人はなく、秋を満喫できたのだが、
思うに、出入り口が一カ所で観光客のマナーの問題もあり、安全のため、
門を閉められているのかもしれない。

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