かねてより、飯山鐡道(飯山線)の成り立ちは、東京電燈の信濃川発電所工事材料運搬線としての性格が強いと書いてきた。鐵道省が小千谷から宮中に至るまでの工事専用の軽便線を敷くように、電力会社も主たる材料運搬ルートとして材料運搬線を敷いたのである。
電力会社側の材料運搬線は、会社は発足したものの碌に工事を行えるような資金がなく開店休業状態だった飯山鐡道への出資による飯山鐡道延伸を強力に推進するという方法でなされた。飯山鐵道と電力会社との関係や、飯山鐡道が十日町まで延伸開業するまでの詳細は過去に書いた記事を見てもらうとして、その中でも西大滝ダムのある西大滝駅、信濃川発電所のある越後鹿渡駅は特に輸送上重要な役割を果たした駅である。とされている。
数々の資料や現地での調査から、越後鹿渡駅については本線から分岐した構内専用線のようなものがあったことが判明している。一方で、西大滝駅の当時の状況はまったく不明。手がかりすらない。単に、飯山鐡道で西大滝まで材料を輸送したとあるだけだった。西大滝駅から分岐して、専用線のようなものがあるという期待から調査を開始したが、一切の手掛かりは見付けられなかった。専用線の手掛かりが見つからないのではなく、そもそも専用線そのものが無かったということで一旦は私は調査を〆たのだ。
その時の記事はリンクで飛んでいただく。 西大滝と鹿渡
調査を〆たと言ったが、鐵道省の信濃川発電所工事材料運搬線について調べている過程で、並行して東京電燈信濃川発電所についても引き続き調査を行っているのは言うまでもない。そんな過程で、とうとう、当時の西大滝周辺を写した写真を見付けたので紹介しよう。写真が掲載されていたのは、土木建築工事画報という雑誌の第15巻9号(昭和14年9月)の84ページである。
昭和12年5月7日
写真は千曲川の上流方向を見ており、見切れてはいるが、右に西大滝の集落がある。
丁度、東京電力さくら広場の駐車場の向こうの広場の辺りを写したものだろう。左の複線の線路は川から採取した砂利をエンドレスケーブルトロッコによって自動運搬する設備だ。なお、砂利の採取は桑名川でも行っていたようで、桑名川で採取した砂利は索道で西大滝まで運んできていたようだ。問題は、左でカーブしている線である。どう見てもレールが敷かれているように見える。というか、わざわざ集落を迂回するような、いかにもと言う線だ。
まさに、以前予測していたような線路を以って駅から現場近くまでを結んでいたのではないかというわけだ。カーブを描き集落の外側を巻きながら西大滝駅の材料置場まで向かっていたものと思われる。おそらくだが、西大滝駅には飯山鐡道で運んできた材料を一時保管する倉庫があり、そこで積み替えて、必要な資材をトロッコなりで現場まで運搬していたのだろう。駅から現場までは勾配もあるから、なんらかの動力を使用したものと思われるが、ちょっとしたスイッチャー的なものだったかもしれない。駅から現場へは下り勾配なので、ひょっとすると手押しかもしれない。
とにかく、そういうレベルの軌道だったと推測している。
右で見切れているが、大量の木材を積んであるあたりが現場最寄りの材料置場だろう。
西大滝の材料運搬はどうだったのか、たった一枚の写真により、大きく実際に近づいた感触である。
鹿渡の運搬線跡は最近と、子供の頃に祖父のお供で行ったことがあります。東電の発電所の飯山線築堤下のトンネルが怪しいです。その先は後年の農地整理で失われているようで辿れませんでした。