東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町竪ヶ浜~田布施川沿い史跡巡りウォーキング(3/3)

2024年12月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 柳井市に入ってしばらく山沿いを歩いていると、灸川に架かっている石橋に着きました。下見時に分かっていましたが、橋脚の一部が傾いており渡ることが禁止になっていました。ですが、見ていると自転車で渡っている方がいました。車だけが渡れないようで、人がすり抜けることができる幅に隙間が設けられていました。
 その石橋を注意深く渡った頃、ちょうどお昼になりました。そのため、灸川の堤防に座って昼食休憩を取りました。

           灸川の堤防に座ってのんびりと昼食休憩


 昼食休憩を終えると、灸川の下流に向かって堤防沿いの道を歩きました。舗装されていないとても歩きやすい小道でした。暑くもなく寒くもないウォーキング日和でした。歩いていると暑くなったため上着を脱ぎました。しばらく歩いていると灸川の河口が見えました。この河口からは田布施川となります。

  橋脚が傾いた石橋   灸川から田布施川に出る   田布施川沿いを歩く
  

 江戸時代後半の幕末期、灸川河口近くの田布施川中洲に刑場がありました。20年位前に田布施川の改修で、その中洲はすっかり無くなりました。
 私が子供の頃まだ中洲がありました。当時潮が満ちてくると中洲が見えなくなりました。今はありませんがこの近くに人島橋が架かっていました。この橋を渡って平生と麻郷を往復していました。

  子供の頃によく散髪した床屋さん     終点の平生Maxvalueに到着
 

  田布施川から別れて人島地区内を歩きました。江戸時代、この周辺が海だった頃に人島は島でした。田布施川を作った時に堤防にするために掘削したため島影が無くなりました。唯一高さ数mの岩が民家の庭石としてなごりをとどめています。
 人島地区から平生町街に入りました。私が子供の頃に通った床屋さん前を通りました。その床屋さんは休みでした。その床屋さんを過ぎると、終点の平生Maxvalueに着きました。参加された方々、お疲れ様でした。

     平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングのコース


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