私がブログを始めたの理由の一つは、芸術家としての私が、どんな人間なのか少しでも理解してもらいたいからである。
だからこそ、たまにではあるが、言いたいことを言わせてもらうことがある。
わたしは、芸術家に必要なのものは、以前にも述べた「才能を伸ばす努力」であると思っている。
そして、もう一つ必要なものは、自分の哲学というか美学というか、そういった自分なりの「考え」だと思う。
そういった人それぞれの考え方があるからこそ、多様な表現が生まれるはずである。
考えが多様であればこそ、私の意見に賛成できない人や、私の作品が好きになれない人も出てくるはずである。
考えが多様であるから、写実画が好きな人もいれば、抽象画が好きな人もいるわけである。
ところが、芸術家というものに対するイメージというものは、凝り固まっている。
不幸で貧乏で精神的に病んでいて、世間とは隔絶した世界に住んでいる人間みたいに思われている。
私も結婚が決まったとき、以前いた職場の人に「幸せになったら、絵なんか描けなくなっちゃうんじゃないの」と言われたことがある。
過去の巨匠たちには、結婚してから表現が変わって、そして評価を受けた画家もいる。パトロンに恵まれ、裕福な生活を送った画家もいる。賞が欲しくてたまらなかった画家がいる。もちろんまともな生活などほど遠い人生を送った画家もいる。
芸術家に必要なものは、自分をいかにして磨くかである。
就職が決まったとき、大学の友人に「サラリーマンになるなんて、芸術家の経歴として汚点だね」といわれたことがある。私も「そうかもね」と半分納得した。
ニックネームなので差し支えないと思うので、ニックネームのまま呼ばさせていただくが、その、大学の友人とのやり取りを高校同級生、わっさんに就職が決まった報告とともに話したら、
「それは違うよ。自立して働くということは大事なことで、芸術を目指すこととは関係ないよ」といわれた。
その言葉が、それ以来ずっと耳に残っていたが、この、わっさんに叱咤されたことが、今となっては痛いほど分かる。
色々な人に会い、いろいろな考え方にふれ、世の中を知り、そのような中で自分の考えを持ち、それを表現にぶつけていく!
自分の世界しか知らない人間の作品なんて何も面白くない。
最近、中学生映画監督が話題を集めているが、何日か前にも、朝方やっている情報番組で、この中学生映画監督をとりあげていた。
その番組に出演していたコメンテーターが「この大人にはない純粋な気持をなくさないでほしい。周りの大人が、少年の純粋な目を摘み取らないように注意してほしい」と言っていた。
もはや、腫れ物に触るような扱い!
大人になっても中学生の心のままの監督でいて欲しい!?
そんなことで、いい作品なんてできるわけがない。それでは成長しない!年齢に磨かれるようでなければならない!!
色々なものを見聞して、自分を磨いていくことは成長である。
多くの画家が、死の床で「あと数年あればもっといい作品が創れたのに」と言い残している。
これは、そこに目指すものがあって、晩年にしてなお成長を続けていたからこその言葉である。
監督に言いたい。
「今の純粋な気持をなくさないでね」「大人にはない無垢な目線を忘れないでね」と周りから言われることも多くあろう。しかし、それではむしろダメになる。
多くのものを見聞きして、自分を磨いて、その結果変化していくなら大いに結構。それは、子供の純粋な気持を捨てているのではなく、より高いところへ成長しているのだ。
そうやって、努力を重ねて変化していくのであれば、今まで積み上げて来たものが根底に残ってよりよいものが創れるようになるはずだ。
「子供の気持のままでいて欲しい」なんて、成長するなといっているようなものだ!
だからこそ、たまにではあるが、言いたいことを言わせてもらうことがある。
わたしは、芸術家に必要なのものは、以前にも述べた「才能を伸ばす努力」であると思っている。
そして、もう一つ必要なものは、自分の哲学というか美学というか、そういった自分なりの「考え」だと思う。
そういった人それぞれの考え方があるからこそ、多様な表現が生まれるはずである。
考えが多様であればこそ、私の意見に賛成できない人や、私の作品が好きになれない人も出てくるはずである。
考えが多様であるから、写実画が好きな人もいれば、抽象画が好きな人もいるわけである。
ところが、芸術家というものに対するイメージというものは、凝り固まっている。
不幸で貧乏で精神的に病んでいて、世間とは隔絶した世界に住んでいる人間みたいに思われている。
私も結婚が決まったとき、以前いた職場の人に「幸せになったら、絵なんか描けなくなっちゃうんじゃないの」と言われたことがある。
過去の巨匠たちには、結婚してから表現が変わって、そして評価を受けた画家もいる。パトロンに恵まれ、裕福な生活を送った画家もいる。賞が欲しくてたまらなかった画家がいる。もちろんまともな生活などほど遠い人生を送った画家もいる。
芸術家に必要なものは、自分をいかにして磨くかである。
就職が決まったとき、大学の友人に「サラリーマンになるなんて、芸術家の経歴として汚点だね」といわれたことがある。私も「そうかもね」と半分納得した。
ニックネームなので差し支えないと思うので、ニックネームのまま呼ばさせていただくが、その、大学の友人とのやり取りを高校同級生、わっさんに就職が決まった報告とともに話したら、
「それは違うよ。自立して働くということは大事なことで、芸術を目指すこととは関係ないよ」といわれた。
その言葉が、それ以来ずっと耳に残っていたが、この、わっさんに叱咤されたことが、今となっては痛いほど分かる。
色々な人に会い、いろいろな考え方にふれ、世の中を知り、そのような中で自分の考えを持ち、それを表現にぶつけていく!
自分の世界しか知らない人間の作品なんて何も面白くない。
最近、中学生映画監督が話題を集めているが、何日か前にも、朝方やっている情報番組で、この中学生映画監督をとりあげていた。
その番組に出演していたコメンテーターが「この大人にはない純粋な気持をなくさないでほしい。周りの大人が、少年の純粋な目を摘み取らないように注意してほしい」と言っていた。
もはや、腫れ物に触るような扱い!
大人になっても中学生の心のままの監督でいて欲しい!?
そんなことで、いい作品なんてできるわけがない。それでは成長しない!年齢に磨かれるようでなければならない!!
色々なものを見聞して、自分を磨いていくことは成長である。
多くの画家が、死の床で「あと数年あればもっといい作品が創れたのに」と言い残している。
これは、そこに目指すものがあって、晩年にしてなお成長を続けていたからこその言葉である。
監督に言いたい。
「今の純粋な気持をなくさないでね」「大人にはない無垢な目線を忘れないでね」と周りから言われることも多くあろう。しかし、それではむしろダメになる。
多くのものを見聞きして、自分を磨いて、その結果変化していくなら大いに結構。それは、子供の純粋な気持を捨てているのではなく、より高いところへ成長しているのだ。
そうやって、努力を重ねて変化していくのであれば、今まで積み上げて来たものが根底に残ってよりよいものが創れるようになるはずだ。
「子供の気持のままでいて欲しい」なんて、成長するなといっているようなものだ!
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