人は生まれて何時か死ぬ。子供の頃は学校へ通い、勉強し成人して働く。やがて伴侶を得て家庭を築き子を産み育てる。
老いて働くことも無くなり、そのうち人生の幕が降りる。人の一生、大体こんなもの。
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そんな事を考えてしまう今日の私は鬱
農家の第一子に生まれ、下に6人の弟妹。後に両親は人助けに奔走し“扶け場所"
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だと教会設立。質素倹約の日々にうんざりの私は、高校卒業が待ち遠しく見知らぬ大阪に。当時は今の様な情報網もなく、
無論テレビもない時代。私の目的は“欲しい物が買えて、食べたい物を食べる、その為には 金・金・金” ひたすら自由
と、お金欲しさの一念だったと思う。今にして思えば、余りにも愚かな気儘者でしか無かった私だが、夢中で生きて居た
昔が懐かしくもあり愛おしくもある。老いた今は、もう夢を追うこともなく希望もない。残るのは責任感だけ。3匹のネコ達
への責任感。彼等を最期まで看て送る事が出来そうに無い事、これだけが今も私を悩ませる苦悩の種である。しかし、これが
今の私の生きる力に成っているのだから複雑。
今、生き甲斐は
と問われたら“3匹のネコ”と答えるだろう私。
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