信濃川発電所工事材料運搬線を調べていて、はっとなった資料の一つとして、軽便が鉢沢川を越えるために掛かっていたらしい橋梁の建設中の写真がある
写真からも分かるように、随分と立派なトラス橋が架けられていたようなのである
この鉢沢川であるが、宮中ダムー浅河原調整池の間にあり、同区間でもとりわけ深い谷を形成している川である
現地のストリートビューだ
現道も橋で飛び越えているが、軽便のトラス橋もこれに近い長さの橋梁が架かっていたと推測される
して、秋ごろにこの場所に来た時は、鉢沢川に痕跡はないものと思った
草木が生い茂っていたこともあって、何も見えるわけがない
また、この時、私は軽便の橋はほぼ現道に近い位置か少し信濃川よりくらいにあったのだろうと思い違いをしていた
改めて当時の航空写真と現在の航空写真を比較すると一目瞭然なのだが、まじまじと比較してこなかったことが災いした
軽便の鉄橋は随分と現道からずれた方向に架かっていたことが分かる
方向としては、先ほどのストリートビューの右端にある路肩の駐車帯の方向へまっすぐ進んで行く方が正しい
それを踏まえて、改めて橋の上から痕跡を探したら・・・
!!!
!!!!!!
ちょっと想像される橋梁の規模に比べて小さい気がするけど、コンクリートの塊が斜面にへばりついている!
この時、興奮のあまり、カメラには望遠レンズを付けたまま斜面を駆け下りてしまった
鉢沢川の底に着いた時にレンズを変えて来れば良かったと思ったが、今更戻るのも面倒くさい
橋台と思しきコンクリートの塊の上の方、河岸段丘の上の方が少し切り欠いてみえるのが分かるだろうか
それにしても想像される橋梁の規模の割には橋台にしては幅が狭いと思った
ただ、改めて上記の建設当時の写真を見ると、案外そうなのかもしれないと思える程度に鉄橋自体も横幅は狭いようにも見える、軽便だから?
信濃川らしい丸い石を組んだ石垣も残っている
更に、橋台と思しきコンクリートの上に登って、その向きに合わせて宮中方に振り返ると、
まさに航空写真から分かった現道との角度差を感じる位置だ
更に2m~3mほど登ると切り欠き部分に到達する
建設当時の写真からも、橋台と切り欠き部分までの高度差くらいは高さのあるトラスに見える
ただ、ここは土捨て場になっており、一部は当時の路盤よりは嵩上げされてしまっているように見えた
実際にはもう少し低い位置で地上と接続していたように思えるが、それでも明らかな切り取り部分のような地形になっていたので私としては納得だ
改めて、最初のストリートビューの位置に戻って、橋の位置を落書きすると以下のようになる
果たしてあの橋台のようなものが信濃川発電所工事材料運搬線由来のものなのか、
それを確実なものとする資料をまだ見付けていないので断言はできない
しかし、それらしいものを見付けられただけで、私はここの谷を軽便が越えていた姿を想像して喜んでいるのである
写真からも分かるように、随分と立派なトラス橋が架けられていたようなのである
この鉢沢川であるが、宮中ダムー浅河原調整池の間にあり、同区間でもとりわけ深い谷を形成している川である
現地のストリートビューだ
現道も橋で飛び越えているが、軽便のトラス橋もこれに近い長さの橋梁が架かっていたと推測される
して、秋ごろにこの場所に来た時は、鉢沢川に痕跡はないものと思った
草木が生い茂っていたこともあって、何も見えるわけがない
また、この時、私は軽便の橋はほぼ現道に近い位置か少し信濃川よりくらいにあったのだろうと思い違いをしていた
改めて当時の航空写真と現在の航空写真を比較すると一目瞭然なのだが、まじまじと比較してこなかったことが災いした
軽便の鉄橋は随分と現道からずれた方向に架かっていたことが分かる
方向としては、先ほどのストリートビューの右端にある路肩の駐車帯の方向へまっすぐ進んで行く方が正しい
それを踏まえて、改めて橋の上から痕跡を探したら・・・
!!!
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ちょっと想像される橋梁の規模に比べて小さい気がするけど、コンクリートの塊が斜面にへばりついている!
この時、興奮のあまり、カメラには望遠レンズを付けたまま斜面を駆け下りてしまった
鉢沢川の底に着いた時にレンズを変えて来れば良かったと思ったが、今更戻るのも面倒くさい
橋台と思しきコンクリートの塊の上の方、河岸段丘の上の方が少し切り欠いてみえるのが分かるだろうか
それにしても想像される橋梁の規模の割には橋台にしては幅が狭いと思った
ただ、改めて上記の建設当時の写真を見ると、案外そうなのかもしれないと思える程度に鉄橋自体も横幅は狭いようにも見える、軽便だから?
信濃川らしい丸い石を組んだ石垣も残っている
更に、橋台と思しきコンクリートの上に登って、その向きに合わせて宮中方に振り返ると、
まさに航空写真から分かった現道との角度差を感じる位置だ
更に2m~3mほど登ると切り欠き部分に到達する
建設当時の写真からも、橋台と切り欠き部分までの高度差くらいは高さのあるトラスに見える
ただ、ここは土捨て場になっており、一部は当時の路盤よりは嵩上げされてしまっているように見えた
実際にはもう少し低い位置で地上と接続していたように思えるが、それでも明らかな切り取り部分のような地形になっていたので私としては納得だ
改めて、最初のストリートビューの位置に戻って、橋の位置を落書きすると以下のようになる
果たしてあの橋台のようなものが信濃川発電所工事材料運搬線由来のものなのか、
それを確実なものとする資料をまだ見付けていないので断言はできない
しかし、それらしいものを見付けられただけで、私はここの谷を軽便が越えていた姿を想像して喜んでいるのである