東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その3)の下見

2013年03月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月4月、田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズの3回目をします。そのための下見をしてきました。最初、麻郷の八海バス停から国道188号線に沿って鳥越に向かって歩き、麻郷護国神社(惣田山招魂社)に行きました。この麻郷護国神社には、明治維新の戊辰戦争で亡くなった方などが祀られています。歴史上有名な方も祀られています。

     スタート地点の麻郷八海バス停            物静かな麻郷護国神社
 

 麻郷護国神社は小高い丘の上にあります。私が子供の頃、この丘から見下ろすと田んぼや海が良く見えました。しかし、今は工場ばかり見えるのは残念です。ところで、ここに最も早く祀られた方は、戊辰戦争で亡くなった第二奇兵隊関連の方です。亡くなった場所が「越後」と刻んである方は、今の新潟で亡くなったのでしょう。当時、越後の長岡藩で激しい戦闘がありました。NHKドラマ「八重の桜」に関わる奥州列藩同盟の遠因となった世良修蔵の碑もひっそりと立っています。10日後の4月1日、これら亡くなった方々を供養する慰霊祭があります。

             明治維新の戊辰戦争などで亡くなった方々の碑


 次に鳥越から高塔に向かって歩きました。しばらく歩くと、国木田独歩が滞在していた吉見家跡の碑があります。目立たない碑ですので、車に乗っていると気がつかないほどです。続いて、麻郷中学校跡地に行きました。麻郷村が田布施町に合併するまで、ここに中学校がありました。私が子供の頃、まだ校舎が残っており子供会などの行事に使われていました。その後一時的に養鶏場になり、今は大晃機械の工場になっています。大晃機械の隅にひっそりと、麻郷中学碑が立っています。

        国木田独歩吉見家跡碑             人島橋跡に建つお地蔵様
 

 麻郷中学校跡を過ぎしばらく歩いて、人島橋跡地にひっそりと立つお地蔵様に行きました。このお地蔵さま前の道には、江戸時代に平生方面に行く唯一の橋(文化九年申三月十?年1812年に架橋、昭和2年1927年に再架橋)が架かっていました。江戸時代の古地図によると、当時は八海から竪ヶ浜までの一帯は海でした。このお地蔵様あたりから、熊毛南高校に至る土手が海岸線だったようです。もちろん今の八海橋はない時代です。

                     約40年前、昭和49年(1974)の高塔地区北部
          田布施川に残る
人島橋の朽ち果てた橋げた(黄丸の部分)

 私が子供の頃、平生に行く時はここに架かっていた人島橋を渡っていました。また、この橋の付近で貝(しじみ)をよく取っていました。しかし、この橋は再建されずに朽ち果ててしまいました。このあたり、今では橋があったとは思えないほど様変わりしてしまいました。

             ヒバリの鳴く、広い田んぼの真ん中をウォーキング


 人島橋跡の後、少し道を戻って広々した田んぼの中を歩きました。朝は豪雨だったのですが、午後は少しずつ晴れてきました。ヒバリが空を飛びながら、ピーチクピーチクとうるさいほど鳴いていました。この広々した田んぼのどこかに巣を作っているのかも、あるいはもう巣があり子育てしているのかも知れません。しばらく広い田んぼのど真ん中を歩くと、田布施川堤防に着きました。その堤防を歩いて川添橋近くにある河川工事碑に行きました。

     川添橋近くの田布施川工事碑            浮島神社の石段と鳥居
 

 田布施川工事碑を見学した後、浮島神社に向かいました。この「浮島」と言う名前は不思議です。この田布施平野には「島」や「浜」など海に関係する名がつく地区がたくさんあります。一例として「人島」地区があります。平生町の地区で、古代には島だった地区です。このため、浮島も古代には島だったのは間違いありません。ただ、「浮島」と言う名前が何故なのかは分かりません。浮島神社の力石や江良碧松(えらへきしょう)碑を見た後、再び田布施川堤防に戻りました。

           広々とした田布施川と、その堤防をのんびりとウォーキング
              左下は、歩いた距離を測るウォーキングメーター



 田布施川の堤防を過ぎて、新関戸橋を渡りました。今度は田布施川の左岸の堤防を降りて、その草地を歩きました。草を食むのか、たくさんのカモが草地にいました。私が歩いて迫ると、驚いたのか一斉にカモが群れ飛んでいきました。4月7日は田布施町恒例のさくら祭りです。この堤防沿いに植えられた桜が一斉に咲きます。私も4月7日、さくら祭りに行きます。

              たくさんのカモが群れていた堤防沿いの草地


 次に、橋を渡りハミングロードに沿って歩きました。少しお腹がすいたので、交流館を覗いてみました。私の好きなメロンパンは売り切れでしたので、シュガーラスクを買いました。そして、田布施川を見下ろすハミングロードの長椅子に座って食べました。初めての休憩です。この頃になると少し足が疲れてきました。食べ終わると、すぐ先に見える、終点の田布施町役場に向かいました。そして、ついでに田布施駅まで行ってみました。スタートポイントの麻郷八海から田布施町役場まで6.2kmで、JR田布施駅まで6.7kmでした。いつものウォーキングより距離が短いので、本番ウォーキングでは詩情公園を追加してもよいかも知れません。

     交流館傍のハミングロード            終点の田布施町役場
 

 歩いたルートは、下記GPS地図の紫線のコースです。右下の麻郷八海から左上の田布施駅まで歩きました。なお、田布施川史跡めぐりの次回(シリーズ4回目)は、今回歩いた反対側の田布施川左岸を6月に歩く予定です。




下は、会報3月号(ハガキ版)です。

コメント (2)
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